こんにちは!

WhyWhyコーチのふぁーこです。

最近めっちゃ気に入って買ってもらったTシャツ。
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「銀河で一番かわいいスターウォーズ」のパワーワード。

この「うん〇中なの?」っていう、なんとも言えない顔のヨーダが良い。

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「大切な人がいなくなってしまって喪失感や無力感がひどい時はどうしたらいいですか?」

大切な人が亡くなったり、離れてしまったり、さまざまな事情からそばにいられなくなってしまった時、みなさんにも経験があるんじゃないかなと思います。

すごく悲しかったり、悲しいはずなのに心がシーンとして動かなかったり、過去の出来事を思い出して涙が出たり、罪悪感や後悔が押し寄せてきたり。

本当にショックな時って、人間は心を守るために、ブレーカーを落としたときのようにシーンとして真っ暗でなんにも感じられないような心の状態になったりします。

だから、起こった出来事が自分にとってショックなほど、心が耐え切れないような出来事だった時ほど、「あれ?なんか自分元気じゃん?涙も出ないし仕事も行けるし、けっこう大丈夫だな」なんて思いがちなんですけど。

それはちょっと思い違いというか、勘違いというか、そのショックな出来事と正面から向き合ったら心が耐え切れないので、心のブレーカーを無意識に落としてしまった状態なだけなんですね。

なので、ふとした瞬間や、向き合える余裕ができたときに心のブレーカーが上がって、その事柄や大切な人のことを思い出したり、心が動き始めると、今まで感じないようにしてきた喪失感や悲しみ、さみしさや罪悪感、後悔や無力感、怒りや放心などの感情がやってきたりします。

もちろん、そこにはマイナスな感情だけでなく、「あの人にはこんないいところがあったなぁ」とか、「こんなすばらしい思い出を残してくれたなぁ」みたいな、心に残る温かさ、優しさ、うれしさや希望もあったりします。

ただ、その対象が自分にとって心を占める喜びや満たされる存在であったほど、その大切な人や大切なものを亡くしたり、離れたときに訪れる感情はやっぱりマイナスに感じるものが多くなると思います。

そんな時に、どうしたらいいか?ということですが、まず最初は、「そうだよね、悲しいよね」と思っていいと自分に許してあげることが大切です。

悲しいよね。

悲しかったよね。

悲しいんだよね。

いっぱい、思いがあって、言葉にならないんだよね。

いっぱい、思い出があって、ごちゃごちゃなんだよね。

いっぱい、好きだったんだよね。

大切だったんだよね。

いっぱいいっぱい、一緒にいたかったよね。

悲しいね。

悲しいよね。

悲しい。

いなくなっちゃってとっても悲しい。

うん、悲しいね。

悲しいよね。

悲しいね。

そうやって、自分に「悲しい」という感情、「失ってしまった喪失感」という感情を感じられるように心で寄り添った言葉をかけてあげます。

これは一日でどうにかなるとかじゃなくて、やっぱり少なくとも1ヵ月、心のブレーカーが落ちることが多い方は、ブレーカーが上がったタイミングで都度都度やっていただいて、できたら3カ月くらいは静かに向き合う時間をとったほうがいいです。

そして、少しずつ心が強い悲しみや喪失感を感じなくなってきた時、次は無力感などの感情の対応に入ります。

人は無力感が強いとき、「自分は何の力もない」とか、「自分には大切な人の喜びになれる力がない」と思って罪の意識を持っています。

つまり、大切な人に対して「守りたい、助けたい、理解したい、役に立ちたい」などの思いを持っていたのにもかかわらず、それがうまくいかなかった(うまくできなかった)と自分が思ってることで、罪悪感がある状態なんですよね。

そう思ってる時(あきらかな罪悪感ではなくても、無力感を感じてる時は心のどこかに罪悪感がある時)、私たちは自分の意識だけにとらわれやすくなります。

罪悪感というのは、つねに自分で自分を幸せにしない方へ導く感情と言われていますが、誰かが自分を否定したり、罪の意識を植え付けさせたというより、自分でそういう罪の意識を持つ選択をしたと言ったほうがいいかもしれません。

同じ出来事があっても、罪悪感を深く感じる人もいれば、そこまで感じない人もいるように、なにかあった時の捉え方や受け取り方は人それぞれ選択できる力を持っています。

そして、誰か大切な人が亡くなったり、離れてしまった時というのは、起こった事柄がショックすぎたり、自分にとって大切だった(守りたかった・助けたかった)気持ちが大きいほど、その気持ちのやりどころがないからこそ、自分を責める罪悪感という気持ちが出てきやすくなりますが、そこでは捉え方を変えられないか試してみる必要があります。

その罪悪感を持ってほしくて、深い無力感を感じて欲しくて、あなたの大切な人は離れていったんでしょうか?

あなたにずっと罪の意識を持って欲しくて、亡くなったんでしょうか?

あんなこともあったし、こんなこともあったし、たしかに楽しい思い出だけじゃなくて、たくさんいろんな思いがあったかもしれないけど、じゃあ今あなたがそんなに罪悪感を持って幸せになれないなら、最初から出会わないほうが、あなたを幸せにできたんでしょうか?

人間だから、できないこともあったし、助けられないこともあったし、理解できないこともあったと思うけど、大切な人を好きになった気持ちは、大切に思ってきた気持ちは、そこにあった心の温かさは、すべて無駄だったんでしょうか?

もしかしたら、あなたの大切な人は、たしかに助けてほしいと思ったことがあったかもしれません。理解してほしいと思ったことがあったかもしれません。

あなたがそう思うなら、そうだったのかもしれないけど、でも、本人は本人で、生きうる限りの本人なりの人生を生き切ったとも思えませんか?

自分には理解できないこともあったかもしれないけど、本人なりの人生を頑張ったと思いませんか?

助けたい、守りたい、理解したい、役に立ちたいと思うあなたがもし逆の立場なら、自分が大切な人を離れた時、あっちの世界に飛び立った後で、「助けられなかった・・・役に立てなかった・・・」と罪悪感を持って悲しむ大切な人を見て、「おいこの野郎ー!!!なんで助けてくれなかったんだ!」って怒ると思いますか?

あなたなら、怒らないじゃないでしょうか。

だって、あなたは「助けたい・役に立ちたい・理解したい」と思う、その気持ちのありがたさを知ってるはずですから。

だから、自分が罪悪感や無力感にまきこまれた時こそ、その大切な人の生きてきた道、生きてきた軌道を思い出して、それが自分にとって理想的な道(こう生きてほしいという自分の理想)じゃなかったとしても、ちゃんと「それが大切な人なりの人生だったんだ」と認めてあげるんです。

経済的、身体的、対人的、仕事的に、さまざまな苦難や困難があった人生だったかもしれませんし、自分が知らないところで歯を食いしばったり、頭を下げたり、人に疎まれたり、誤解されたり、孤独を感じたこともあったかもしれません。

でも、それを本人なりに、今生(輪廻転生があるとしたら今回の人生)で、なんとか生きてきたと。

生き抜いてきた。

離れるその日まで、本人なりに生き切ったと。

そうやって認めてあげたほうが、大切な人もあっちの世界でゆっくり笑っていられるかもしれないですよね。

いつまでも自分が罪の意識を持ってると、大切な人のことを勝手に「私を許さない人」にしてしまうかもしれませんから、そうならないためにも、できる限り「頑張ったね、生き切ったんだね」と思ってみるんですね。

そして、「天寿(天から授かった寿命)を全うする」という言葉もありますが、もし天寿だろうが、天寿じゃなかろうが、本人の今生(今回の人生ではこんな人生を体験することになっていた)結果がそういう人生だったのなら、それが本人的にたくさん苦を感じたり困難があったとしても、「よくそんな人生を今生では生きぬいたね」と、大切な人に近かったあなただからこそ言ってあげられると思うんですよね。

大変だったり、がんばってたり、本人が生きてる姿を見てきたあなただからこそ、「すごい人生だったね」と言ってあげられると思いませんか?

自分があっちの世界に行ってから「ごめんね」とずっと謝られるより、やっぱり「すごい人生を生き切ったね」とか、「こんな大変なことなかなかないよね、すごかったよね」と話してくれる人がいるほうが、いいと思いませんか?

それでも、心のどこかには「ごめん」と思う気持ちがあるなら、そういうクライアントさんに私がいつもお伝えすることは、「じゃあさ、あなたがいつかあっちの世界とか、大切な人に会える世界に行ったら、その時にちゃんとごめんって言えばいいじゃない」と言います。

今は直接伝えられないかもしれないけど、会ったらちゃんと「あの時はごめんね」って言おうと決めるんです。

許してもらえるか、許してもらえないかわかりません。

でも、もう許してもらえなくても、少なくとも会って「ごめん」って言うことを決めちゃえば、あとはその時にまた考えればいいじゃないですか。

今から「絶対許してもらえないかも」と考え続けるんじゃなくて、許してもらえなくても会ったら謝ろうって決めることは、すごく大切なことです。

個人的な話をすると、わたしの母も1年半前に亡くなりましたが、母が交通事故や鬱発症からアルコール依存症となって、母と共依存になってから距離をとってきました。

母が亡くなって、お葬式にも駆けつけませんでした。

すごく親不孝な娘だなと自分で思います。

でも、共依存となった状態で、あれ以上私がサポートしたり、母の近くで役に立とうとしていたら、私が潰れていたか、罪悪感からこの世からいなくなろうとしていたと思います。

だから、本当はもっとできることをやったり、役に立ったり、助けられたらよかったけど、あれ以上できなかった、申し訳なかったという思いを、わたしがあっちの世界に行ったら母に直接伝えようと思っています。

母が許してくれるか、許してくれないかは関係なくて、まずは謝ろうと。

そして、そこからまた母といっしょにあっちでは乾杯できたらいいなと思っています。

だから、そこまではわたしもまだどんな人生がこれから続くかわからないけど、わからないなりに、自分なりに生き切るよと。

罪悪感にまみれて、罪を背負い続けるように生きるんじゃなくて、できる限りまた会った時に笑える土産話をたくさん持って行けるように、そうやって生きてみるよと。

そうやって生きてみた方が、あなたのことを今大切に思ってくれてる人も喜んでくれるんじゃないでしょうか?

あなたがまたあなたなりの人生を歩いて行けるように、ここにふぁーこが願っています。
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それではきょうも、下着に「秘密の質問」でセキュリティ強化できるようになったようないい夢をみましょう~!