こんにちは!

WhyWhyコーチのふぁーこです。

マンホールって、地域によって描かれてることがちがってかわいいですよね。
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ジョージアは絵が描いてあることはないんですけど、「グルジア(ジョージア)」っていうジョージア語の文字がかわいいなと思って撮りました。
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საქართველო(サカルトヴェロ)→意味:グルジア(ジョージア)

こういうのを見るのも、ご当地ならではの楽しみ方かなと思ってます。


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「どの職場でも必ず一部の人から攻撃されるんですけどなんでですか?」

職場って、一日の起きてる時間の大半を過ごす場所なので、できるだけみんな「自分の思い描くように快適に過ごしたい」と思うものですよね。

でも、そのそれぞれが思い描く「快適さ」がちがったり、価値観ややり方、状況や心境がちがったりして、そこでなにか確執や衝突が生まれたり、気づいたら巻きこまれてたりするんですよね。

それで、ぶっちゃけ自立的で思考的な人ほど、思わぬかたちで攻撃などをされはじめた時に、「てめぇのアレやコレなんて知らねぇよ!仕事しにきてるんだよこっちは!仕事させてくれよ!」と思うものですよね。

もしくは、「攻撃する暇があるなら仕事をしろよ!一枚でも皿を洗ってくれよ!!!」と言いたくなりますよね。
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あ、それはわたしの心の声でした。すみません。

これ、ちょっとわたしの中では、こういうことが起きる方と起きない方で、ある傾向があるかなと思うことがあるんですね。

それは、こういうことが起きる方によく話を聞くと、「実家にいた頃に母親が過干渉だったり、心配性だったり、すごく強気で口出しをしてくる家だった」という事が多いんですよね。

小さいころの先生がそうだったという方もけっこういます。

で、たとえば小さいころに母親や身近な大人から感情的に話されたり、干渉されてきたり、聞き役をするしかなかったとするじゃないですか。

そうすると、「自分の気持ちや要望を打ち明けて受け入れてもらう」という体験より、「母親(大人)の気持ちを聞いたり受け入れる」って体験のほうが大きくて、なかなか自分から自己主張できなかったり、安心感を得られなかったりすることで、前に出ることが苦手になったり、等身大の自分に自信を持ちにくくなったりするんですね。(すべての方がそうというわけではないです)

でも、それに慣れるというか、そういう環境がふつうだったとすると、(自分が意識せずとも)「誰かの感情を受け入れる」っていう心の器も持つようになるんですね。
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そうすると、それはある意味長所であり、価値そのものなんですが、その価値に自分じゃ気づかないとするじゃないですか。
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そしたら、「え?なんかこのスペース空いてない?入っていいの?なんにも書いてないし、いいよね?」って感じで、そこをある意味悪気なく(一番そういうのがめんどくさいんだけど)使おうとする人が出てくるわけです。
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もし、自分がその長所とか価値を受けとって、「そうか、この器の広さを勝手に使おうとする人もいるんだ。使っていいかどうかは事前に申請してくださいって書いておこうって予防策をとったり、信頼できる人に心のメンテナンスや処置が適切か見てもらったり、自分が人を選んだりしなきゃいけないだな」と思っていたら、ここで攻撃されても対処できていると思うんですね。

でも、自分でもその長所や価値に気づいてなかったり、認めてないとすると、外の人からは心の一部が無防備に開きっぱなしに見えるので、「じゃあちょっと失礼しますね」って勝手に落書きしたり、思わぬことをやらかしに来る人がいるわけです。

というわけで、よく言われている「自分の価値や長所に気づきましょう、受けとりましょう」というのは、そのような攻撃から身を守るためにも必要だよってことなんですよね。
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そういうことをいうと、「なんで攻撃される側が大変な思いをしないといけないんだ」って思うかもしれないんですけど、そんなときは、「わたしは本当に自分を幸せにするんか?わたしはわたしをもっと幸せにしたいんか?」ってことを確認する必要があります。

自分にはまだまだ罪悪感や無価値感があるのかもしれない。

自分はまだまだ不器用でちょっと自己肯定感が低かったり、至らないところだってあるんだろうと。

そんな自分の、最終的な目的や目的地がどこにあるのか?ってことなんですよね。

今ここに立ってる自分がなにかを許せないのに無理して許そうとしたり、犠牲をしていい子になったり、我慢して優しくしたり、相手に同情したり、なんてことはまっっっったくしなくていいんです。



でも、どこを向いているんだっけ?っていう、わたしは「戦いたい」のか?ここで止まって「復讐したい」のか?それとも「わたしはわたしでしあわせに生きていきたい」のか?ってのをもう一度考える必要があって。

その中で、もし必要があれば「誰かへの思いを手放す」とか、「自由への許可を出す」とか、「自分を許す」とか、「気持ちを伝える」とかっていう自分の豊かさや幸せのためのステップを踏むことで、また地に足がついて周りのことに動じない自分ができていったりしますし、もっと自分らしく生きるために「長所や価値を受けとる」っていうのがとても大切なんですね。

だから、「攻撃される」っていうのはたしかにショックだし、嫌だし、めんどくさいし、なんでなの?って思ったりすると思うんですけど、丸腰の人がライフル銃を構えた人に攻撃しないのといっしょで、自分がドシッと「オッケー!ドンとこいや!」くらいになってれば、たいていの攻撃は怖くなくなりますので、ぜひ自分の長所をどんどん知って自信を持っていただきたいなと思います。
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そうすれば、相手を変えられなくても、自分が変われば状況や世界が変わりますからね。

で、もう二つ、こういうことが起きる方にお伝えできることがあるんですけど。

一つは、「もっと仕事を好きにやろう or 好きなこと(ライフワーク)にもっと熱中しちゃおう」ということ。

どういうことかというと、もしあなたが本当に仕事が好きだとか、仕事じゃなくても自分の心を幸せにできるようなこと(ライフワーク)があるとしたら、攻撃してくる人がいたとしても、そこまであまり気にならないというか、重要じゃないというか、あまりそこに意識をとらわれ続けるということがないんじゃないかと思うんですよね。

だって、自分の大好きなことをしていたら、自分がその好きなことをし続けるために、どんな困難でも乗りこえようと全力を尽くせたり、あまりその好きなこと以外に意識をもっていられなくなると思うんですよね。

たとえば、これは極端な例ですけど、自分のとても大事な人(パートナーとか子供とか)が病気になってしまいましたと。

で、今は根本的な治療法がないと言われましたと。

でも、なんとかならないかと思って治療法などを全力で探した結果、となりの県の病院で良くなる手術が最近できるようになったらしいと知りました。

その病院に行って話を聞いたら、今まで通っていた病院よりだいぶ費用が高額になるとのことだったのですが、あなたはなんとかして治ってほしいなと思って、その病院で大事な人の手術を受けさせてもらうことにしましたと。

その後、あなたは必死に働いて大事な人をサポートしました。

そして、結果的に手術は成功して、あなたの大事な人はとても元気に回復していますと。

そんな流れの過程で、もし仕事であなたのことを攻撃してくる人がいたとしても、あなたの一番の意識って、たぶん「大事な人がどうなるか?」とか、「良くなるか?」ってことに向いてると思うんですよね。

もし、その大事な人がそこまで大事じゃなかったら、「別にど~なっても知らんけど」って感じでしょうけど、大事な人ほど、自分も全力を尽くしたくなると思うんですね。

だから、仕事が好きだったり、好きなことをやることの一番の功名は「それどころじゃなくなる」なんじゃないかなと。

「え?なに?・・・ん?わたしのこと嫌い?そっかそっか、うんオッケーオッケー、ごめんちょっとそれどころじゃないんだわ」みたいな。
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相手の嫌いとか好きとか、そういう「相手が自分をどう思ってるのか?」より、自分の「〇〇が好き」が勝つんですよね。

相手の機嫌や態度に振り回されないというか。

なので、自分がどんな仕事が好きで、どんな人が好きで、ライフワークや自分の心の幸せはなにで彩られてるのか?っていうのを、ちゃんと自分で自覚して大切にしていれば、相手のペースに巻きこまれたり、振り回されることは断然少なくなるので、もっともっと好きなように好きなことをやっていきましょうということですね。

もう一つは、「自分も誰かとつるむのが好きではないがゆえに、相手も相手で自分のことを異物として認識してくれている(いい意味で)」ということ。

いわゆる、あなたが一匹狼派だったり、それとなく仕事場では円滑に人間関係を築けるんだけど、それは仕事場に限った話で、自分の素は別にあるというような場合ですね。

たとえば、自分の服がたくさん入っているクローゼットやタンスを思い浮かべてほしいんですけど、その自分の服の中に、自分がぜんぜん着ないようなブリブリでキャピキャピの服が入っていたとしたら、どう思うと思いますか?

なんか違和感を感じたり、あんまり自分の好みじゃないなと思ったら、ちょっとそこから退かしたり、これは捨てようかなと思ったりしますよね?

異物というのは、いい意味で目立つんですよね。

だからと言って、人を攻撃していいのかと言われるとそれは別の話なのでちょっと困っちゃうんですけど、異物ってわたしはすばらしい長所だと思ってるんですね。

なぜなら、それは、「ちゃんとあなたにはこんな個性があって、こんなスペシャリティ(強み)があるよ」ということに他ならないですから。

だから、「自分とは?どんな部分が個性的でユニークなのか?」という部分を知って、受け入れることができると、「人は人、自分は自分でいいんだ」という自分軸で、相手との間に境界線を引いて、それぞれの道を生きていけると思うんですね。

それができてない時とか、「こんな個性や自分はダメだ」って否定感が強い時に、攻撃してくるような人に意識をとらわれやすくなっちゃうんじゃないかなと思うんです。

なので、そのまま自分路線でいっちゃおうよ!ってことです。

せっかく相手から「異物(いい意味で)」と距離をとってもらってるので、もっともっとこっちはこっちで自分軸で生きちゃおーぜってことです。

そうやって「自分は自分でやることをやるだけだ」って強い責任感でやってるのも知ってるし、人に対しても誠実に対応しようとするあなたのことを見てる人は必ずいるので、サクッとパクっと、胸張って生きていきましょう!って話でした。
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それではきょうも、ナットと合体できるようにボルトがオシャレしはじめたようないい夢をみましょう~!

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