こんにちは!

WhyWhyコーチのふぁーこです。

今日はここグルジア(ジョージア)の独立記念日です。

Googleのトップページもこんな感じで変わってました。
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それはさておき、この間またまたジョージアダンスのコンサートを観に行ってきましたー!

もともと、コンサートをやると知ったのはかなり前なんですが、今年はいろいろと予定が変動的なのもあって、行けるかわからないのでチケットを買わないで諦めていたんです。

でも、当日になって彼が「2階の一番後ろの席だけど、チケット取ったから行こう」と言ってくれて。

めっっっっっっっちゃ楽しかったし、うれしかったです!

相変わらずダンスや男声合唱はすばらしくて、2階の一番うしろの席なのであんまり見えないのも覚悟して行ったんですけど、意外とよく見えるし、後ろがいないので気を遣わなくていいしで、かなりよかったです。

そして毎度のことながら、最後は感動して泣けてきまして。
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あーよかったなぁ・・・最高だったなぁ・・・

と思って帰ろうとしたら、

なんと・・・

なんと・・・

ダンサーさんたちホールのところにいて、写真撮影してくれましとわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
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とわぁぁぁぁあぁぁあああぁぁああ!!!!!
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わぁぁああぁあああああ!!!!!

ということで、子離れについてお話したいと思います(次のニュースですのテンションすな)

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「子離れは子供の問題よりも何よりも「隠し守ってきた自分とのお別れ」が一番つらい」

子供がいらっしゃるみなさん、犬や猫ちゃんや生きものといっしょに生きているみなさん、「子離れ」できてますでしょうか?

かくいうわたしも、子供はいないものの、グルジアで地域犬たちに囲まれて生活しておりまして、かわいくてかわいくてとにかくかわいいもんですから、甘やかしまくって「子離れ」と程遠い日々を送っております。

「子離れ」と言っても、なにをしたからできてる、なにをしてないからできてない、という話ではなくて。

今日は、「子離れ=隠し守ってきた自分とのお別れ」がつらいことであり、同時に自分を一回り大きく成長させてくれるということをお話したいとおもいます。

冒頭で言ったとおり、グルジアには地域犬と呼んでいる、その地域を縄張りとして路上で生活しているたくましいわんこたちがたくさんいるんですけども。

狂犬病のワクチンを打った証として、路上にいるほとんどのわんこには、黄色とか青のパッチが耳についてて。

で、国民性なのか、グルジアの人たちも、そういうわんこが路上にいることに慣れているし、かわいがっている人も多いんですね。

その中でも、わたしが今住んでいる住宅地を守ってくれている地域犬たちがいまして。

わたしたちが散歩に行こうとしたり、買い物でちょっと近所を歩いていると、向こうのほうからしっぽをブンブン振ってわたしたちをお出迎えしてくれて、いっしょに散歩や買い物についてきて、他の地域犬や車が近づこうもんなら、吠えまくって危険から守ろうとしてくれます。

ちなみに、そうは言っても、そんな危険な車がいるとか、危ない地域犬が多いってわけではぜんぜんなくて、ただの過剰防衛なんですけど、「私たちはぜんぜん危なくないから吠えるのやめなさい!」って叱っても、「僕よくやったでしょ?やっつけたよ!褒めて褒めて!」ってしっぽブンブン振ってきます。(ダメだこりゃ)

んで、そんな地域犬たちにわんこ用ごはんとかおやつをあげたり、いっしょにお散歩したりするのが最近の楽しみなんですけど、彼とよく話すのが「リールでつながれて、ごはんや環境を管理されて飼われているわんこと、ごはんや環境は安定しないけど、四季折々自由自在に動ける地域犬と、どっちがしあわせなんだろうね?」ということでして。

これは、もう本当にわんこの性質とか、特性とか、もちろん生まれた環境、育った環境、人間とどのように関係を築いたかとか、共存してきたかとかによって、それこそ1匹1匹にインタビューしてみないとわからないんですけども。

でも、逆に言うと、「こんなにかわいいわんこたちと出会えてしあわせ」と思うわたしがいるわけですけど、「彼らをわたしの家とか管理下においていっしょに生きよう」とは思わなくて。

それは、もちろん一生いっしょに生きるっていう責任が発生するのもあるし、はたしてそれが彼らの幸せにつながるのか?というところもあるし、「子離れ」に耐えられるか?という怖れもあります。

もし、この子たちをわたしの家や家族としていっしょに生きようと決めたとして、それを10年くらい続けたあとで、人間とわんこがコミュニケーションをとれる時代になっていたときに、「やっぱり外で生きていきたい」とか、「あそこのうちの家族に入りたい」と言いだしたり、問題行動をとり続けたり、自分にとって理解しえないことが起こったときに、それを受け入れることができるのか?と思ったりして。

それまでが「いい子(Good Dog)」だったり、大きな問題がなかったとして、自分の理解の範疇を越えるようなことが起こった時ほど、自分の葛藤っていうのは大きくなると思うんですけど。

で、本当に問題行動をとり続けたり、それが自分の理想的な姿とかけ離れてたときに、やっぱりいろんな感情が出てくると思うんですよね。

「なんでそんなことするの!(わたしを困らせないで!、困惑、怖れ)」

「そんなこと言ってるけど、ほんとに大丈夫なの?(心配だなぁ、不安)」

「なにかあったらわたしが尻ぬぐいしなきゃいけないんだからね!(うんざりだなぁ、怖い、不安)」

「応援したいけど・・・いきなりなんでそっちなの?(びっくり、不安、警戒)」

「お金も信頼もないと生きていくの大変だよ(怖れ、過去の傷や後悔や苦しみ)」

「やるやるって言っていつも自分ではやらないじゃない!いつやるのよ!(怒り、悲しみ、事前に予期しておきたい)」

「前は〇〇するって言ってたじゃない!(驚き、嫌悪、虚しさ)」

「言ったからには自分だけの力でやるんでしょうね?もうわたしは責任持たないからね(怖れ、不安、さみしさ、嫌悪)」

これは例ですけど、こんなふうに思ったり、言いたくなったりするんじゃないかなと思いまして。

でも、それって、「なんでそこまで言いたくなるのかな?」とふと考えてみると、まずわんこに対して「どうでもいい(無関心)」だったら、こんなふうな言葉も感情も出てこないですよね。

逆を言うと、管理とか責任とか、自分にも影響がある存在(わんこ)に対してこういう感情が出るということは、自分の人生に対しても「どうでもいい(無関心)」と思ってたら、こんなに感情が湧いてこないですよね。

だから、まずは自分の人生も、相手の人生も大切にしようと考えているということだなと思って。

で、その上で、「じゃあなんでわんこが自分の理解の範疇じゃないことをしようとしていたら、こんなにネガティブな感情が出てくるんだろう?」と。

もちろん、上に書いた通りの「怖れ・不安・さみしさ・困惑」などの感情が元になってるっていうのは、なんとなく理解できるとおもうんですけど、なんでそんな感情が出てくるんだろう?と。

そう考えてみたら、「自分が愛したい愛し方ができなくなるかもしれないから」という答えが出てきたんですよね。

え?って感じ?

え?って感じですよね?

は?って感じ?

ハッ?(嘲笑)って感じですよね?

そうそう、「いやいやムカついてんのよ、こっちは!今愛し方とか関係ないでしょ!?」って思いますよね。

思うんですけど、でもそうとしか思えないというか、まじでそれが一番つらいんだなって思うんですよね。

たとえば、失恋にしろ、死別にしろ、わたしたちって「悲しい」とか「さみしい」っていう感情がたくさん出てくるわけですけど、そのつらさの最たるものが、「自分が愛したい愛し方を止めなければいけない」と思うからなんですよね。

たとえば、毎日「大好きだよ」って言葉で伝えられることがうれしく感じる人は、自分もそういう言葉で伝えるって愛し方をしたいわけで。

たとえば、毎日ハグをしてもらうことがうれしく感じる人は、自分もそういう体感や態度で表現する愛し方をしたいわけで。

たとえば、毎日元気な姿や自由に過ごしている姿を見守ってもらうことがうれしく感じる人は、自分もそういう態度や行動の愛し方をしたいわけで。

たとえば、毎日プレゼントをしてもらうとか、お金に困らないように経済的に支えてもらうことがうれしく感じる人は、自分もそういうお金やプレゼントをするって愛し方をしたいわけで。

そういう愛し方って本当に人それぞれある中で、たとえば失恋とか死別とかがあった際に、その自分なりの愛し方がもうできない、止めなければいけないと思うから、「愛を止める」という、自分の中にある「大好き」を止めなければいけないと思うことに、とても深い悲しみや傷を負うんですよね。

で、わたしも、もしわんこが10年とかいっしょに生きたあとで、理解できないことをしはじめようとしたりとか、問題ばっかり起こしたら、すごくイライラするし、今までの自分との生活に戻そうとしてコントロールしちゃうとも思うんですけど。

それって、結局わんこが自分の理解できない、知り得ないところに行ってしまったら、自分の愛したい愛し方はできない、愛したい愛し方は止めなければいけないって思うから、それが怖くてコントロールしようとしたり、否定したくなったりするんだなと思ったんですね。

ってことは、人間の「子離れ」ってすごくね?と。

もちろん、なにが正解とかはないのであれですけど、わたしが19歳でトルコ留学するって言ったときに、いろいろ心配はされましたけど、結果的に送り出してくれたオカンもすげーなぁとおもうし、私の彼って、21~30歳くらいまでご両親のお金で一人暮らしをさせてもらってたらしいんですよ。

とくに、彼はもともと小さいころから対人恐怖症みたいな感じだし、学校も幼稚園から不登校気味だったみたいなので、わたしが親だったら、彼が一人暮らしをするにしろ、なにをするにしろ、とにかく心配で口出しをしてしまったり、むしろ「早く心配しなくていいようにしっかりしてくれ!」とか思ってたかもしれないと思うんですけど。

彼のご両親は、「待つ」とか「彼の生き方を尊重する」って愛し方をしたんだなと思って。

それがすげぇなと思うんですよね。

ご両親自身が、お仕事や日々の生活の中でうまくいかないことも、イライラすることも、経済的な不安がある時もあったかもしれないけど、それでも彼の気持ちや生き方を尊重するってことが、本当にすごいなと思って。

「この子はこの子の人生で生きていくし、生きていけるから大丈夫」って、子供をちゃんと一人の人間として距離をとって、相手の島を相手の島として認めるってやっぱりすごいことですよね。

家族ならなおさら、ずっといっしょにいたり、血縁関係的に離れづらいって知ってるので、無意識に「自分と同じ島」って思いがちですけど、違う島同士から生まれた子供ですから、結局子供も「その子の島」なんですよね。

それを認めることと、「子供は子供の人生だし、この子は大丈夫」って思えるってことは、親である自分自身が自分にそう思えてないと子供にもそう思えないんですよね。

つまり、「わたしはわたしで大丈夫」って、自分への信頼とか、自分が受けとれるかたちで自分を愛し続けていないと、「まだダメ、まだダメ。わたしは大丈夫じゃないし、こんなわたしはダメだ」って気持ちになってしまうから、それを子供にも投影してしまって、なかなか子離れできなかったりとか。

・・・ね、難しいですよね。

じゃあどうしたらいいの?っていうことを考えてみると、まぁ「そんなダメな自分も、自分の一部として存在してもいいじゃん」って話になるわけなんですけど。

たとえば、なにかの出来事とか、誰かとの会話とか、関係性の中で、「自分がダメだからこうなった・・・」って思ったり、「自分のせいかも」って思ったり、「なんて自分ってダメなんだろう」って思ったり、怒っちゃう自分を嫌悪したり、優しくできない自分を嫌悪したりしますよね。

で、「なんとかして改善しよう!」って気持ちはあるので、いろいろ自分で思いつく限りのことは手を尽くしてがんばってみたりとか、意識したり、心がけて行動を変えていこうとしたりとかするんだけど、また同じことをしてしまって「またや・・・もうダメ・・・」って気持ちになったり。

そうやっていろいろ試したり、自分でやってきてもうまくいかなくて余計に傷ついたり、小さいころに親や先生や大人たちから「こうしなさい!」「こうしないと〇〇になるよ!」「こうすればいいの!」って言われてきた分、「こうしなきゃいけない」ってルールとか、自分の中に「そうしないと傷ついたりイヤなことが起こる」って思いがあればあるほど、新しいことをするとか、自分の予想できないことをすることに対して怖れとかが出てきて、保守的になったり、受け身になりやすくなると思うんですけど。

でも、それもそれでいいと思うんですよ。

だって、どう生きていくかはぜーんぶ自分次第で、それでいいんだし(誰がなにを言ってこようとも今はそれでオッケーなの!)

どうやって生きていくかっていうのは誰の許可もいらないし、誰の意見も聞かなくていいし、自分の人生にはその経験が必要だったんだし、この瞬間まで頑張って頑張って、今それでも悩んでるんだから。

それって、自分の人生に真剣ってことだから。

ちゃんと自分の人生を生き抜こうとしてる(よりよい方に生きようと思ってる)から、悩むってことだから。

で、自分がダメダメで、失敗や間違い続きで、自分で自分を殺したくなるくらい自分がイヤになるときもあるとおもうけど、むしろ今もそんな感じかもしれないけど、その自分も、一応「自分」だから。

嫌だなと感じる自分も、自分の一部で、どんなに殺そうとしてきても殺せなかった、もしくはそいつをどれだけ嫌っても消えなかったってことは、それもいないと今の「自分」の存在は成り立たなかったってことだから。

でも、それでも苦しみがずっと続いてるとしたら、「もーこれだけ殺そうとしても殺せないんやったらしゃあないわ。こいつがどれだけ悪くたって、自分の一部として存在してるってことは、そういうことなんだろう。こいつも(悪いと感じてる部分も)自分の一部なんやな」って、存在自体は認めてあげましょうよって思っていて。

そこで、自分を責めるんじゃないんですよ。

ただ、「そういう自分っていうのも、自分の中にいるんだな」って、思うだけでいいんです。

それが良いか悪いかって判断とか、そういう自分が正しいか間違ってるかを決める必要はまったくなくて。

むしろ、「いやそりゃ人間なんだからいるっしょ、そりゃそうよ」くらいに、「いるよね」っていうのを思うだけでいいんです。
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で、認めたうえで、またどういう感情が出てきたかによって、「あ、これが苦しみの根源だったんだな」ってことがわかったりするし。(カウンセリングでは対話の中でそれをやるんですけども)

とにかく、どんな状況であれ、「この世に誰かの愛を受け取ってくれる存在&無条件に愛を与えてくれる存在」という、どちらの要素も持つ「子供」を産んだり育ててきた方っていうのは、それだけ唯一無二のすごい存在をこの世に生みだした(育んだ)わけです。

逆を言えば、客観的に見たら、誰かにとっての自分もそういう存在なわけで。

だから、それほどすごい愛が詰まった存在を手放せる(子離れする・子供を信頼する自分になる)っていうのは、相当難しいことだからこそ、すごいことだし、人間としてすごく成長させてくれるんじゃないかなと思ったんですね。

で、「子離れ」というけれど、心理的に言えば子供と適切な距離をとれるようになるってことだけでなく、「昔から守りに守って、出さないようにしてきた自分とさよならして、本当の自分を受けいれる」ってことなのかなとも思ったりして。

本当の自分を受けいれる=「自分の中には良い自分もいるし、ダメな自分もいるし、変な自分もいるし、ちゃんとしてる自分もいるし、つまらない自分もいるし、おもしろい自分もいるし、暗い自分もいるし、明るし自分もいるし、それぜんぶ含めて自分なんだな」=自己肯定感

本当の自分を受けいれる=「自分と子供は、それぞれの幸せな人生を歩む、違う人間なんだな」=自分軸

っていうのができると、自分の在り方を肯定しつつも、子供との間に線引きができるので、子離れも自然とできていたりとか。

そう考えると、やっぱり「子離れ」っていう問題よりも、「自分の認めたくない自分」とか、「肯定できない自分」とか「許せない自分」とかと向き合うことのほうが、一番しんどいのかもしれないですね。(子供はいつか離れていっても、自分の頭や心は一生付いてきますからね)

ってことで、子育ては子供の問題よりもなによりも、「隠し守ってきた自分とのお別れ」が一番つらいけど、本当の自分を受けいれることで自然とできていたりするのかもね(でも一人でやるには勇気がいるよね、そりゃそうよね、怖いよね、そんなの取りくみたくないよね、でもなんか苦しいんだよね、じゃあカウンセリングで一回お話してみましょうか?うん、ぜひそうしましょう!)というお話でした。

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それではきょうも、ジャングルの中でポンジュースが出てくる水道を発見したようないい夢をみましょう~!

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