こんにちは!
WhyWhyコーチのふぁーこです。
このお手紙は、よこたにカウンセラーとマイペースに書き綴るブログ間文通です。

第一回は「投影ってややこしいですよね」をお送りしました。
よこたにカウンセラーからのお返事はこちらです。
「ふぁーこさんへのお返事」
第二回は「いっしょに「蚊想通貨」をつくってみませんか?」をお送りしました。
よこたにカウンセラーからのお返事はこちらです。
「ふぁーこさんへのお返事 その2」
今回は第三回をお送りいたします。
〇〇〇〇〇〇〇
WhyWhyコーチのふぁーこです。
このお手紙は、よこたにカウンセラーとマイペースに書き綴るブログ間文通です。

第一回は「投影ってややこしいですよね」をお送りしました。
よこたにカウンセラーからのお返事はこちらです。
「ふぁーこさんへのお返事」
第二回は「いっしょに「蚊想通貨」をつくってみませんか?」をお送りしました。
よこたにカウンセラーからのお返事はこちらです。
「ふぁーこさんへのお返事 その2」
今回は第三回をお送りいたします。
〇〇〇〇〇〇〇
ようちゃんへ
こんにちは。
さっそくお返事をくれてありがとうございます!
寒さもさることながら、あわただしい季節になってきましたね。
とはいえ、個人的には12月になって味噌汁のうまさが倍増している今日この頃です。ようちゃんもホッカホカしてますか?
そうそう、おかげさまで蚊助のやつは無事に嫁の元に戻っていったようで(そりゃあれだけわたしの血を吸えば満足だろう)、若干私の血で酔ってフラフラしながら帰っていきました。
しかも、イヤな理由が「耳の中に入ってきたらどうしよう?」という怖れからかぁ。
それはわたしは考えたことがなかったので、新鮮な気がします。
でも、
めちゃくちゃ腫れたり痛かったりすると、なおさらですよね。
わたしは蚊よりも蜘蛛の姿かたちが怖くて苦手なんですが、ようちゃんのように「寝てる間に近づいてきて耳とかに入ってきたらどうしよう・・・」と思ってたことがあります。
あいつら足長すぎだろ・・・とか。
あきらかに毒持ってる姿の虫代表というか。
FIFAが「毒持ってる虫姿W杯」を開いたら、ぜったい一般家庭部門では蜘蛛が優勝だろと勝手に思ってます。
ちなみに、蚊助の野郎には、「おまえ今度来るときは呼び鈴押して玄関から入って来い」って言っておいたので、ようちゃんも万が一呼び鈴が鳴らないうちに蚊を見つけたら、「人様んちに上がるんなら呼び鈴ならさんかい!!」って指導してやってください。
さて、前回のお返事では、たくさんようちゃんのことを教えてくれてありがとうございました。
「ようちゃんは秘密主義だなぁと思う(もちろん悪い意味ではなくて)」というわたしの手紙に応えてくれて、ありがとうございます。
ようちゃんの分析、とてもわかりやすかったです。
そうそう、ようちゃんは素直で繊細な感受性があって、それを表現して出せる人の前では出せるんだと思うんですが、繊細で優しいゆえに、知らないうちに傷つけられた(傷ついてしまった)ことも多くて、こっちからようちゃんのことを根掘り葉掘り知ろうとしてしまうと、ようちゃんですらまだ触れたくない傷が残ってたりして、そこに触れるタイミングは自分で決めないと怖いので出さないようにしてるのかも?というか。
でもそれは、いつかの昔に、自分を隠したり、自分を嫌悪したり、自分を出さないというやり方で、誰かを守ろう、愛そうとしてできた傷もあるのだろうなと思ったんですね。
小さいころのようちゃん、ちゃんと自分のできることを知っててすごいなぁ。
「聞くよ」って、やっぱり相手の状況とか、変化とか、顔色とか、気持ちを想像できなかったら言えてないと思うんですよね。
そして、ようちゃんは「聴くことしかできない」って書いてくれたけど、「聴く」って相手の負担を半分取り除いてあげられる行為だとおもうんですよ。
わたしは彼に、悪いことも、弱音も、愚痴も、彼の状況とかを加味せずにしゃべっちゃうんですけど、彼がいつも「うんうん」って聴いてくれるだけで、なんも問題は解決してなくても、なんも現実的に前には進んでいなくても、「わたしの気持ち・状況を理解してくれている大切な人がここにいる」ってことが、わたしの力になるんですよね。
もちろん、ようちゃんのお母さんに聞かないとその時どう思っていたかはわからないけど、「わたしが聴くことはできるよ」って、相手の状況や顔色や気持ちを想像したうえで、ようちゃんが自分にできることを相手に伝えたのは、それってすばらしいことだよなぁとおもいました。
そして、「聴いてもらう(半分負担をとりのぞいてもらう)」か、「まだ聴いてもらわない(出したくても出せないのか、自分でまだ頑張りたいのかはわからないけど)」の選択はお母さん次第だし、ようちゃんが「いつでもわたしが聴くことはできるからね」って味方でいる気持ちを伝えたことが、お母さんの「わたしはまだ大丈夫」って心の余裕をつくったかもしれないですよね。
ま、ここまでくると希望的観測みたいになるので、もちろん本当のところはわからないんですけども。
でも、ようちゃんがそのときやれることをしたこと。相手に伝えたこと。そのとき存在した「相手を楽にしてあげたい、笑顔でいてくれたらいいな」っていう気持ち。
これは真実だと思うので、劣等感どころか、「聴く」ができる自分にドヤァって自信持っていいと思うんですけど、どうでしょうね?(ドヤってる時点でそれは自信ではないかもしれないけども笑)
まぁ、そうは言っても、今この時点で悩ましいのは、いくらわたしが「ようちゃんってすごいなぁ。聴くことができるってめちゃくちゃうらやましい。才能だわ。すばらしいやん」って言ったとしても、「助けられなかった」「(相手が受けとれるかたちで)愛を届けきれなかった」っていう過去の自分の思いが呪文のように残っているだけ、その自分を許せないんですよね。
たとえば今2022年になっても、20年前の自分がずっと心にいるような感じとか。
で、ずっとそのとき自分の思い描く理想通りにできなかったことへの罪悪感があったりとか、愛を届けられないことへの、自分の思い描くかたちでの愛し方ができないことへの痛みがあったりとか。
裏を返せば、たとえば何十年前から未だにその痛みや「悪かったな」って罪悪感を持ち続けるって、どれだけ愛したいねーん!って話ですけどね。
もう、相手の気持ちや本当のところはどうなのかなんて、相手と入れ替わってみないとわからないのだから、「わたしがそうやって愛したかったんや。この世に生まれて、相手と出会えて、近づくことができてうれしかった。そうやって愛することがそのときはいいと思ったんや」って開き直れれば楽なんですけどね。
はぁ・・・人生って難しいなぁ(今更)
また、「話すと良くないことが起こる」っていうのも、よくわかります。
「言いふらしてほしくないことを言いふらされた」って被害者になるのも、「勝手に言っちゃいけないことを言ってしまった」って加害者になるのも、どっちも精神的に罪悪感だったり、自分責めをしてしまいますよね。
言わずもがな相手の気持ちを理解できるようちゃんならなおさら、相手のことを察することができるからこそ、自分を責めることをしてきたのかもしれないですよね。
で、結果的に120%頭や神経をつかって、精神力をつかってもうまくいかないことが多かったなら、そりゃ「自分は聴きまっせ」ってモードになりますよね。
自分が話すのが苦手だからとか、自己開示が苦手だからって理由ではなくて、「ただただ話を聞くのが好き」っていうのなら、それはそれでやっぱりすごいことだと思うんですけど、ようちゃんは好きだったりするんでしょうか?
さて、わたしの苦手な「漢字」の話をさせてもらおうと思いますけども、まず手書きで書くときに「ぜんぜん思い出せなくなる」というのがあります。
たとえば、仕事で手書きでメモを取るときとかも、基本的に漢字が思い出せないので8割方ひらがなになるし、役所の手続きとか、誰かへの手紙やお知らせを手書きで書く時も、携帯の文字変換が欠かせません。
あと、以前日本にいるときに、小さい公園で実家の犬2匹をお散歩させていて、財布を入れたお散歩バックを20mくらい離れたベンチに置いてたんですけど、それを盗まれて警察を呼んだことがあって、警察署で盗難届を出したんですね。
で、そのときに「盗難調書」みたいな感じで、盗まれるまでの経緯を手書きで書く必要があったんですけど、そこでも「財布」って文字すら書けないし、携帯は電池切れで変換できないし、警察の人に「警察ってどんな字でしたっけ?」って聞くわで、すごく恥ずかしい思いをした記憶があります。
あと、字が上手い人や、日々手書きで漢字を書いてる人のそれとちがって、わたしが漢字を書くと、「へん」と「つくり」が離れすぎてたり、バランスがおかしかったりして、書き慣れてない感じが出てしまうんですよね。
それが恥ずかしいというか、自分で「いや新しいシルエットクイズやん」って思うというか。
だから、仕事やなにかで知り合った人が、サラサラってその場でメモを書いてくれたりしたときに、なにも見ずに漢字をスラスラ書いてると、「うおぉ!すげー!!!」ってちょっとカッコよく見えるんですよね。
あと、たとえば講座やセミナーで、大勢の前でホワイトボードとかに手書きで書かなきゃいけないときに、私の場合は漢字をスラスラ書けないので、それも恥ずかしく感じるというか。
そう、なんかコンプレックスというより、「恥ずかしい・・・」って思うんですよね。。
漢字の読み間違いもあるし、意味のはき違えもあるし、そういうのがすごく恥ずかしくて、「漢字苦手だわ・・・」ってなってます。
ぜったい改善したいってことでもないんだけど、ここで告白させていただきました(笑)
Six TONESのこと、ようちゃんは箱推しなんですね!
しかも日替わりで推しが変わるなんて、わたしでいうところの「日替わり弁当」とか「日替わり定食」みたいな楽しみがあるんだろうなぁ♪
ジャニーズのグループも、セクシー系とか、カッコいい系とか、おもしろ系とか、かわいい系とか、天才系とか、いろいろありますよね!
Six TONESを例えるならば、何弁当なんだろう?(何定食?でもいいかもしれないけど)
わたしの習い始めたグルジアダンスは、まずは全8回を修了しました!
30人くらいいたんですけど、その中で10歳のマリちゃんという子が日本大好きらしくて、毎回恥ずかしがりながら話しかけてくれて、とてもうれしかったです!
しかもレッスンの最終日にわたしの似顔絵を描いてプレゼントしてくれて!!!
それも含めて、あらためて幸せだなぁとおもいました。
どうしてこんなにグルジアダンスが好きなのか、どこがそんなに魅力的なのかは、また次の機会に書こうとおもいます!!
来年の目標ですけど、ようちゃんは
いいじゃないですか~!
モーニングノートっていう単語も初めて聞いたんですけど、調べてみたら「朝の時間にその時思ったことを書いていく」っていうノートのことなんですね^^
朝は「ねみぃ~・・・う~・・・ちょっと光強すぎやろ・・・目つぶす気か」とか考えてるわたしにとって、
・ねむい
・ねむくて仕方ない
・これ書いてる暇あるなら寝たい
・時間止まってほしい
・今日って本当に平日か?
・昔までちゃんと遡って調べたら今日土曜じゃね?
とか、うだつの上がらないことしか書かなさそうで、たぶんミッドナイトノートしか書けないかもしれない。
だから、ようちゃんみたいになにか自分の持ち物に「書く」ということを続けている人って本当にすごいなと思うし、それも朝やろうとするなんて、本当に尊敬というか、ちょっと2㎜くらい目が飛び出してます。
手帳も、考えようによっては「作品」ですよね。
昔プリクラが流行ってたころに「プリ帳」とかいって、撮ったプリクラとかを貼りつける手帳みたいなのがあったんですけど、それも「作品」だと思うんですよね。
だから、手帳を書き続けてる人って、それが「タスク帳」のような使い方だったとしても、「作品」をつくってるって感じがして、カッコいいなぁとおもいます。
とはいえ、自分が楽しいと思ったことをやっていけばいいと思うので、ようちゃんが無理せず焦らず、マイペースに楽しい気持ちで手帳と付き合っていけますように^^
グルジアも年末が近づいてきて、クリスマスの装飾品がたくさん売られたり、いろんな通りや家に飾られはじめました。
グルジアはキリスト教(グルジア正教会)が多いので、12月25日はなにもなくて、クリスマスが1月7日にあります。
年末年始やクリスマスは大型花火が上がることが多いんですが、それに伴っていろんなところで花火が売られるからか、子供たちが爆竹を手に入れて、しょっちゅう「バンッ!!!」って鳴らしててけっこうビックリします。
でも、新年を祝う大型花火はだいたい各家庭が上げているんですけど、それはそれは本当に壮観で、なににも変えられない感動があったりするんですよね。
「あぁ、こうやって家族や大切な人と想い合っているんだなぁ」
「まさに愛と平和と健康の願いがこんなにもたくさん夜空に輝いてるんだなぁ」
って感じがして、グルジアダンスを見たときとはちょっとちがう、圧倒されるというか、敵わないような大きさの愛を感じます。
また会ったときに見せられたらいいなぁ。
ようちゃんは年末年始のお決まりというか、「こう過ごすのが好き!」っていうのがありますか?
さぁ、師走も「しあわせを増やしわす!」ってことで、おいしいもの食べて、テキトーに愚痴りながら、真剣に楽しいことしていきましょう!
関西ではおでんに「梅焼き」なるものがあるらしいですが、そんなステキなものをホフホフしながら、ほがらかにお過ごしくださいね。
ふぁーこ
こんにちは。
さっそくお返事をくれてありがとうございます!
寒さもさることながら、あわただしい季節になってきましたね。
とはいえ、個人的には12月になって味噌汁のうまさが倍増している今日この頃です。ようちゃんもホッカホカしてますか?
そうそう、おかげさまで蚊助のやつは無事に嫁の元に戻っていったようで(そりゃあれだけわたしの血を吸えば満足だろう)、若干私の血で酔ってフラフラしながら帰っていきました。
>私は幼いときに蚊に刺されまくったせいか、刺されても三時間も経てば元に戻っていて、それで終わりなのです。でも!あの羽音は許せません。私の(無駄な)恐怖心が「耳の中に蚊が入ってきたらどうしよう?」と囁き始めるのです。そんなのレアケースなんだけど!心配症過ぎるんだけど!でも、イライラするし怖いですね。
ようちゃんは蚊の音のほうがイヤなんですね。しかも、イヤな理由が「耳の中に入ってきたらどうしよう?」という怖れからかぁ。
それはわたしは考えたことがなかったので、新鮮な気がします。
でも、
>蚊はいいとして、Gを見つけても騒ぎませんが怖いのは、ムカデです。以前、窓の傍の通風口から室内に入ってきて私の肩に噛みつきやがり、刺されてめちゃくちゃ腫れた事があったのです。
こんな体験をしていたなら、そりゃあ蚊だろうが蟻だろうが、なんか得体の知らないものが自分の知らないうちに「自分」というテリトリーに近づくことに恐怖を覚えますよね。めちゃくちゃ腫れたり痛かったりすると、なおさらですよね。
わたしは蚊よりも蜘蛛の姿かたちが怖くて苦手なんですが、ようちゃんのように「寝てる間に近づいてきて耳とかに入ってきたらどうしよう・・・」と思ってたことがあります。
あいつら足長すぎだろ・・・とか。
あきらかに毒持ってる姿の虫代表というか。
FIFAが「毒持ってる虫姿W杯」を開いたら、ぜったい一般家庭部門では蜘蛛が優勝だろと勝手に思ってます。
ちなみに、蚊助の野郎には、「おまえ今度来るときは呼び鈴押して玄関から入って来い」って言っておいたので、ようちゃんも万が一呼び鈴が鳴らないうちに蚊を見つけたら、「人様んちに上がるんなら呼び鈴ならさんかい!!」って指導してやってください。
さて、前回のお返事では、たくさんようちゃんのことを教えてくれてありがとうございました。
「ようちゃんは秘密主義だなぁと思う(もちろん悪い意味ではなくて)」というわたしの手紙に応えてくれて、ありがとうございます。
>本人としては秘密主義と言われればそうなのかも?という感じで、自覚はないのです。 自己分析では、とても単純なところ(ここ大事!)と複雑(拗れてるというべきかも)な部分があって、その振り幅が大きいんだろうなと思っています。
たしかにそうかも!と思いました。ようちゃんの分析、とてもわかりやすかったです。
そうそう、ようちゃんは素直で繊細な感受性があって、それを表現して出せる人の前では出せるんだと思うんですが、繊細で優しいゆえに、知らないうちに傷つけられた(傷ついてしまった)ことも多くて、こっちからようちゃんのことを根掘り葉掘り知ろうとしてしまうと、ようちゃんですらまだ触れたくない傷が残ってたりして、そこに触れるタイミングは自分で決めないと怖いので出さないようにしてるのかも?というか。
でもそれは、いつかの昔に、自分を隠したり、自分を嫌悪したり、自分を出さないというやり方で、誰かを守ろう、愛そうとしてできた傷もあるのだろうなと思ったんですね。
>人はみな親から多大な影響を受けると思いますが、まず母からの影響が大きいです。私の秘密主義度がレベル1ならば、母は…レベル20位かも。母が小さい頃の話とか聞いてみてもあまり話してくれないです。小学生のころ、嫁姑問題に悩んでいた母の思いを聴くことがあり「私が話を聞いてあげるから」と答えたことが、カウンセラーを目指すきっかけになっていたりもします。
へぇぇぇ!ようちゃんはお母さんの悩みに「わたしが聞いてあげるから」って言ったことが、カウンセラーを目指すきっかけになったんですね。小さいころのようちゃん、ちゃんと自分のできることを知っててすごいなぁ。
「聞くよ」って、やっぱり相手の状況とか、変化とか、顔色とか、気持ちを想像できなかったら言えてないと思うんですよね。
そして、ようちゃんは「聴くことしかできない」って書いてくれたけど、「聴く」って相手の負担を半分取り除いてあげられる行為だとおもうんですよ。
わたしは彼に、悪いことも、弱音も、愚痴も、彼の状況とかを加味せずにしゃべっちゃうんですけど、彼がいつも「うんうん」って聴いてくれるだけで、なんも問題は解決してなくても、なんも現実的に前には進んでいなくても、「わたしの気持ち・状況を理解してくれている大切な人がここにいる」ってことが、わたしの力になるんですよね。
もちろん、ようちゃんのお母さんに聞かないとその時どう思っていたかはわからないけど、「わたしが聴くことはできるよ」って、相手の状況や顔色や気持ちを想像したうえで、ようちゃんが自分にできることを相手に伝えたのは、それってすばらしいことだよなぁとおもいました。
そして、「聴いてもらう(半分負担をとりのぞいてもらう)」か、「まだ聴いてもらわない(出したくても出せないのか、自分でまだ頑張りたいのかはわからないけど)」の選択はお母さん次第だし、ようちゃんが「いつでもわたしが聴くことはできるからね」って味方でいる気持ちを伝えたことが、お母さんの「わたしはまだ大丈夫」って心の余裕をつくったかもしれないですよね。
ま、ここまでくると希望的観測みたいになるので、もちろん本当のところはわからないんですけども。
でも、ようちゃんがそのときやれることをしたこと。相手に伝えたこと。そのとき存在した「相手を楽にしてあげたい、笑顔でいてくれたらいいな」っていう気持ち。
これは真実だと思うので、劣等感どころか、「聴く」ができる自分にドヤァって自信持っていいと思うんですけど、どうでしょうね?(ドヤってる時点でそれは自信ではないかもしれないけども笑)
まぁ、そうは言っても、今この時点で悩ましいのは、いくらわたしが「ようちゃんってすごいなぁ。聴くことができるってめちゃくちゃうらやましい。才能だわ。すばらしいやん」って言ったとしても、「助けられなかった」「(相手が受けとれるかたちで)愛を届けきれなかった」っていう過去の自分の思いが呪文のように残っているだけ、その自分を許せないんですよね。
たとえば今2022年になっても、20年前の自分がずっと心にいるような感じとか。
で、ずっとそのとき自分の思い描く理想通りにできなかったことへの罪悪感があったりとか、愛を届けられないことへの、自分の思い描くかたちでの愛し方ができないことへの痛みがあったりとか。
裏を返せば、たとえば何十年前から未だにその痛みや「悪かったな」って罪悪感を持ち続けるって、どれだけ愛したいねーん!って話ですけどね。
もう、相手の気持ちや本当のところはどうなのかなんて、相手と入れ替わってみないとわからないのだから、「わたしがそうやって愛したかったんや。この世に生まれて、相手と出会えて、近づくことができてうれしかった。そうやって愛することがそのときはいいと思ったんや」って開き直れれば楽なんですけどね。
はぁ・・・人生って難しいなぁ(今更)
また、「話すと良くないことが起こる」っていうのも、よくわかります。
「言いふらしてほしくないことを言いふらされた」って被害者になるのも、「勝手に言っちゃいけないことを言ってしまった」って加害者になるのも、どっちも精神的に罪悪感だったり、自分責めをしてしまいますよね。
言わずもがな相手の気持ちを理解できるようちゃんならなおさら、相手のことを察することができるからこそ、自分を責めることをしてきたのかもしれないですよね。
で、結果的に120%頭や神経をつかって、精神力をつかってもうまくいかないことが多かったなら、そりゃ「自分は聴きまっせ」ってモードになりますよね。
自分が話すのが苦手だからとか、自己開示が苦手だからって理由ではなくて、「ただただ話を聞くのが好き」っていうのなら、それはそれでやっぱりすごいことだと思うんですけど、ようちゃんは好きだったりするんでしょうか?
さて、わたしの苦手な「漢字」の話をさせてもらおうと思いますけども、まず手書きで書くときに「ぜんぜん思い出せなくなる」というのがあります。
たとえば、仕事で手書きでメモを取るときとかも、基本的に漢字が思い出せないので8割方ひらがなになるし、役所の手続きとか、誰かへの手紙やお知らせを手書きで書く時も、携帯の文字変換が欠かせません。
あと、以前日本にいるときに、小さい公園で実家の犬2匹をお散歩させていて、財布を入れたお散歩バックを20mくらい離れたベンチに置いてたんですけど、それを盗まれて警察を呼んだことがあって、警察署で盗難届を出したんですね。
で、そのときに「盗難調書」みたいな感じで、盗まれるまでの経緯を手書きで書く必要があったんですけど、そこでも「財布」って文字すら書けないし、携帯は電池切れで変換できないし、警察の人に「警察ってどんな字でしたっけ?」って聞くわで、すごく恥ずかしい思いをした記憶があります。
あと、字が上手い人や、日々手書きで漢字を書いてる人のそれとちがって、わたしが漢字を書くと、「へん」と「つくり」が離れすぎてたり、バランスがおかしかったりして、書き慣れてない感じが出てしまうんですよね。
それが恥ずかしいというか、自分で「いや新しいシルエットクイズやん」って思うというか。
だから、仕事やなにかで知り合った人が、サラサラってその場でメモを書いてくれたりしたときに、なにも見ずに漢字をスラスラ書いてると、「うおぉ!すげー!!!」ってちょっとカッコよく見えるんですよね。
あと、たとえば講座やセミナーで、大勢の前でホワイトボードとかに手書きで書かなきゃいけないときに、私の場合は漢字をスラスラ書けないので、それも恥ずかしく感じるというか。
そう、なんかコンプレックスというより、「恥ずかしい・・・」って思うんですよね。。
漢字の読み間違いもあるし、意味のはき違えもあるし、そういうのがすごく恥ずかしくて、「漢字苦手だわ・・・」ってなってます。
ぜったい改善したいってことでもないんだけど、ここで告白させていただきました(笑)
Six TONESのこと、ようちゃんは箱推しなんですね!
しかも日替わりで推しが変わるなんて、わたしでいうところの「日替わり弁当」とか「日替わり定食」みたいな楽しみがあるんだろうなぁ♪
ジャニーズのグループも、セクシー系とか、カッコいい系とか、おもしろ系とか、かわいい系とか、天才系とか、いろいろありますよね!
Six TONESを例えるならば、何弁当なんだろう?(何定食?でもいいかもしれないけど)
わたしの習い始めたグルジアダンスは、まずは全8回を修了しました!
30人くらいいたんですけど、その中で10歳のマリちゃんという子が日本大好きらしくて、毎回恥ずかしがりながら話しかけてくれて、とてもうれしかったです!
しかもレッスンの最終日にわたしの似顔絵を描いてプレゼントしてくれて!!!
それも含めて、あらためて幸せだなぁとおもいました。
どうしてこんなにグルジアダンスが好きなのか、どこがそんなに魅力的なのかは、また次の機会に書こうとおもいます!!
来年の目標ですけど、ようちゃんは
>毎年9月位から手帳を見に行くくらい、手帳は好きなのですが………。手帳に楽しい予定を書きたいんですよね。その発展形として、モーニングノートとかも書いてみたいです。
楽しい予定を手帳に書きたいってことなんですね!いいじゃないですか~!
モーニングノートっていう単語も初めて聞いたんですけど、調べてみたら「朝の時間にその時思ったことを書いていく」っていうノートのことなんですね^^
朝は「ねみぃ~・・・う~・・・ちょっと光強すぎやろ・・・目つぶす気か」とか考えてるわたしにとって、
・ねむい
・ねむくて仕方ない
・これ書いてる暇あるなら寝たい
・時間止まってほしい
・今日って本当に平日か?
・昔までちゃんと遡って調べたら今日土曜じゃね?
とか、うだつの上がらないことしか書かなさそうで、たぶんミッドナイトノートしか書けないかもしれない。
だから、ようちゃんみたいになにか自分の持ち物に「書く」ということを続けている人って本当にすごいなと思うし、それも朝やろうとするなんて、本当に尊敬というか、ちょっと2㎜くらい目が飛び出してます。
手帳も、考えようによっては「作品」ですよね。
昔プリクラが流行ってたころに「プリ帳」とかいって、撮ったプリクラとかを貼りつける手帳みたいなのがあったんですけど、それも「作品」だと思うんですよね。
だから、手帳を書き続けてる人って、それが「タスク帳」のような使い方だったとしても、「作品」をつくってるって感じがして、カッコいいなぁとおもいます。
とはいえ、自分が楽しいと思ったことをやっていけばいいと思うので、ようちゃんが無理せず焦らず、マイペースに楽しい気持ちで手帳と付き合っていけますように^^
グルジアも年末が近づいてきて、クリスマスの装飾品がたくさん売られたり、いろんな通りや家に飾られはじめました。
グルジアはキリスト教(グルジア正教会)が多いので、12月25日はなにもなくて、クリスマスが1月7日にあります。
年末年始やクリスマスは大型花火が上がることが多いんですが、それに伴っていろんなところで花火が売られるからか、子供たちが爆竹を手に入れて、しょっちゅう「バンッ!!!」って鳴らしててけっこうビックリします。
でも、新年を祝う大型花火はだいたい各家庭が上げているんですけど、それはそれは本当に壮観で、なににも変えられない感動があったりするんですよね。
「あぁ、こうやって家族や大切な人と想い合っているんだなぁ」
「まさに愛と平和と健康の願いがこんなにもたくさん夜空に輝いてるんだなぁ」
って感じがして、グルジアダンスを見たときとはちょっとちがう、圧倒されるというか、敵わないような大きさの愛を感じます。
また会ったときに見せられたらいいなぁ。
ようちゃんは年末年始のお決まりというか、「こう過ごすのが好き!」っていうのがありますか?
さぁ、師走も「しあわせを増やしわす!」ってことで、おいしいもの食べて、テキトーに愚痴りながら、真剣に楽しいことしていきましょう!
関西ではおでんに「梅焼き」なるものがあるらしいですが、そんなステキなものをホフホフしながら、ほがらかにお過ごしくださいね。
ふぁーこ
〇〇〇〇〇〇〇
それではきょうも、ロープで吊るされた国会議事堂ができたようになったようないい夢をみましょう~!
゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚
今日のあなたへの占いはこちら↓
ポチッと占う(無料)
゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚
コメント