こんばんは!
WhyWhyカウンセラーのふぁーこです!
きょうはココロノマルシェへのご相談にお答えしたいとおもいます!
〇〇〇〇〇〇〇〇〇
がーすーさんからのお悩み
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このご質問の結論から申し上げるとすると、わたしとしては、がーすーさんならこの苦しみから抜け出すことはできるとおもいます。
1つはココロノマルシェに相談をしようと行動されたことです。
苦しみから抜け出すには、「この問題(悩み)をなんとかしたい」という主体的な意思がなければ動けないわけで、そして現状を変えようとするための勇気が必要だったりします。
がーすーさんはそれをどうにかしたいと思って主体的に行動できたのですから、もう半分くらい自分の足で問題を解決する道に踏み出していると考えられます。
2つ目は過去の自分、今の自分を客観的に見ることも分析することもできるということです。
がーすーさんの文章は時系列やその時の感情、また背景などがとても読みやすく、客観的に自分のことを捉えられているのだなぁと感じました。
客観的に捉えたものを「勉強」や「仕事」のように活かそうとか、考えようとするのが「頭」だとしたら、「心」というのはその時その時で起こったことをただただ感じる(もしくはいずれかの感情が出てくるだけ)なんですね。
そのような心で感じることや感情を受けいれることに慣れていないと、あたふたしたり、慣れていない分苦しみが倍増するように感じたりするものです。
でも客観的に見たり分析できるくらいですから、まだ「心」で感じることに慣れていらっしゃらなかったり、抵抗があるだけで、もしそれを肯定できたらすこしづつラクになるのではないかなとおもいます。
3つ目は
>以前の彼女への執着、依存を手放し、家族を愛せたらいいなと思っています。
ご自身で「~したい」「そっちの方向でいけたら」という方向性の目星をつけていらっしゃったところです。
わたしは現時点では、がーすーさんが罪滅ぼしの気持ちからご家族を愛そうと思っていらっしゃるにしろ、ほんとうに愛したいという気持ちからそう思っていらっしゃるにしろ、それは問題ではないとおもっています。
もしもがーすーさんが「家族には幸せでいてほしい」と願うならば、それはきっとご家族も同じではないかな、と思うからです。
がーすーさんがご家族に願うように、ご家族もどのくらいの割合かはわかりませんが、「がーすーさんに幸せでいてほしい」と願ってくれているのではないかとおもいます。
もしその願いにがーすーさんが気づけたのであれば、まずはご自身が幸せになることで、ご家族を安心させたり、喜ばせたり、新たなしあわせを築いていくこともできるのではないかな、とおもったんですね。
ですから、ご家族や誰かの気持ちを大切にしたいと考えることができるがーすーさんだからこそ、ご自身の気持ちや「心」というものと向き合うこともできる人なのではないかとおもいました。

さて、今回はまず「自分の中の禁止をゆるめる」というところからお話したいとおもいます。
禁止というものは、なにかを禁止しようとする思いが強いほど、その禁止しようとしている事柄を強く意識してしまい、執着してしまうということが起こります。
例えば
「ダイエットをしなければいけない」
↓
「甘いものを食べてはいけない」
↓
(マイルール・基準発令)
「甘いものを食べない自分でいるために"甘いもの"という基準を意識し続ける必要がある」
例)「甘いものを食べちゃダメだ甘いものを食べちゃダメだ・・・」と禁止の基準が甘いものなのでその基準を忘れられない
↓
「甘い物についてずっと考えてしまう」
というような流れができたりするんですね。
今回のがーすーさんの件で言うと、
「彼女のことは忘れなければいけない」
↓
「彼女に未練がない(執着してしない)自分でいなければいけない」
↓
「彼女に今未練がないか、執着していないか自分でジャッジするために"彼女"という存在(基準)を意識し続ける必要がある」
↓
「彼女について意識し続けてしまう」
という状況ではないかとおもいます。
で、わたしはそもそも「それ、本当に忘れなきゃいけないの?」「それ、忘れようと思って忘れられるものなの?」と思ってしまうタチなので、
まずは、"忘れなければいけない"という考え方を手放しましょうか、というお話をさせていただこうとおもいます。
もし、今のがーすーさんのお気持ちが「彼女のことを前向きに忘れたい!消化したい!あれがあったおかげで今があるんだ!」とご自身を肯定した上での忘れる(手放す)選択ならば、がーすーさんはわたしがなにかアドバイスするまでもなくご自身の力で進んでいくことができる人だとおもいます。
でももしも「彼女を早く忘れなければ。執着をなくさなければいけない・・・」と思うようなときは、がーすーさんのご家族や誰かを思う優しい気持ちからくる焦りや罪悪感からであることも重々理解できるのですが、
「○○しなければいけない」という義務感や命令・禁止的意識であるがゆえに、手放すことを遠ざけてしまう可能性があるのではないかなとおもったんですね。
例えば仕事を例にすると、
「この作業やこの仕事時間は好きだ!ほかのだれでもない自分が担当したい!」と思う仕事というのは言うまでもなくはかどるでしょうし、気分も自分のやりたいことなのでやってていい気持ちがしますよね?
でも「うわ〜、めんどくさいなぁ。大変だなぁ。でもこれも仕事だからやらなきゃいけないなぁ」と思うような仕事というのは前者に比べて動きが鈍くなったり、向上心ややりがい、前向きな気持ちが出てき辛いですよね。
それは「○○しなければいけない」という義務感や命令・禁止的意識を自分が持つがゆえに、「本当はやらなくていいならやりたくないけど、やらなきゃいけない」と自分を無理やり縛りつけているようなものだからなんですね。
自分が「No」とか「やりたくない」とか、「やらない」「気分が乗るまでやらない」とか「誰かに任せる」とかいう選択肢を選ぶことができず、「自分でやらなきゃいけない」と自分自身に命令を科している状況です。
これはストレスが溜まるものですし、その感情をずっと我慢し続けると感情がマヒしてしまったり、病気として現れたりすることもあります。
だからそのバランスをうまくとることが難しいのですが、
思考(頭で考えたり意識すること)+感情(感じること)+行動
というこの3つが一致できたときに自分自身のバランスをうまくとれていると考えることができるんですね。

がーすーさんの場合、ご相談文の中で「自分を責めて」というご自身を責めているという言葉が4回も登場しましたから、わたしからすれば相当がーすーさんはご自身の心を思考という刀でめった刺しにしている印象です。
そんなめった刺しで血だらけなのにもかかわらず、
と行動しようとされていて、でも心には「まだ心にしこりとして残っている以前の彼女がいない」という気持ちがあるわけです。
どっからどう見ても足並みバラバラですよね?そんな血だらけの人が目の前に現れたら、まず血だらけのほうをなんとかしてから、次の行動に移ったほうがいいとおもいませんか?

だから、まずは思考→「自分を責めて」を「そんな自分をも肯定して」に変えていきましょうかということになります。
そこで具体的には、先ほどお伝えした「忘れなければいけない」を手放しましょうというお話になるんですね。(長々と戻ってまいりました)
彼女のことを無理に忘れる必要はないのではないかとわたしは考えます。
もちろん、忘れられないからこその辛さ、苦しみ、悲しみ、むなしさなど、感じたくない感情がたくさんあることもわかります。
けれど、心というのは不思議なもので自分で感じてあげる分だけそのときの感情も浄化(手放すような)してあげることができるんですね。
ですからまずは自分が人生のこれだけ長い期間をかけても愛そうとした、大切におもってきた気持ちの部分を否定せずに認めて感じてあげるんです。
彼女に対して出てくる気持ちを紙に書き出すでもいいですし、こうしてカウンセラーや信頼できる人に話すというのも効果的です。
気持ちを感じる(頭で正しい・正しくないとかこうすべきとかを考えるのではなくただ出てくる気持ちをそうだったねと感じる)のは、男性はとくに普段感情を抑圧されている方が多いので苦手だという方も少なくありません。
また、最初はさみしさや苦しさ、怖さや罪悪感があると1人でやるのがよけい憂鬱になる可能性もあります。(書けない、筆が進まないなど)
そういった意味でこうしてココロノマルシェしかり、カウンセラーしかり、誰かを通じて自分の心を感じる練習をしていくのがいいかもしれませんね。
また、もう1つ「罪悪感」をテーマにお話させていただくと、
罪悪感や自己否定というのはこう思うことで先に自分をめった刺しにし、罪を負うかわりにこれ以上誰かに傷つけられないように自分を守るような作用もあるのですが(はい、私もお得意さまでした)、

わたしからすればがーすーさんの文章の中には奥さんの気持ちが奥さん主体の言葉で書かれていないので、
「本当に奥さんはかわいそうな人なのか?奥さん自身がそう感じているのか?」
「奥さんはがーすーさんからの愛を感じていないのか?」
と、そこは奥さんしかわからないのではないかな、とおもいました。
もしも奥さんががーすーさんの「彼女への未練」を知ったら、がーすーさんに失望したり、ショックを受けて距離を置くなどといったこともあるかもしれませんが、
もしかしたらがーすーさんの気持ちを理解しようとしたり受けとめようとするような気持ちが出てくるかもしれません。
それは奥さんにしかわからないし、奥さんがどうするか、どう思うかは奥さん自身の自由です。
であれば、がーすーさんそこまで奥さんを思うのであれば、まずは奥さんを先に幸せにしようとするのではなく、やはり自身が幸せでいられること(自分らしく生きてること)を肯定したあとで、奥さんを幸せにできることを考えてみるほうがはるかに気持ちも行動もスムーズにクリアになるとおもいます。
そこで、今回のコツは、「自分に自由を許可する」ということです。
今までダメだったこともOKだったことも、あれもこれも、こうだろうとああだろうと、それでオッケーと許してあげることです。
今は無理に彼女のことを忘れなくてもオッケー。
今は彼女と奥さんを比較してしまう自分でもオッケー。
今は中途半端なまんまでもオッケー。
私は弱さを持つ自分でもオッケー。
私は不完全な自分でもオッケー。
私は今この自分でオッケー。

このように、自分が「ダメ」とおもっている部分をオッケーと言い換えて唱えてあげるんですね。
それは、がーすーさんのように自分を罰して罰して、罪で羽交い締めにして、思考でビシバシと自分を牢屋に閉じこめているところに自由の扉を解放してあげるようなイメージです。
もちろん、これは最初はなかなか「でもこんなこと言ったって自分なんかが許されるわけない・・・」とか「オッケーなんてそんなこと思えない・・・」とか罪悪感の檻にまた閉じ込めるように仕向けてくるとおもいますが、
とにかく携帯のカレンダーに毎日この文言を入れて朝通知が来るようにしておいたり、ロック解除後の画面の待ち受けにしたり、ここにまた読みにきたり、目につくように自分で工夫するだけでも頭が無意識にその言葉を認識して思考を変化させることができます。
「ぜったいこうでなければいけないんだ!」とか「ぜったいこういう自分でなければいけない!」と思っていたけど、
少しづつ「こういう自分でもオッケーなのかもしれない」とか「こうでなければいけないと思っていたけどこっちの選択肢もオッケーなのかもしれない」と選択肢が広がれば、自分を縛っている苦しみをゆるめていってあげることができます。
というわけで、最後に堂々と告知になりますがもし直接お話されたいということでしたらこちらへどうぞ!
それから、またいつでもココロノマルシェのほうもご利用くださいね。

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それではきょうも、瓶詰にされた手紙が火星に届いたようないい夢をみましょう~!
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