こんにちは!

WhyWhyコーチのふぁーこです。

このお手紙は、よこたにカウンセラーとマイペースに書き綴るブログ間文通です。

512F4727-E49F-4908-BA58-1376AA018595

第一回は「投影ってややこしいですよね」をお送りしました。

よこたにカウンセラーからのお返事はこちらです。

「ふぁーこさんへのお返事」

第二回は「いっしょに「蚊想通貨」をつくってみませんか?」をお送りしました。

よこたにカウンセラーからのお返事はこちらです。

「ふぁーこさんへのお返事 その2」

第三回は「はぁ・・・人生って難しいなぁ(今更)」をお送りしました。

よこたにカウンセラーからのお返事はこちらです。

「ふぁーこさんへのお返事 その3」

第四回は「自己受容・・・言うは易く行うは難し・・・」をお送りしました。

よこたにカウンセラーからのお返事はこちらです。

「ふぁーこさんへのお返事 その4」

今回は第五回をお送りいたします。

〇〇〇〇〇〇〇


ようちゃんへ


こんにちは。

こちらは桜や野花が咲く季節を迎え、そろそろ「イースター」という、キリストが復活したことを祝う「復活祭」があります。

毎年復活祭のための祝日がだいたい4日間あって、その中の日曜日が復活日となっています。

その期間は殻ごと赤とか緑とか茶色とかに彩ったタマゴや、うさぎなどのかわいい動物の飾りを飾ったり、あとグルジアでは「パスカ(პასკა)」と呼ばれる円柱のかたちをしたケーキ(パン)を食べるのが伝統的です。

わたしもその日は隣人のよくしてくれているグルジア人のご夫妻のところに行って、いろんな意味で復活を遂げたいとおもっているところです。



いやいや、それはともかくとして、ようちゃんは声の調子はどうですか?

声が出ないって、誰かと話す(話したい)という意欲が少ないときは好都合ですが、やっぱり「いつもと違う」という違和感とか、「健康的でない」という不安とか、「良くなるか悪くなるかもわからない」という怖れとか、いろいろな感情が出てきますよね。

体力まで落ちていると、尚更心細かったのではないかなと思います。

今はそこから一か月くらい経ったころでしょうか。

少しずつでも、回復しているといいのですが・・・!



しかし、私信でも、こうしてお手紙でやりとりしていても、ようちゃんは自分のことや、周りで起こったことを心理的に分析していてすごいなぁとおもいます。

>さて。声が出にくかったり体調が不調でも、いろいろな方になにかと話しかけられます。それを聞いていると、どうしても、今!私に!伝えなくてもいいんじゃないの?と感じることに改めて驚きました。
(中略)
そしてこんなにも強く自分が「大切に扱われたい」と思っている、と気付けたのが個人的に大きいです。

他人から「大切にされたい」と、自分が思っていることに自分で気づく。

これってすごく自認するのが難しいというか、無意識だし当たり前のようにある欲求だと思うんですね。

だから、そういう当然のようにあったものに気づくってすごいなと思います。

大切にされたい。

言葉に出してみると、なんとまぁすごく単純で純粋な欲求で、これを小さな子供が言っていたら「かわいいなぁ」って感じられるのに、どうして私たちはこうして当然のようにみんなが持っている「大切にしてほしい」「尊重してほしい」という気持ちを外に表現するのが怖いんでしょうね。

怖いというか、恥ずかしいというか。

恥ずかしいというか、抵抗があるというか。

>でも他人に話すときに、「そんな悩みを抱えている自分を受け入れてもらえるか」を考えはじめると、私はめちゃくちゃこわいです。

こわいですよね。

こわいし、「もしまた自分が受け容れてほしいときに受け入れてもらえなかったら・・・」って不安とかを感じ続けるのもしんどいから、自立的な人は「一人でも大丈夫」って自立しようとしちゃうのかな。

>とはいえ、「優しくしてほしい」と他人に望むのは相手をコントロールしているな、とか、考えたりもします。

「優しくしてほしい」と望むのは相手をコントロールしている。

たしかに、無意識にそうしちゃってることもあるかもしれないですよね。

自分が思う「優しさ」を与えてもらいたい。

自分の考える「大切にするやり方」を自分に与えてほしい。

自分の中にある「尊重の仕方」で、自分にも尊重してほしいと、そう思ってる。

>その瞬間に自分が欲しい言葉をかけてもらいたかったり、思いや共感をしてほしい、と私は考えているようです。それが私の望む「自分が他人から大切にされていると感じられる」状況の一つなのではないか?と思っています。

このようちゃんの言葉を聞いて、あの某ひろゆき氏の言っていたエピソードを思い出したんですけど。(某の意味)

彼が小学生くらいのときに、彼はすごくトカゲが好きで、トカゲをたくさん捕まえたり、いつもトカゲと遊んだりしてたらしいんですよね。

それで、あるとき彼はその自分の大好きなトカゲをプレゼントしようと思って、下の階のおばさんの家にたくさんのトカゲをばら撒いたらしいんですね。

結果、おばさんは大激怒。

ひろゆき氏からしたら、自分にとって「トカゲ」という、大好きで大切な存在を相手にプレゼントするのは、少なくとも「相手を喜ばせたい」という気持ちがあったからだろうし、「自分が大好きなもので相手を喜ばせられたら自分もうれしい」という気持ちだったんじゃないかなと。

でも、おばさんからしたら、「わたしのことを大切にしてくれてない」「わたしのことを理解してくれてない」「わたしのことを尊重してくれてない」と感じたんでしょうね。

こういうときに、無意識に「(自分の思う・納得する・理解できるやり方で)自分に優しくしてほしい」と思ってることがわかりますよね。

>そしてふぁーこさんからの「自己受容」とは?を、ずっと考えていますが「自分にいろんな面があることを知る、認める」ということなのだと思います。いろいろな面をもつ自分を認める。ゆるす。

そうか、自分にいろんな面があることを認める。

認めるだけでいいんですよね。

自分をわがままだと思う→そういう自分をダメだと思う→直さなきゃと思う

自分のメンタルに波がある→波があるのは嫌だ(困る)→直さなきゃと思う

って感じになってたんですけど、

自分をわがままだと思う→「そうか、今は自分のこういう部分をわがままだと思ってるんだな。そういう部分を持ってるとマイナスだと思うから直さなきゃって思ってるんだな」と思っておく

自分のメンタルに波がある→「そうか、これがメンタルに波があるって状態なんだな。自分で感情の波があるのは自覚できてるんだな。でもそれで振り回されたりするのがイヤだから、直さなきゃって思ってるんだな」と思っておく

強制的にどうのこうのしなきゃ!ではなくて、ただ今そこにあるものを一つ一つ認めてみるだけでいいんですね。

あー、どうして大好きなものを食べるときは

「これがあんこで、これがきな粉で、これが抹茶で、これが黒ゴマだな。先にきな粉の香りが来て、あんこと黒ゴマの甘みとお餅のモチモチがきて、最後に抹茶のほろ苦さが残るんだな・・・。ふう、最高」

って一つ一つをちゃんと認められるのに、心の中になるとそれが難しいんでしょうね。

心にも味覚がほしい。

心に味覚があったら、毎日そこがピタゴラスイッチみたいに一つ一つ感知してくれそうなのに。



さて、ようちゃん箱推しのSixTONESのお話、

>SixTONESにハマるきっかけは、一年位前に たまたま検索中におすすめ動画に出てきて見つけた(前にもお伝えしていた)  「Mr.ズドン」  の動画 からです。精神的につらかった時期でしたが、見るとあまりにも脱力感を感じて、なんだか笑えてきて。好きかも☆となりました。

なーるほど!

教えてくれてありがとうございます!

いいですね、いいですね!

やっぱり精神的にしんどい時に笑わせてもらったとか、心をふっと軽くしてもらえたものって、自分の大切なものになりますよね。

それが時にライフワークとなったりとか。

そして、SixTONESのみんなのMr.ズドンで、ようちゃんもズドンときちゃったわけですね!

ようちゃんオススメの 「カップリング3番勝負」 も見たんですけど、みんな仲がいいし、人柄がいいのが自然と見てとれる!

「愛してる」を言い合って照れちゃうのもかわいい(笑)

>土曜夜の23時30分からはラジオで「オールナイトニッポンサタデースペシャル」の枠を担当しているので、ラジオを聴いたり。

オールナイトニッポンでラジオもやってるんだ!

と思って、今それを聞きながらお返事を書いています(笑)

なんかしゃべるのがうまいというか、進行していくのがうまいというか、みんなと話しながら進めていくのがうまい人がいますよね。

この人はなんていうボーイなんだろう?

声だけだと、まだ誰が誰だかわからなくて(笑)

ちなみに、こういうグループとかを見ると、心理学でいうところの「家族の役割」という5つの役割を思い出したりして、「この人はこういう良さと役割を持てる器があるんだなぁ」と思ったりするんですけど、ようちゃんから見てSixTONESもそういう面があるなぁと思ったりしますか?

※参照:根本裕幸「家族の5つの役割~組織・グループの問題解決に役立つ視点~」



わたしは前回、週2でグルジアダンスのレッスンに通ってるって話をしたかと思うんですが、いろいろあって先日彼とロンドンのバッキンガム宮殿に行ったときに、
調子のって飛んだら、足をヤッチンガム宮殿で。

それから2週間くらい経ってだいぶよくなったんですけど、いろんな意味でバッキンガム宮殿に足を向けて寝られません。

そんなこんなで、今は通っていたグルジアダンスもちょっとお休み中です。

でも、代わりではないですけど、グルジアでは地域に住み着く地域わんこがたくさんいるので、うちの住宅地に住み着いてるわんこたちといっしょにお散歩をしたり、ごはんをあげたり、外でその子たちに会うことで癒されてます。
ZqLxgDjr2PO37t2frhgN1681154497-1681154548
ちなみに、わたしが通ってるグルジアダンスのレッスンスタジオは、インターネットとかFacebookで探して見つけたところにしました。

そのレッスンスタジオ以外にも、グルジアダンスの教室はすごくたくさんあるんですけど、主に子供たち向けだったり、青少年がプロや専門的に習うためのレッスンが多いんですよね。

で、わたしが通っているところはまぁまぁ家から近いのと、大人もアマチュアもOKだったり、全8回で好きなグルジアダンスの主な振り付けを習えるっていう、どのグルジアダンスを習うか?っていうコース選択が毎月できたりするので、ここにしようと思って決めました。

レッスンでおもしろいところは、わたしの習っているグループは女性だけのグループなんですが、年齢が5歳くらいから50歳くらいまで、だいたい20~30人くらいのさまざまな人がいるんですね。

で、国籍としては私以外グルジアの人だと思うんですが、なんか初めて行った習い事とか学校とかで「友達できるかな・・・仲良くできる人いるかな・・・」みたいに不安になったりすることってあるじゃないですか。

それが、言葉はわからなくても、グルジアの人たちも同じなんだなぁって見てとれるところですね。

それだけじゃなくて、詳しい価値観とか、性格とかはわからなくても、思春期特有の「自意識過剰モード」だったり、「うまくできなくて自己嫌悪モード」だったり、「できないのは恥ずかしいので自虐的に笑いを誘うモード」だったり、「女性同士で協調を求めるモード」だったり、「わたし身体のここがコンプレックスで・・・「いやいや、わたしなんてこんなよ」って卑下?謙遜しあうモード」だったり。

国は変わっても、そういう人間の心理的な部分って変わらないんだなぁと思ったりして、観察とまではいかなくても、おもしろいなぁと思ったりします。

直近の悩みとしては、わたしは「今覚えなきゃ!」ってことに関してはそこで覚えられるし、ダンスもそのおかげで踊れるようになるんですけど、ロケット消しゴムのように、一曲覚えるごとに以前覚えたダンスの振り付けを忘れていくという・・・。

なんかもったいないというか、覚えていたいのに、抜けちゃうのがイヤだなって思ってるところです。



というわけで、ようちゃん、愛してるぜ!

と、SixTONESに負けず劣らず愛をお伝えして、夜ごはんをつくってこようかなとおもいます。

ちなみに、今日は足の薬の副作用か胸やけがひどいので「鶏雑炊」をつくる予定です。

ようちゃんも声帯や喉にいい「大根・ハチミツ・パイナップル・しょうが・めかぶ」をたくさん食べてくだしゃんせ!

早くよくなりますように。

いつもありがとうございます!

ふぁーこ



〇〇〇〇〇〇〇

それではきょうも、深海からメカブ惑星が生まれたようないい夢をみましょう~!

゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚
今日のあなたへの占いはこちら↓


ポチッと占う(無料)



゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚