こんにちは!
WhyWhyコーチのふぁーこです。
今日は無事に「怒りの講座」の初日を迎えることができました!
ご参加いただいたみなさん、本当にありがとうございました!

↑写真撮り忘れたので、イラストで(笑)
また追って詳しく記事にしようと思いますが、まさに人それぞれの視点や、怒り方があって、大切にしたい正しさや理想があって、それを知れたことで、怒りに関する見方が広がった気がします。
イライラの扱い方もさまざまだったりして、講座をやった側としてもすごく収穫がありました。
怒りを出す(表現する)ということは、その下の傷を見る(見せる)ことにもなるので、大変めんどくさくて、怖くて、抵抗のあることかもしれませんが、今回の参加者の方々は本当にわかりやすく、そして正直に話してくれて、人を受け入れようという気持ちが伝わってきて、とてもあたたかい気持ちにさせてもらいました。
講座をやる(実行する)のはわたしなんですが、いつもこうしてなにかやったことでわたしが学ばせてもらったり、視野を広げてもらったり、ヒントをもらったりして、とにかくありがたいなぁと思っております。
参加者のみなさん、本当にありがとうございました!!

↑講座をやり終えて放心状態の女将
2日目もどんなお話ができるか、楽しみです!!
〇〇〇〇〇〇〇
「不機嫌を振りまくのは「愛されにくい態度」を取ることで自分を罰したいから」
今日は「不機嫌を振りまく心理」についてお話したいとおもいます。
不機嫌になること、みなさんはありますか?
イライラしたとき、イヤな出来事があったとき、自分のやりたいことがうまくいかなかったとき、やらなきゃいけないことがたくさんあって疲れているとき、ついてないなと思うことが起こったとき、不平等だと思うことがあったとき、制限されたり拘束されていると感じるとき。
いろんな場面で不機嫌になることってあるんじゃないかなと思うんですけど、同じ出来事、同じような体験をしても、不機嫌にならないでいられる人もいれば、不機嫌になって態度や表情などで表してしまう人もいますよね。
別に不機嫌でいたいわけじゃないのに、不機嫌な態度をとってしまう。
そんな人も多いでしょう。
かくいうわたしも、彼や家族の前では子供のようにすぐに不機嫌をあらわにしてしまうことがあります。
別に不機嫌になるために、不機嫌でいたくて生まれてきたわけじゃないのに、どうして不機嫌な態度を出してしまうのでしょうか。
そこには主に「罪悪感」という感情があります。
「罪悪感」というのは「わたしが悪い」「わたしのせいだ」「(悪いことをして)申し訳ない」「わたしは罪深い」「わたしは幸せになってはいけない」というふうに思う気持ちのことです。
この感情があると、「このような罪深い自分はしあわせになってはいけない。だから自分をしあわせにしないように」という作用が働いて、いかに自分をしあわせから遠ざけられるかというくらい、自分を「牢屋(罪を償い続ける部屋)」のようなポジションに置こうとします。
もちろん、無自覚なことが多いですし、つねにそんなふうに「あぁ、自分は悪い存在だ」とか「自分のせいだ」とか思ってるわけじゃなくても、罪悪感というのは小さいころからの積み重ねで染みついていることがあったりするんですね。
それで、自分はしあわせになってはいけないのだから、「誰かから愛されてしあわせになる」ということも無意識に禁じようとします。
つまり、だれかからの好意や、手助けや、優しさや、愛情を受けとれなくなります。
受けとってしまったら、しあわせになって(しあわせを感じて)しまう。
それは、罪深い自分にとってはいけないことだからです。
でも、今のままでいるのも苦しい。
苦しいし、つらいし、むなしい。
だから、先に「わたしがしあわせになっちゃいけないのもわかってます。わたしなんかが愛されるなんてことがあってはいけないのもわかってます」ということを不機嫌さで表すことで、自分をこれ以上愛されないようにバリアを張るわけですね。
愛されることが怖いともいいます。
また、そういう罪悪感が強い人っていうのは、その分誰かを笑顔にしようとしてきたということですし、愛情深く誰かを思ったことがある人です。
でなければ、「自分が悪かった」「(あの人にあんな思いやあんなことをしてしまった)自分は罪深い」と思うことはないはずですから。
でも、別に不機嫌になりたいわけじゃないし、本当はもちろんしあわせでいられたらいいけど、不機嫌でいるしか自分を生かす術がないって思ってるとしたら、相当しんどいですよね。
そこで、もし自分が不機嫌を振りまいてしまうなぁと思った方は、
「あの人は悪くない。この人も悪くない。そして自分も悪くない」
と唱えてみてください。
「あの人が悪くないように、自分も悪くない」
「その時できることしかみんなできないし、自分もできることしかできなかったのだ」
「誰かのためになりたかった」
「誰かを笑顔にさせたかった」
「誰かの力になりたかった」
「その心はウソじゃないのだから、あの人も悪くないし、自分も悪くない」
そうやって自分に唱えてあげてください。
過去のあんなことや、こんなことがあったこと、あんな思いをしたり、あんな思いをさせてしまったと、今の自分はすでに過去の自分からしたら未来だから、なんとでも言えるはずですよね。
結果(事実どうだったのか)がわかってる立場の、今の自分からしたら、過去の自分を責めることも、なにかの失敗を自分のせいにすることも簡単でしょう。
でも、その時の自分はそれが自分のできることだったし、それを経て進む必要があっただけです。
罪を背負う必要はないんです。
あなたはあなたの人生を生きただけです。
それに、良いも悪いもない。
そこは、自分にちゃんと言ってあげてください。
誰にどう言われようと、責められようと、許されようと、あなたがあなたを許してあげないと苦しさはなくならないでしょう。
あなたは今までも、今この瞬間も、あなたの人生を生きてるだけです。
それでいいんです。

そして、周りにもし不機嫌を振りまいている人がいて、もしその人があなたにとって大切な人だとしたら、「それでもわたしはあなたのことが大切だよ」と伝え続けてあげてください。
それは言葉で伝わるかもしれないし、ただそばにいることで伝わるかもしれないし、なにか与えることで伝わるかもしれないし、時間をかけることで伝わるかもしれないし、日々あなたがあなたらしくいるだけで、伝わるかもしれません。
愛されるのが怖い人に、あなたができることはなんでしょうか。
傷を越えて愛することを怖れている人に、あなたができることはなんでしょうか。
大切な人といっしょに試行錯誤しながら考えていくのも、とてもやりがいのある「愛し方」かもしれません。
WhyWhyコーチのふぁーこです。
今日は無事に「怒りの講座」の初日を迎えることができました!
ご参加いただいたみなさん、本当にありがとうございました!

↑写真撮り忘れたので、イラストで(笑)
また追って詳しく記事にしようと思いますが、まさに人それぞれの視点や、怒り方があって、大切にしたい正しさや理想があって、それを知れたことで、怒りに関する見方が広がった気がします。
イライラの扱い方もさまざまだったりして、講座をやった側としてもすごく収穫がありました。
怒りを出す(表現する)ということは、その下の傷を見る(見せる)ことにもなるので、大変めんどくさくて、怖くて、抵抗のあることかもしれませんが、今回の参加者の方々は本当にわかりやすく、そして正直に話してくれて、人を受け入れようという気持ちが伝わってきて、とてもあたたかい気持ちにさせてもらいました。
講座をやる(実行する)のはわたしなんですが、いつもこうしてなにかやったことでわたしが学ばせてもらったり、視野を広げてもらったり、ヒントをもらったりして、とにかくありがたいなぁと思っております。
参加者のみなさん、本当にありがとうございました!!

↑講座をやり終えて放心状態の女将
2日目もどんなお話ができるか、楽しみです!!
〇〇〇〇〇〇〇
「不機嫌を振りまくのは「愛されにくい態度」を取ることで自分を罰したいから」
今日は「不機嫌を振りまく心理」についてお話したいとおもいます。
不機嫌になること、みなさんはありますか?
イライラしたとき、イヤな出来事があったとき、自分のやりたいことがうまくいかなかったとき、やらなきゃいけないことがたくさんあって疲れているとき、ついてないなと思うことが起こったとき、不平等だと思うことがあったとき、制限されたり拘束されていると感じるとき。
いろんな場面で不機嫌になることってあるんじゃないかなと思うんですけど、同じ出来事、同じような体験をしても、不機嫌にならないでいられる人もいれば、不機嫌になって態度や表情などで表してしまう人もいますよね。
別に不機嫌でいたいわけじゃないのに、不機嫌な態度をとってしまう。
そんな人も多いでしょう。
かくいうわたしも、彼や家族の前では子供のようにすぐに不機嫌をあらわにしてしまうことがあります。
別に不機嫌になるために、不機嫌でいたくて生まれてきたわけじゃないのに、どうして不機嫌な態度を出してしまうのでしょうか。
そこには主に「罪悪感」という感情があります。
「罪悪感」というのは「わたしが悪い」「わたしのせいだ」「(悪いことをして)申し訳ない」「わたしは罪深い」「わたしは幸せになってはいけない」というふうに思う気持ちのことです。
この感情があると、「このような罪深い自分はしあわせになってはいけない。だから自分をしあわせにしないように」という作用が働いて、いかに自分をしあわせから遠ざけられるかというくらい、自分を「牢屋(罪を償い続ける部屋)」のようなポジションに置こうとします。
もちろん、無自覚なことが多いですし、つねにそんなふうに「あぁ、自分は悪い存在だ」とか「自分のせいだ」とか思ってるわけじゃなくても、罪悪感というのは小さいころからの積み重ねで染みついていることがあったりするんですね。
それで、自分はしあわせになってはいけないのだから、「誰かから愛されてしあわせになる」ということも無意識に禁じようとします。
つまり、だれかからの好意や、手助けや、優しさや、愛情を受けとれなくなります。
受けとってしまったら、しあわせになって(しあわせを感じて)しまう。
それは、罪深い自分にとってはいけないことだからです。
でも、今のままでいるのも苦しい。
苦しいし、つらいし、むなしい。
だから、先に「わたしがしあわせになっちゃいけないのもわかってます。わたしなんかが愛されるなんてことがあってはいけないのもわかってます」ということを不機嫌さで表すことで、自分をこれ以上愛されないようにバリアを張るわけですね。
愛されることが怖いともいいます。
また、そういう罪悪感が強い人っていうのは、その分誰かを笑顔にしようとしてきたということですし、愛情深く誰かを思ったことがある人です。
でなければ、「自分が悪かった」「(あの人にあんな思いやあんなことをしてしまった)自分は罪深い」と思うことはないはずですから。
でも、別に不機嫌になりたいわけじゃないし、本当はもちろんしあわせでいられたらいいけど、不機嫌でいるしか自分を生かす術がないって思ってるとしたら、相当しんどいですよね。
そこで、もし自分が不機嫌を振りまいてしまうなぁと思った方は、
「あの人は悪くない。この人も悪くない。そして自分も悪くない」
と唱えてみてください。
「あの人が悪くないように、自分も悪くない」
「その時できることしかみんなできないし、自分もできることしかできなかったのだ」
「誰かのためになりたかった」
「誰かを笑顔にさせたかった」
「誰かの力になりたかった」
「その心はウソじゃないのだから、あの人も悪くないし、自分も悪くない」
そうやって自分に唱えてあげてください。
過去のあんなことや、こんなことがあったこと、あんな思いをしたり、あんな思いをさせてしまったと、今の自分はすでに過去の自分からしたら未来だから、なんとでも言えるはずですよね。
結果(事実どうだったのか)がわかってる立場の、今の自分からしたら、過去の自分を責めることも、なにかの失敗を自分のせいにすることも簡単でしょう。
でも、その時の自分はそれが自分のできることだったし、それを経て進む必要があっただけです。
罪を背負う必要はないんです。
あなたはあなたの人生を生きただけです。
それに、良いも悪いもない。
そこは、自分にちゃんと言ってあげてください。
誰にどう言われようと、責められようと、許されようと、あなたがあなたを許してあげないと苦しさはなくならないでしょう。
あなたは今までも、今この瞬間も、あなたの人生を生きてるだけです。
それでいいんです。

そして、周りにもし不機嫌を振りまいている人がいて、もしその人があなたにとって大切な人だとしたら、「それでもわたしはあなたのことが大切だよ」と伝え続けてあげてください。
それは言葉で伝わるかもしれないし、ただそばにいることで伝わるかもしれないし、なにか与えることで伝わるかもしれないし、時間をかけることで伝わるかもしれないし、日々あなたがあなたらしくいるだけで、伝わるかもしれません。
愛されるのが怖い人に、あなたができることはなんでしょうか。
傷を越えて愛することを怖れている人に、あなたができることはなんでしょうか。
大切な人といっしょに試行錯誤しながら考えていくのも、とてもやりがいのある「愛し方」かもしれません。
〇〇〇〇〇〇〇
それではきょうも、会議室におっさんの妖精がいたようないい夢をみましょう~!
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