こんにちは!
WhyWhyコーチのふぁーこです。
最近NetFlixでこのドラマにハマってます。
「グッド・ドクター 名医の条件」というドラマ。
「医師の資格を持つショーン・マーフィーは、自閉症でサヴァン症候群でもある。サンノゼにある聖ボナベントゥラ病院の院長グラスマンは、完璧な記憶力を持ち空間認知能力にたけたショーンをレジデントとして採用しようとするが、院長の座を狙うアンドリュースは、採用を認めようとしない。そのころショーンは、サンノゼの空港にいた。作業員が掛け替えようとしていた看板が落ち、ガラスの破片を全身に浴びた少年と遭遇して・・・。」
(あらすじ参照:Sony Pictures)
海外にいるときと、日本にいるときで、NetFlixで見れるものが変わるみたいなので、日本だともしかするとこのドラマはNetFlix以外じゃないと見れないかもですけど、もし見た方がいればぜひいろいろ語りたいドラマですね。
登場人物のさまざまな立場や葛藤や心情が理解できて、大変ヤキモキしながら見ております。
今日もこれ書いたらまた続き見よう・・・!
〇〇〇〇〇〇〇
「怒りとうんこの関係性~怒りは一人でなんとかするものではない~」
怒りのネタを考えていると眠くなってしまうという現象に見舞われている今日このごろですが、今日は「怒りとうんこ~根本先生とお弟子制度添え~」についてお話したいと思います。
そう、それはついさっきのこと。
私が数日ぶりに全身全霊を懸けてうんこを出し切ろうとしていたときのお話。
わたしは便座に座りながら、出渋るうんこに聞いてみた。
わたし「なぜ、あなたはそんなにも出てきたくないの?出てきた方があなたも自由になれるのに」
うんこ「・・・」
わたし「(お腹が張っている・・・硬い感じがするなぁ・・・)ねぇ、なぜそんなにも頑なになるの?なにかイヤなことがあったの?」
うんこ「・・・」
わたし「とりあえず顔見合わせて話そうよ。ね、今のままだと溜まる一方であなたも狭くて苦しいでしょう?」
うんこ「・・・」
あの手この手で話しかけても、無言を貫くうんこ。
頑なにこっちへ来ようとしないうんこ。
ほんのちょっとすらかわいい顔を見せてくれないうんこ。
まさに、誰かが怒っている状態に似ているなと。
こうなっているのには、うんこの出てくる仕組みと、怒りの仕組みを思い出す必要があると思ったわたし。
とりあえず、うんこの仕組みについて調べます。
うんこの出る仕組みとは、簡単にはこんな感じ。
1、食べ物を口の中で小さく噛み砕く、唾液によってデンプンが分解される
2、胃に運ばれた食べ物は、タンパク質が分解される
3、十二指腸に運ばれて、タンパク質、デンプン、脂肪が分解される
4、小腸に運ばれて、タンパク質、糖質、脂肪、ビタミン、ミネラル、水分の吸収が行われる
5、小腸で吸収されないものが大腸に送られ、そこで便が形成される
6、便を形成するタイミングで、そのシグナルが大脳に伝わる
7、大脳がその時の状況に応じて、「便を出す」「我慢する」などの指令をだすので、「出していい」という大脳の指令によって肛門括約筋が緩み、便が出せる
ざっと言うとこんな感じ。
これが怒りの場合はどんなかたちになっているかというと、
1、自分に起こった出来事(言われたこと・されたこと・見たこと・聞いたこと・感じたこと等)を自分の価値観や世界観で捉える、各感情に分解される
2、胃に運ばれた感情は、そこで喜び・楽しさ・うれしさなどのポジティブな感情から分解される
3、十二指腸に運ばれた感情は、その時の自分が理解しうる(できる)かたちのネガティブな感情だけ分解される
4、小腸に運ばれた分解された感情は、ポジティブな感情>理解しうるネガティブな感情>理解できない(したくない)感情という順で吸収される
5、小腸で吸収されなかった感情が大腸に送られ、そこで怒りが形成される
6、怒りを形成するタイミングで、そのシグナルが大脳に伝わる
7、大脳がその時の状況に応じて、「怒りを出す」「我慢する」などの指令をだすので、「出していい」という大脳の指令によって肛門括約筋が緩み、怒り(本音・ヘルプ)が出せる
つまり、ずっと怒りを溜め込んでいたり、怒りを出せてない人は、大腸が「もうヤバいんじゃないっすか!?そろそろパンパンでっせ!出さないとヤバいでゲス(汗)」って言っても、大脳(思考)で「NO!出すな!」という指令を出し続けてきたということ。
また、怒りを感じやすい人っていうのは、
>1、自分に起こった出来事(言われたこと・されたこと・見たこと・聞いたこと・感じたこと等)を自分の価値観や世界観で捉える、各感情に分解される
この時点で自分の価値観や世界観に偏りがあったり、こだわり(守りたいもの)があったりするか、
>2、胃に運ばれた感情は、そこで喜び・楽しさ・うれしさなどのポジティブな感情から分解される
このポジティブな感情を感じてはいけないと自分を抑えこんでいるか、
>3、十二指腸に運ばれた感情は、その時の自分が理解しうる(できる)かたちのネガティブな感情だけ分解される
ネガティブな感情が大きすぎたか、傷ついたので、「自分が理解しうるかたち」が小さくなってしまって、「なぜそうなったのか」という想像をできない(したくない)状況か、
>4、小腸に運ばれた分解された感情は、ポジティブな感情>理解しうるネガティブな感情>理解できない(したくない)感情という順で吸収される
ここで感情を感じること、受け止めること、受け入れること(吸収)ができない(したくない)ので、そのまま大腸に送り、怒りというわかりやすいかたちに変化させる。
ということで、このどこかに怒りに変化しやすい仕組みができている可能性があるかなと。
さらに、「毎日幸せ」とか、「自分は生まれてこれてよかった」という満たされた感じや、生きている喜びなどはなく、ただ無感情、怒りすらも感じない状態のときは、それまで感情を我慢しすぎたことによって、大腸で「お!小腸で吸収しなかった感情がきたな」というように感知する働きが鈍くなっていて、大脳にも「怒りができましたぜ~!」というシグナルを送る仕組みがうまくいかないので、結果的に怒りを感じにくくなってしまっているのかもしれないということです。
さて、話はトイレのわたしに戻りまして。
かわいいうんこちゃんの顔がこれでもかというほど見えないため、うんこと怒りの仕組みを調べたわたしは、どこで今うんこちゃんはつまづいているのだろう?と考えてみました。
「1、自分に起こった出来事(言われたこと・されたこと・見たこと・聞いたこと・感じたこと等)を自分の価値観や世界観で捉える、各感情に分解される」
うんこちゃんの世界で起きたことは、きっと今までも繰り返し行われてきた「食べ物を分解・吸収し、吸収されないものが自分(うんこ)の存在として生まれ変わる」ということなはず。
まず、そこがイヤだったのだろうか?
わたし「うんこちゃん、今まで30年間、わたしが食べたもので吸収されなかったものがあなたという存在を生み出してきたんだよね。わたしはすごく感謝している。むしろ、感謝するのが遅いくらいだよね。気づくのが遅くなってごめんね」
うんこ「・・・」
わたし「・・・ねぇ、うんこちゃん、もうそんなふうに生み出されるのは飽きたのかな?イヤになった?」
うんこ「・・・」
わたし「それとも、うんことしてなにか守りたいものができたのかな?こだわって生きていきたいものがうんこちゃんにできたのかな?」
うんこ「・・・」
うんこ「・・・」
わたし「わたしの姉は耐えて耐えて爆発型で、あまり頻繁に涙を見せたりしない人だったから、小さいころからなんで姉は大丈夫なことでも自分はすぐ泣いてしまうんだろう・・・って思ってて」
うんこ「・・・」
わたし「自分が泣きたくないのに泣いてしまうっていうのがとにかくイヤで」
うんこ「・・・」
わたし「だからそれをコントロールしようとして、今まで頭の大脳(思考)に抑えるようにお願いしてきたんだけど」
うんこ「・・・」
わたし「最近わかったのは、わたしにとってはそれが“悲しいことだね”とか、“さみしかったね”とか、“怖かったよね”ってことが理解しうる感情、もしくは理解できない感情だったとしても、あまりに急に流れ込んできた感情だから落ち着いて吸収してあげることができずに、でもうまく吐き出す術も知らず、それを外に出すかたちが涙に変わってただけだったんじゃないかってことで」
うんこ「・・・」
わたし「だから、もしかしたらわたしはうんこ(怒り)としてかたちづくらずに、涙としてかたちづくって外に出していたのかもしれないなって思ったんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「涙もうんこも、外に出すという表現としては同じはずで」
うんこ「・・・」
わたし「うんこちゃんもさ、そんなふうに今うまく出て行く術を知らないだけなんじゃないかな」
うんこ「・・・」
わたし「うまくなんか出なくていいんだけど、どうやって吸収(理解)していいかも、どうしたら自分が苦しまずにいられるか、どうしたら大腸を越えたこの外の世界で自由に生きていけるか、まだ知らないだけなんじゃないかな」
うんこ「・・・」
わたし「わたしも、じつはそうだったんだよ」
うんこ「・・・」
わたし「“今のままじゃいけない”とどこかでわかっていても、変わることが怖かった。なにより、自分がしてきたことや、自分が今していることが間違っているとは思いたくなかった」
うんこ「・・・」
わたし「だから、わたしはネットでたくさん調べたし、誰かの経験談を聞いたり、本をたくさん読んだりしたよ」
うんこ「・・・」
わたし「でも、変われなかった」
うんこ「・・・」
わたし「たぶん、怖かった。怖かったし、信じられなかった。こんなに頑張って生きてきた自分が、こんなに必死にやってきた自分が、それ以上に変わらなきゃいけないのかって」
うんこ「・・・」
わたし「変われるわけないって。どこかで変わらなきゃいけないと思ってたけど、もう片方で変われるわけないって、未来を信じられない気持ちもあったと思う」
うんこ「・・・」
わたし「そこが、一人の人間の、わたし一人としての限界だったんだと思う」
うんこ「・・・」
わたし「それで、そんなときに根本裕幸先生って人の記事に会ってね。最初はたまたま同じ人の記事を何回も読むなぁってくらいだったんだけど、あとから記憶に残ってる言葉がぜんぶこの根本先生の書いた言葉たちで」
うんこ「・・・」
わたし「この先生は暗いテーマでも、どんなに人間の弱さを感じる話でも、すべて“でもそれはあなたの愛があったからなんでしょ?”って目で見てくれてて」
うんこ「・・・」
わたし「どれだけ世間的に悪いということをしてても、どれだけ自分を責めるべきだと思うことをしてても、ユーモアに、軽快に、かつ愛をもって的確に、ちゃんと心の仕組みっていうのを説明してくれて、理解してくれてる感じがしてね」
うんこ「・・・」
わたし「それで、この先生のところで心の仕組みを学びたいって思ったんだ」
うんこ「・・・」
わたし「未来を信じられないくらい自分の変化を諦めてた自分が、もう一度この人の言葉と心を聞いて変わりたいと思ったんだよね。それが、わたしにとっては根本先生だったっていうこと」
うんこ「・・・」
わたし「あ、もちろんわたしの彼は別格だよ。魂を根源から癒してくれた、見守ってくれた、愛してくれたのは彼だし、そういう意味で彼は別格なんだけどね」
うんこ「・・・」
わたし「で、根本先生の心の見方を聞きたいって、心の見方を学びたいって集まった仲間たちもいてさ。また濃ゆい仲間たちなんだけど、それがまたおもしろい人しかいなくてさ」
うんこ「・・・」
わたし「それで、あぁ、いいんだなって。もういいんだなって思ったんだよ」
うんこ「・・・」
わたし「お弟子仲間と出会って、彼ら彼女らの人生や痛みを聞いて、わたしの痛みも聞いてもらっているうちに、この世にはもしかしたら一切混ざり合うことのない色があって、一生見ることのなかったであろう色もあって、その色が合うこともあれば、合わないこともある」
うんこ「・・・」
わたし「自分とそれらの色が少しずつ混ざり合うこともあれば、混ざり合ったあとに特定の色だけ消したくなることもある」
うんこ「・・・」
わたし「それで、自分の色がわからなくなったときに、色を貸してくれたり、見せてくれたり、ただ色がわかるまでいっしょにいてくれることもある」
うんこ「・・・」
わたし「自分の色だけでなんとかできることもあれば、誰かの色と重なったことによって自分や誰かを助けられることもあるし、つながったことによってこの世に残る色もある」
うんこ「・・・」
わたし「ぜんぶが完璧じゃないし、すべてが良いことにならなかったとしても、でもそれでいいんだなぁって思ったんだよ」
うんこ「・・・」
わたし「だってこの色は自分でしかないから。わたしにも他の仲間の色にも代わりがないように、うんこちゃんの色はうんこちゃんでしかないでしょ」
うんこ「・・・」
わたし「だからね、うんこちゃんも外に出て色を見てみたくない?」
うんこ「・・・」
わたし「今は知りきったような大腸の薄暗い中にいるだろうけど、うんこちゃん自身の色もそこにいるときと、外に出たときで変わるかもしれないし、誰かに恋して恋色に変化するかもしれないよね」
うんこ「・・・」
わたし「外に出たら、色を書き換えていくことも、そのまま大切にし続けることもできるし、わたしがなにか手を貸すこともできる」
うんこ「・・・」
わたし「わたしがずっと応援してるからさ、うんこちゃんもたくさんの色を知って自由に生きてみたらどうかな」







え?っていう。
・・・え?っていう。
とりあえず、出てましたよね。
うんこちゃん、出てましたよね。
いつ出たのかまったく記憶にない。
たぶん今さっきの空気じゃない。
キラキラした瞳でこっち向いて話聞いてましたよね。
まぁ、とにかく、そんなわけだから、そこでウンウン唸っている方は、ぜひお弟子制度という外に出てきてみてはいかがでしょうか?
うんこが無事に出る保証はしないですけど、なんかあったときに頼れる便器、あ、トイレットペーパー、えーっと、仲間が150人以上いますから(笑)
WhyWhyコーチのふぁーこです。
最近NetFlixでこのドラマにハマってます。
「グッド・ドクター 名医の条件」というドラマ。
「医師の資格を持つショーン・マーフィーは、自閉症でサヴァン症候群でもある。サンノゼにある聖ボナベントゥラ病院の院長グラスマンは、完璧な記憶力を持ち空間認知能力にたけたショーンをレジデントとして採用しようとするが、院長の座を狙うアンドリュースは、採用を認めようとしない。そのころショーンは、サンノゼの空港にいた。作業員が掛け替えようとしていた看板が落ち、ガラスの破片を全身に浴びた少年と遭遇して・・・。」
(あらすじ参照:Sony Pictures)
海外にいるときと、日本にいるときで、NetFlixで見れるものが変わるみたいなので、日本だともしかするとこのドラマはNetFlix以外じゃないと見れないかもですけど、もし見た方がいればぜひいろいろ語りたいドラマですね。
登場人物のさまざまな立場や葛藤や心情が理解できて、大変ヤキモキしながら見ております。
今日もこれ書いたらまた続き見よう・・・!
〇〇〇〇〇〇〇
「怒りとうんこの関係性~怒りは一人でなんとかするものではない~」
怒りのネタを考えていると眠くなってしまうという現象に見舞われている今日このごろですが、今日は「怒りとうんこ~根本先生とお弟子制度添え~」についてお話したいと思います。
そう、それはついさっきのこと。
私が数日ぶりに全身全霊を懸けてうんこを出し切ろうとしていたときのお話。
わたしは便座に座りながら、出渋るうんこに聞いてみた。
わたし「なぜ、あなたはそんなにも出てきたくないの?出てきた方があなたも自由になれるのに」
うんこ「・・・」
わたし「(お腹が張っている・・・硬い感じがするなぁ・・・)ねぇ、なぜそんなにも頑なになるの?なにかイヤなことがあったの?」
うんこ「・・・」
わたし「とりあえず顔見合わせて話そうよ。ね、今のままだと溜まる一方であなたも狭くて苦しいでしょう?」
うんこ「・・・」
あの手この手で話しかけても、無言を貫くうんこ。
頑なにこっちへ来ようとしないうんこ。
ほんのちょっとすらかわいい顔を見せてくれないうんこ。
まさに、誰かが怒っている状態に似ているなと。
こうなっているのには、うんこの出てくる仕組みと、怒りの仕組みを思い出す必要があると思ったわたし。
とりあえず、うんこの仕組みについて調べます。
うんこの出る仕組みとは、簡単にはこんな感じ。
1、食べ物を口の中で小さく噛み砕く、唾液によってデンプンが分解される
2、胃に運ばれた食べ物は、タンパク質が分解される
3、十二指腸に運ばれて、タンパク質、デンプン、脂肪が分解される
4、小腸に運ばれて、タンパク質、糖質、脂肪、ビタミン、ミネラル、水分の吸収が行われる
5、小腸で吸収されないものが大腸に送られ、そこで便が形成される
6、便を形成するタイミングで、そのシグナルが大脳に伝わる
7、大脳がその時の状況に応じて、「便を出す」「我慢する」などの指令をだすので、「出していい」という大脳の指令によって肛門括約筋が緩み、便が出せる
ざっと言うとこんな感じ。
これが怒りの場合はどんなかたちになっているかというと、
1、自分に起こった出来事(言われたこと・されたこと・見たこと・聞いたこと・感じたこと等)を自分の価値観や世界観で捉える、各感情に分解される
2、胃に運ばれた感情は、そこで喜び・楽しさ・うれしさなどのポジティブな感情から分解される
3、十二指腸に運ばれた感情は、その時の自分が理解しうる(できる)かたちのネガティブな感情だけ分解される
4、小腸に運ばれた分解された感情は、ポジティブな感情>理解しうるネガティブな感情>理解できない(したくない)感情という順で吸収される
5、小腸で吸収されなかった感情が大腸に送られ、そこで怒りが形成される
6、怒りを形成するタイミングで、そのシグナルが大脳に伝わる
7、大脳がその時の状況に応じて、「怒りを出す」「我慢する」などの指令をだすので、「出していい」という大脳の指令によって肛門括約筋が緩み、怒り(本音・ヘルプ)が出せる
つまり、ずっと怒りを溜め込んでいたり、怒りを出せてない人は、大腸が「もうヤバいんじゃないっすか!?そろそろパンパンでっせ!出さないとヤバいでゲス(汗)」って言っても、大脳(思考)で「NO!出すな!」という指令を出し続けてきたということ。
また、怒りを感じやすい人っていうのは、
>1、自分に起こった出来事(言われたこと・されたこと・見たこと・聞いたこと・感じたこと等)を自分の価値観や世界観で捉える、各感情に分解される
この時点で自分の価値観や世界観に偏りがあったり、こだわり(守りたいもの)があったりするか、
>2、胃に運ばれた感情は、そこで喜び・楽しさ・うれしさなどのポジティブな感情から分解される
このポジティブな感情を感じてはいけないと自分を抑えこんでいるか、
>3、十二指腸に運ばれた感情は、その時の自分が理解しうる(できる)かたちのネガティブな感情だけ分解される
ネガティブな感情が大きすぎたか、傷ついたので、「自分が理解しうるかたち」が小さくなってしまって、「なぜそうなったのか」という想像をできない(したくない)状況か、
>4、小腸に運ばれた分解された感情は、ポジティブな感情>理解しうるネガティブな感情>理解できない(したくない)感情という順で吸収される
ここで感情を感じること、受け止めること、受け入れること(吸収)ができない(したくない)ので、そのまま大腸に送り、怒りというわかりやすいかたちに変化させる。
ということで、このどこかに怒りに変化しやすい仕組みができている可能性があるかなと。
さらに、「毎日幸せ」とか、「自分は生まれてこれてよかった」という満たされた感じや、生きている喜びなどはなく、ただ無感情、怒りすらも感じない状態のときは、それまで感情を我慢しすぎたことによって、大腸で「お!小腸で吸収しなかった感情がきたな」というように感知する働きが鈍くなっていて、大脳にも「怒りができましたぜ~!」というシグナルを送る仕組みがうまくいかないので、結果的に怒りを感じにくくなってしまっているのかもしれないということです。
さて、話はトイレのわたしに戻りまして。
かわいいうんこちゃんの顔がこれでもかというほど見えないため、うんこと怒りの仕組みを調べたわたしは、どこで今うんこちゃんはつまづいているのだろう?と考えてみました。
「1、自分に起こった出来事(言われたこと・されたこと・見たこと・聞いたこと・感じたこと等)を自分の価値観や世界観で捉える、各感情に分解される」
うんこちゃんの世界で起きたことは、きっと今までも繰り返し行われてきた「食べ物を分解・吸収し、吸収されないものが自分(うんこ)の存在として生まれ変わる」ということなはず。
まず、そこがイヤだったのだろうか?
わたし「うんこちゃん、今まで30年間、わたしが食べたもので吸収されなかったものがあなたという存在を生み出してきたんだよね。わたしはすごく感謝している。むしろ、感謝するのが遅いくらいだよね。気づくのが遅くなってごめんね」
うんこ「・・・」
わたし「・・・ねぇ、うんこちゃん、もうそんなふうに生み出されるのは飽きたのかな?イヤになった?」
うんこ「・・・」
わたし「それとも、うんことしてなにか守りたいものができたのかな?こだわって生きていきたいものがうんこちゃんにできたのかな?」
うんこ「・・・」
わたし「うんこちゃん、わたしはいつもうんこちゃんが生み出されて、わたしに顔を見せてくれるとすごくうれしかったよ。こんなにも立派にわたしの中で大きくなってくれたんだなって、とても感動したし、いつもみんなが褒めないところでも頑張ってくれててすごいなって思ってたんだ」
うんこ「・・・」
お腹越しにうんこちゃんに話しかけるわたしですが、うんこちゃんはうんともすんとも言いません。
そこで、「2、胃に運ばれた感情は、そこで喜び・楽しさ・うれしさなどのポジティブな感情から分解される」を確認することに。
わたし「うんこちゃん、覚えてる?・・・いや、これはたぶんうんこちゃんができる前の話だから覚えてないよね。昔お父さんとお母さんが離婚したあとに、初めてわたしとお姉ねえとお父さんの3人で会えたとき」
うんこ「・・・」
わたし「わたし本当はすごくうれしくてさ、久しぶりにお父さんと会えたことがなんかうれしくて、出かけられたことがすごくうれしくて」
うんこ「・・・」
わたし「でもお母さんがお父さんのこと嫌いだから、お父さんといっしょにいることで喜んじゃいけないって思ってたから、素直になれなくてさ」
うんこ「・・・」
わたし「素直に喜ばず、プンプンして不機嫌なわたしを見て、お父さんが困ったように、“ふぁーこ、東京タワーでも行くか?”って言ってくれたんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「でもなんか素直になれなくて、すごく行きたかったのに、わたしは“行かないっ!!!”とか言って」
うんこ「・・・」
わたし「かわいくないよね。なんかうれしい気持ちを感じてたのに、出しちゃいけないって思ってたんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「うんこちゃんも、うんこちゃんとしてかたちづくられるまでに、そんな気持ちになったりしてたのかな?って」
うんこ「・・・」
わたし「心が喜ぶことは自由なはずで、それは誰にも止めようがないことなのに、でも抑えなきゃいけないって思ったりしたことがあったのかな?って」
うんこ「・・・」
わたし「・・・」
うんこ「・・・」
わたしの泣き落としにも動じない強腰なうんこちゃん。
静かに息をひそめてただそこにいるうんこちゃん。
ということで、続けざまに、「3、十二指腸に運ばれた感情は、その時の自分が理解しうる(できる)かたちのネガティブな感情だけ分解される」を確認してきます。
わたし「突然だけど、わたしはさ、お母さんをずっと守りたいと思ってきたと思うんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「お母さんが大変なのも、一生懸命なのも、責任感が強いのも知ってたし、そういうお母さんが好きだったから、守りたいというか、お母さんが笑顔でいてくれたらうれしいと思ってたんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「でも、お母さんがわたしを100%コントロールできないのと同じで、わたしもお母さんを100%はコントロールできないし、100%守る、100%笑顔のままでいさせてあげることはできないんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「それを当時は理解してなくて、自分でも自分の無力さ、弱さを認めることができなかったから、お母さんの弱さや無力さも認めることができなくて、“なんでこんなにわたしが一生懸命お母さんのためにやってるのに笑顔になってくれないの!なんで元気に生きようと前を向いてくれないの!”ってお母さんに対して思ってて」
うんこ「・・・」
わたし「わたしはわたしで、等身大の自分を認められなくて、自信がないから、“自分が正しい”という正しさの武器を使って相手をコントロールしようとして。そうしたら自分の世界しかそこにはないから、理解できるかたちも小さくなってしまってて」
うんこ「・・・」
わたし「お母さんのことをわたしが100%理解することだって、本当は無理なんだよね。でも、当時のわたしは“意味のないことを一生懸命している”と思いたくないから、正しさでお母さんとコントロールしようとして、良いことをしているように見せてて。そこでうまくいかない自分の無力さや弱さを受け入れようとせず、“なぜそうなったのか”っていう本当のお母さんの痛みを見て見ぬふりしていたんだと思う」
うんこ「・・・」
わたし「これ以上さ、自分が無力だって感じたくないじゃない」
うんこ「・・・」
わたし「本当にさみしいのはわたしなのに、“お母さんがさみしいだろうから”って大義名分にしておけば、一見どっちにも良いことをしているようにできるじゃない」
うんこ「・・・」
わたし「だから、当時のわたしは自分の弱い部分を認められなかったから、想像してあげることもできなかったんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「お母さんだって死にたくなることだってあるし、逃げたくなることだってあるし、誰かに迷惑かけることだってある。そんな弱さを持った存在だって、わたしが想像してあげることもできなかったんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「それくらい、わたしも無我夢中で弱さを認めたくなくなるくらい、いつかの昔になにかで傷ついてたのかもしれないとは思うんだけどさ」
うんこ「・・・」
わたし「うんこちゃんが生まれる前のことだけど、そうやって処理できなかった、吸収できなかった感情が怒り(うんこ)としてかたちづくられるんだから、うんこちゃんも大変だったよね」
うんこ「・・・」
わたし「わたしのことだから、今まで想像だにしない大きさのうんことしてかたちづくられてきたでしょう?」
うんこ「・・・」
わたし「うんこってこんなに大変なんだって思ったりしなかった?」
うんこ「・・・」
わたし「・・・それとも、大変だからこそ、今この瞬間のストライキなのかな?」
うんこ「・・・」
わたし「・・・」
うんこ「・・・」
命を懸けたような意志の硬さが感じとれる今日のうんこちゃん。
わたしのけっこうヘビーな話にも微動だにしないうんこちゃん。
ということで、最後に「4、小腸に運ばれた分解された感情は、ポジティブな感情>理解しうるネガティブな感情>理解できない(したくない)感情という順で吸収される」を確認します。
わたし「ねぇ、うんこちゃん。わたしが昔からよくイヤだなって思ってたのはさ、自分がなにかしらの感情を強く感じると涙が出てきてすぐに泣いてしまうっていうことだったんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「わたしは本当に小さいころからすぐ涙が出てきてしまうのがイヤで。なんか、自分のことじゃなくて、たとえば誰かがすごく感動した体験をしたとか、誰かが悲しいことを体験したとか、すごく辛いってことを誰かが吐き出して泣いてるときに、自分のことじゃないのにわたしも涙が出てきてしまったりして」
うんこ「・・・」
わたし「たとえば自分が仲間外れにされたり、意地悪なことを言われたときも、怒りより先に“なんでそんなことするの?なんで怒ってるの?”って気持ちになって涙が出てきたりして」
うんこ「・・・」
わたし「でもそれが、自分としてはすごく弱いような、すぐに音を上げて同情を誘ってるような、勝手に相手の感情に浸ってるような、泣くだけでなんにも結果は変わりはしないのに、すぐに涙が出てきたり、感情をコントロールできない自分が頼りない感じがして」
うんこ「・・・」
お腹越しにうんこちゃんに話しかけるわたしですが、うんこちゃんはうんともすんとも言いません。
そこで、「2、胃に運ばれた感情は、そこで喜び・楽しさ・うれしさなどのポジティブな感情から分解される」を確認することに。
わたし「うんこちゃん、覚えてる?・・・いや、これはたぶんうんこちゃんができる前の話だから覚えてないよね。昔お父さんとお母さんが離婚したあとに、初めてわたしとお姉ねえとお父さんの3人で会えたとき」
うんこ「・・・」
わたし「わたし本当はすごくうれしくてさ、久しぶりにお父さんと会えたことがなんかうれしくて、出かけられたことがすごくうれしくて」
うんこ「・・・」
わたし「でもお母さんがお父さんのこと嫌いだから、お父さんといっしょにいることで喜んじゃいけないって思ってたから、素直になれなくてさ」
うんこ「・・・」
わたし「素直に喜ばず、プンプンして不機嫌なわたしを見て、お父さんが困ったように、“ふぁーこ、東京タワーでも行くか?”って言ってくれたんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「でもなんか素直になれなくて、すごく行きたかったのに、わたしは“行かないっ!!!”とか言って」
うんこ「・・・」
わたし「かわいくないよね。なんかうれしい気持ちを感じてたのに、出しちゃいけないって思ってたんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「うんこちゃんも、うんこちゃんとしてかたちづくられるまでに、そんな気持ちになったりしてたのかな?って」
うんこ「・・・」
わたし「心が喜ぶことは自由なはずで、それは誰にも止めようがないことなのに、でも抑えなきゃいけないって思ったりしたことがあったのかな?って」
うんこ「・・・」
わたし「・・・」
うんこ「・・・」
わたしの泣き落としにも動じない強腰なうんこちゃん。
静かに息をひそめてただそこにいるうんこちゃん。
ということで、続けざまに、「3、十二指腸に運ばれた感情は、その時の自分が理解しうる(できる)かたちのネガティブな感情だけ分解される」を確認してきます。
わたし「突然だけど、わたしはさ、お母さんをずっと守りたいと思ってきたと思うんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「お母さんが大変なのも、一生懸命なのも、責任感が強いのも知ってたし、そういうお母さんが好きだったから、守りたいというか、お母さんが笑顔でいてくれたらうれしいと思ってたんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「でも、お母さんがわたしを100%コントロールできないのと同じで、わたしもお母さんを100%はコントロールできないし、100%守る、100%笑顔のままでいさせてあげることはできないんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「それを当時は理解してなくて、自分でも自分の無力さ、弱さを認めることができなかったから、お母さんの弱さや無力さも認めることができなくて、“なんでこんなにわたしが一生懸命お母さんのためにやってるのに笑顔になってくれないの!なんで元気に生きようと前を向いてくれないの!”ってお母さんに対して思ってて」
うんこ「・・・」
わたし「わたしはわたしで、等身大の自分を認められなくて、自信がないから、“自分が正しい”という正しさの武器を使って相手をコントロールしようとして。そうしたら自分の世界しかそこにはないから、理解できるかたちも小さくなってしまってて」
うんこ「・・・」
わたし「お母さんのことをわたしが100%理解することだって、本当は無理なんだよね。でも、当時のわたしは“意味のないことを一生懸命している”と思いたくないから、正しさでお母さんとコントロールしようとして、良いことをしているように見せてて。そこでうまくいかない自分の無力さや弱さを受け入れようとせず、“なぜそうなったのか”っていう本当のお母さんの痛みを見て見ぬふりしていたんだと思う」
うんこ「・・・」
わたし「これ以上さ、自分が無力だって感じたくないじゃない」
うんこ「・・・」
わたし「本当にさみしいのはわたしなのに、“お母さんがさみしいだろうから”って大義名分にしておけば、一見どっちにも良いことをしているようにできるじゃない」
うんこ「・・・」
わたし「だから、当時のわたしは自分の弱い部分を認められなかったから、想像してあげることもできなかったんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「お母さんだって死にたくなることだってあるし、逃げたくなることだってあるし、誰かに迷惑かけることだってある。そんな弱さを持った存在だって、わたしが想像してあげることもできなかったんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「それくらい、わたしも無我夢中で弱さを認めたくなくなるくらい、いつかの昔になにかで傷ついてたのかもしれないとは思うんだけどさ」
うんこ「・・・」
わたし「うんこちゃんが生まれる前のことだけど、そうやって処理できなかった、吸収できなかった感情が怒り(うんこ)としてかたちづくられるんだから、うんこちゃんも大変だったよね」
うんこ「・・・」
わたし「わたしのことだから、今まで想像だにしない大きさのうんことしてかたちづくられてきたでしょう?」
うんこ「・・・」
わたし「うんこってこんなに大変なんだって思ったりしなかった?」
うんこ「・・・」
わたし「・・・それとも、大変だからこそ、今この瞬間のストライキなのかな?」
うんこ「・・・」
わたし「・・・」
うんこ「・・・」
命を懸けたような意志の硬さが感じとれる今日のうんこちゃん。
わたしのけっこうヘビーな話にも微動だにしないうんこちゃん。
ということで、最後に「4、小腸に運ばれた分解された感情は、ポジティブな感情>理解しうるネガティブな感情>理解できない(したくない)感情という順で吸収される」を確認します。
わたし「ねぇ、うんこちゃん。わたしが昔からよくイヤだなって思ってたのはさ、自分がなにかしらの感情を強く感じると涙が出てきてすぐに泣いてしまうっていうことだったんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「わたしは本当に小さいころからすぐ涙が出てきてしまうのがイヤで。なんか、自分のことじゃなくて、たとえば誰かがすごく感動した体験をしたとか、誰かが悲しいことを体験したとか、すごく辛いってことを誰かが吐き出して泣いてるときに、自分のことじゃないのにわたしも涙が出てきてしまったりして」
うんこ「・・・」
わたし「たとえば自分が仲間外れにされたり、意地悪なことを言われたときも、怒りより先に“なんでそんなことするの?なんで怒ってるの?”って気持ちになって涙が出てきたりして」
うんこ「・・・」
わたし「でもそれが、自分としてはすごく弱いような、すぐに音を上げて同情を誘ってるような、勝手に相手の感情に浸ってるような、泣くだけでなんにも結果は変わりはしないのに、すぐに涙が出てきたり、感情をコントロールできない自分が頼りない感じがして」
うんこ「・・・」
わたし「わたしの姉は耐えて耐えて爆発型で、あまり頻繁に涙を見せたりしない人だったから、小さいころからなんで姉は大丈夫なことでも自分はすぐ泣いてしまうんだろう・・・って思ってて」
うんこ「・・・」
わたし「自分が泣きたくないのに泣いてしまうっていうのがとにかくイヤで」
うんこ「・・・」
わたし「だからそれをコントロールしようとして、今まで頭の大脳(思考)に抑えるようにお願いしてきたんだけど」
うんこ「・・・」
わたし「最近わかったのは、わたしにとってはそれが“悲しいことだね”とか、“さみしかったね”とか、“怖かったよね”ってことが理解しうる感情、もしくは理解できない感情だったとしても、あまりに急に流れ込んできた感情だから落ち着いて吸収してあげることができずに、でもうまく吐き出す術も知らず、それを外に出すかたちが涙に変わってただけだったんじゃないかってことで」
うんこ「・・・」
わたし「だから、もしかしたらわたしはうんこ(怒り)としてかたちづくらずに、涙としてかたちづくって外に出していたのかもしれないなって思ったんだよね」
うんこ「・・・」
わたし「涙もうんこも、外に出すという表現としては同じはずで」
うんこ「・・・」
わたし「うんこちゃんもさ、そんなふうに今うまく出て行く術を知らないだけなんじゃないかな」
うんこ「・・・」
わたし「うまくなんか出なくていいんだけど、どうやって吸収(理解)していいかも、どうしたら自分が苦しまずにいられるか、どうしたら大腸を越えたこの外の世界で自由に生きていけるか、まだ知らないだけなんじゃないかな」
うんこ「・・・」
わたし「わたしも、じつはそうだったんだよ」
うんこ「・・・」
わたし「“今のままじゃいけない”とどこかでわかっていても、変わることが怖かった。なにより、自分がしてきたことや、自分が今していることが間違っているとは思いたくなかった」
うんこ「・・・」
わたし「だから、わたしはネットでたくさん調べたし、誰かの経験談を聞いたり、本をたくさん読んだりしたよ」
うんこ「・・・」
わたし「でも、変われなかった」
うんこ「・・・」
わたし「たぶん、怖かった。怖かったし、信じられなかった。こんなに頑張って生きてきた自分が、こんなに必死にやってきた自分が、それ以上に変わらなきゃいけないのかって」
うんこ「・・・」
わたし「変われるわけないって。どこかで変わらなきゃいけないと思ってたけど、もう片方で変われるわけないって、未来を信じられない気持ちもあったと思う」
うんこ「・・・」
わたし「そこが、一人の人間の、わたし一人としての限界だったんだと思う」
うんこ「・・・」
わたし「それで、そんなときに根本裕幸先生って人の記事に会ってね。最初はたまたま同じ人の記事を何回も読むなぁってくらいだったんだけど、あとから記憶に残ってる言葉がぜんぶこの根本先生の書いた言葉たちで」
うんこ「・・・」
わたし「この先生は暗いテーマでも、どんなに人間の弱さを感じる話でも、すべて“でもそれはあなたの愛があったからなんでしょ?”って目で見てくれてて」
うんこ「・・・」
わたし「どれだけ世間的に悪いということをしてても、どれだけ自分を責めるべきだと思うことをしてても、ユーモアに、軽快に、かつ愛をもって的確に、ちゃんと心の仕組みっていうのを説明してくれて、理解してくれてる感じがしてね」
うんこ「・・・」
わたし「それで、この先生のところで心の仕組みを学びたいって思ったんだ」
うんこ「・・・」
わたし「未来を信じられないくらい自分の変化を諦めてた自分が、もう一度この人の言葉と心を聞いて変わりたいと思ったんだよね。それが、わたしにとっては根本先生だったっていうこと」
うんこ「・・・」
わたし「あ、もちろんわたしの彼は別格だよ。魂を根源から癒してくれた、見守ってくれた、愛してくれたのは彼だし、そういう意味で彼は別格なんだけどね」
うんこ「・・・」
わたし「で、根本先生の心の見方を聞きたいって、心の見方を学びたいって集まった仲間たちもいてさ。また濃ゆい仲間たちなんだけど、それがまたおもしろい人しかいなくてさ」
うんこ「・・・」
わたし「それで、あぁ、いいんだなって。もういいんだなって思ったんだよ」
うんこ「・・・」
わたし「お弟子仲間と出会って、彼ら彼女らの人生や痛みを聞いて、わたしの痛みも聞いてもらっているうちに、この世にはもしかしたら一切混ざり合うことのない色があって、一生見ることのなかったであろう色もあって、その色が合うこともあれば、合わないこともある」
うんこ「・・・」
わたし「自分とそれらの色が少しずつ混ざり合うこともあれば、混ざり合ったあとに特定の色だけ消したくなることもある」
うんこ「・・・」
わたし「それで、自分の色がわからなくなったときに、色を貸してくれたり、見せてくれたり、ただ色がわかるまでいっしょにいてくれることもある」
うんこ「・・・」
わたし「自分の色だけでなんとかできることもあれば、誰かの色と重なったことによって自分や誰かを助けられることもあるし、つながったことによってこの世に残る色もある」
うんこ「・・・」
わたし「ぜんぶが完璧じゃないし、すべてが良いことにならなかったとしても、でもそれでいいんだなぁって思ったんだよ」
うんこ「・・・」
わたし「だってこの色は自分でしかないから。わたしにも他の仲間の色にも代わりがないように、うんこちゃんの色はうんこちゃんでしかないでしょ」
うんこ「・・・」
わたし「だからね、うんこちゃんも外に出て色を見てみたくない?」
うんこ「・・・」
わたし「今は知りきったような大腸の薄暗い中にいるだろうけど、うんこちゃん自身の色もそこにいるときと、外に出たときで変わるかもしれないし、誰かに恋して恋色に変化するかもしれないよね」
うんこ「・・・」
わたし「外に出たら、色を書き換えていくことも、そのまま大切にし続けることもできるし、わたしがなにか手を貸すこともできる」
うんこ「・・・」
わたし「わたしがずっと応援してるからさ、うんこちゃんもたくさんの色を知って自由に生きてみたらどうかな」







え?っていう。
・・・え?っていう。
とりあえず、出てましたよね。
うんこちゃん、出てましたよね。
いつ出たのかまったく記憶にない。
たぶん今さっきの空気じゃない。
キラキラした瞳でこっち向いて話聞いてましたよね。
まぁ、とにかく、そんなわけだから、そこでウンウン唸っている方は、ぜひお弟子制度という外に出てきてみてはいかがでしょうか?
うんこが無事に出る保証はしないですけど、なんかあったときに頼れる
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7月15日(金)19時~21時(2時間の予定)満員御礼
7月16日(土)19時~21時(2時間の予定)満員御礼
料金は3000円(込)で、オンライン開催です。
詳しい内容と、お申込みは募集ページにて、ぜひぜひご参加をお待ちしております!!
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それではきょうも、セージのお茶を飲んだら政治家になれたようないい夢をみましょう~!
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