みなさんごきげんよう。

美輪ふぁきひろです。

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最近自然のなかで過ごす時間が増えて、なんだかますます自分の感情の動きに素直になっている気がします。

鳥のさえずりや鈴虫の音、太陽や草や土の匂い、お花や空の色に自然に吹く風。

人工的ではなく、こんな自然でできた空間にいると、なんて人間というのはしあわせな生き物なんだろうと感じます。

鼻・目・耳・口・手の五感で感じ取れるというのは、ほんとうに贅沢でしあわせなことだなぁと感じております。

人間は土に還るといいますが、それこそ土という大地のベッドに包まれて眠れるなんてステキだなぁと考えたりしています(そのうち近い将来では宇宙にお墓が立てられるかもしれないとわたしは思ってますけど)

もしも今感情がマヒしてしまったり、罪悪感でしんどくなっていたり、心の動きが鈍くなっているという方がいたら、ぜひ「人工的につくられたもの」から離れてみることをおすすめいたします。

携帯しかり、テレビしかり、パソコンや仕事、ビルや看板うずめく街などから離れて、数日でも一時的にでも、山や海、畑や花、川や池など、自然に生きているものへ触れ合うことをおすすめいたします。

きっと人工的なものから離れた分だけ、心の栄養を自然が与えてくれることでしょう。


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さて、ここからはWhyWhyコーチのふぁーこがお送りいたします。


今日は許すということについてです。

許すって、言葉では意味をわかっていますし、頭では「こんな感じ(こんな状態)になることね」と理解ができても、気持ちの面でスッキリしなかったり実感できないとなかなか「許した」と言えないですよね。

今回はそんな「許し」について"誰かを許せない"、"自分を許せない"のどちらについても考えてみようとおもいます。



許せないというのは、怒りや憎しみや傷ついたときにできる感情ですよね。
もしくはなにかを責める気持ち。
そしてそういった気持ちを持ち続けているという状況のことだとおもいます。

”誰かを許せない”という気持ちは、どちらかというとその人との関係によって自分の心が傷ついたからこそできたもので、それによって被害者意識を生み出すものかもしれません。

そして本当は持ちたくもないのにあなたのせいでこんな感情を持つことになったと言えば、相手にその荷物を背負わせることができるから持ち続けるのかもしれないなとおもいます。

もしくは許さないことで自分の傷を守ろうとしているとも言えるかもしれません。


だけど、”自分を許せない”というのは、被害者意識にもなり、加害者意識にもなる気持ちだとおもいます。

人間は他人とは物理的にも心理的にも自分自身よりは距離がありますが、自分自身からは逃れられません。自分を生かしているのは自分だからです。

それを考えると自分自身を許すということのほうが、誰かを許すよりずっと難しいのかもしれないなとおもいます。

自分を許せないとき、自分は傷ついた被害者でもあり、また自分に許さないという罰を与える加害者でもあるので、逃げ場がありません。

たとえば誰かとの関係によって傷つけられたという被害者意識だけでいられたらまだ責める相手や罰を与える相手が自分とは物理的にも心理的にも自分以上には離れたところにいたりしますが、自分自身を許せないときはその許せない相手も罰を与える相手も自分自身なので年中無休で自分をフルボッコできる(されている)ような状態です。

それではいつまでたってもしんどい気持ちのままですよね。



では許したとはなんでしょうか。

「忘れ去る」とは、ちがうとおもいます。

忘れ去るということは自分の意識上でコントロールできるものではないようにおもうんですね。

忘れ去るというのは脳の作用であったり機能によるものであるとおもいます。



じゃあ許す、もしくは許したという状態になるには、逆に相手(もしくは許せない対象)の世界に近づくこと(理解すること)が必要なのではないかとおもったんですね。

もちろん近づきたくない気持ちがあるかもしれないですが、許すために意識的にその事柄や人を忘れ去るということが難しいのであれば、許せない対象の世界を理解したり、許せない対象の感覚や捉え方を自分ごとにできたら、許せずにいた感情を手放して自由になることができるのかもしれないなとおもったんです。

誰かを許すというよりは、誰かを許さないとか「怒り」とか「憎しみ」みたいな負の感情を持つ自分のほうがしんどいので、自分がラクになるために誰かの世界も許そうということです。


また、その状態になることが許すということならば、自分を許せないときは自分に近づいていく必要があるのかもしれません。

もし自分を許せないとしたら、自分は罰を受ける存在であり、悪いやつだという気持ちが少なからずあるはずで、それは自分で自分を遠くに追いやっているような感じがします。

無条件に手を広げておいでと言えず、おまえのような汚らしい、いけないやつはあっちにいけと、遠くの暗いところへ追いやっている感じです。

それではいつまで経っても自分は傷ついたままで、そして罰を与え続けるループも変わらないままなのではないかとおもいます。



であるならば、やはり自分を許すにはまずそのとき感じた自分の”気持ち”を許す必要があるのだとおもいます。

そこで、”気持ち”と”起きた事象”は別だと考えてみると、

「わたしはあのときこう感じた。こう思った。」とか「こういう気持ちになった」という気持ちの部分は「そうだったよね」「そうだよね」と心から出すこと(感じること)を許してあげて、起きた事象(起こした事象)の部分は一旦置いておきます。

たとえば学生のころ、誰かをイジメていた自分を許せない人がいるとしたら、

「イジメていた」という起こした事象の部分は一旦置いておいて、

そのときどんな気持ちだったのか。どんな気持ちで過ごしていて、どんな気持ちがきっかけでイジメという行為をしたのかという気持ちの部分にフォーカスします。

起こした事象は二の次で、その前にどんな気持ちが自分の中にあったのかという部分を自分で探ったり、気づいてあげる必要があるのではないかなとおもうんですね。

また、自分で産んだ子供をかわいがれない(愛せない)自分を許せないという人がいるとしたら、

「かわいがれない(愛せない)」という事象の部分は一旦置いておいて、

子供のことを思うとどんな気持ちになるのか。ふだんどんな気持ちで過ごしているのか。自分自身についてずっとどんな気持ちを持って生きてきたのか、自分の親にはどんな気持ちを持っているのかなどの気持ちへフォーカスします。

行動や事象というのは先に感情や心があって、それによって起こされたり無意識に起こしていることであり、行動の元となる気持ちの部分を許し、捉え方や感じ方を変化させることで行動も自然と変わっていくとおもうんですね。

だからそのときどんな気持ちを持っていたのかわかれば、すぐにそんな自分を受けいれられるか(許せるか)は別としても、許してあげるきっかけにはなります。



また、「許す」ということは「怒り」や「憎しみ」や「傷ついた」という気持ちを手放せる自分に変化するということでもあるので、勇気が必要だったりします。

人間はもともと変化を恐れる(安定や安心が好き)という心理もあるのですが、「許さない」という気持ちを持ち続けているときはそのときのエネルギーで生きられているところもあるんですね。

たとえば「憎しみ」であったり、「怖れ」という感情が強いほどそれを持つに耐えうる肉体的だったり精神的なエネルギーを持っているということなりますし、「怒り」という強いエネルギー源によって生きられているということもあります。

そしてそんな自分に慣れてしまうと、そこから「許す」というほうへ変化することは今までの自分を180度変える(と思える)ようなものですから、変化させることへの勇気やきっかけが必要になったりするんですね。



傷つけたり傷つけるのが人間ならば、そういった変化や勇気を与えるきっかけもまた人間であるとわたしはおもうのですが、やはり変化する鍵は「愛」であるのだろうとおもいます。

「許せない」ということは、ほんとうは「許したい」ということではないかなとおもうんです。

許したい気持ちがまったくなければ、「許せない」という事柄にたいして悩まないか、もはや「許せない」という自分をも肯定してそのエネルギーで生きているという状態ではないかとおもいます。

もちろん、許したくないときは許さなくていいとおもうんです。それが自分の人生なのですから、どんな選択もそれでいいとわたしはおもっています。

ただ、「もうこんな感情でいつづけるのは辛い」とか「もうこの呪縛をおわりにしたい」とおもうようになったとき、「じゃあどうやったら許せるだろう(ラクになるだろう)」と考えるとおもいます。

そうなったとき、「わたしはどうして許せないんだろう」ではなく、「どうしてこんなにもこのこと(この人)で悩むのだろう」「どうしてこの人(自分)を許したいんだろう」という視点で考えてみるといいのかもしれません。

それだけ悩んだり許せない気持ちを手放さずににぎりしめてきたぐらいですから、ずっとずっと大切にしてきた気持ちや人、そして自分の大切な世界があるとおもうんです。

どうでもいいことだったら「まぁいいや」とか「そんなこともあったね」くらいでそこまで「許せない!」という思いもわかないですよね。

だからこそ、その大切なものや大切にしてきた世界を越えて、その相手への思い(もしくはその世界だけで生きる自分自身)を手放し、もっともっと大きな豊かな世界で生きられるようになること=(イコール)もっと大きな愛を持っている自分に気づくということが、ほんとうは自分が求めている「許すこと」なのかもしれません。



相手を理解する。もしくは自分のそのときの気持ちを理解する。

そしてわたしが悪いわけでも、相手が悪いわけでもないこと。

わたしがこうして悩んで生きているように、相手も同じだということ。

相手が悩んで生きているように、わたしも同じだということ。

わたしにはわたしの気持ちがあるように、相手には相手の気持ちがあるということ。

相手には相手の気持ちがあるように、わたしにはわたしの気持ちがあるということ。

それに良いも悪いもない。

どの生き方にも「正解」や「間違い」はない。

豊かな愛を持った自分に気づき、「許せない」というぎゅうぎゅうに閉じ込めていた世界から豊かな世界を自分に与えてあげることで、もっと選択肢がひろがり、相手や自分を理解した分だけ怖れや怒りも薄れていくのではないでしょうか。



・・・とかなんとか言って、やっぱり「許す」ってそうそう急にできるものではないとおもうんですけどねー笑

感情はコロコロ変わるのが常ですから、そうそう「許す」っていう感覚を実感的にわかるって1人では難しいとおもうんですよね。

かくいうわたしもぜんぜんまだできてませんから笑

だけど、1人では難しいけど誰かの力があれば「許す」というプロセスもやりやすくなるとおもうんです。

そのために、まずはわたしが身をもって許すというプロセスを実感したり、理解しておきたいなぁとおもって書いておきました。

許しのプロセスは負に感じる感情もある分、なかなかスムーズにはいかないかもしれないですが、その先には今よりもっともっと広くて自由で豊かな世界があるので、ぜひチャレンジしてみてほしいなとおもいます。

もちろん、「無理せずマイペースに」ですけどね^^

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それではきょうも、地響きのあとで地球が四角くなっていたようないい夢をみましょう~!


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