こんばんは!
WhyWhyコーチのふぁーこです。
今日のはなしは「ジョーカー」という映画のネタバレを多く含みます。
まだ観ていない方は、その点ご留意いただきましてお読みください。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇
WhyWhyコーチのふぁーこです。
今日のはなしは「ジョーカー」という映画のネタバレを多く含みます。
まだ観ていない方は、その点ご留意いただきましてお読みください。
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ジョーカーという映画を観ました。
ジョーカーという映画はホラーだと思っていたのですが、どうやら見終わったあとにホラーではないみたいだぞ・・・と。
いや、ホラーじゃないというか、グロいシーンや残酷なシーンはあるにせよ、日本で制作されるような「貞子」とか「呪怨」みたいなホラーではないのはたしかなんですね。
しいて言うならば、人間の闇の部分と、光の部分をごっちゃまぜにしたような話・・・?
いや、光の部分を闇にせざるを得なかった話・・・?
でも、光を自分でつくりだした話・・・かなぁ。
もう、はっきり言って感想をコレだ!って一概に言えるような話ではないんですよね。
だから見終わった感想を一言でいうと、
「え?ぜんぜん意味わかんなかったんだけど・・・!?」
です。
ほんとに、いまだにハッキリと明確な意味や自分の中で糧になるような納得の仕方ができていないというか・・・。
永遠にわからない気もするし、だからこそわかりたいと思うのかもしれないし、ずっと考えてしまうんですよね。
わたしのブログは「WhyWhyなんでブログ」って言うんですけど、これもわたしの性質というか、
なんでも「なんで?」「どうして?」と知ったり理解したいと思うことばかりだから、
心や人間という正解のない世界を知っていきたくてWhyWhyなんでという名前にしたんですね。
そういうわけで、ジョーカーも理解や解釈はいまだにできていないけど、だからこそどういうことなんだろうと考えてしまう映画だったわけです。
たしかにおもしろくない(興味深くない)というわけではないんです。
主人公を演じる俳優さんの演技も最高にうまいし(ほんとうに演じていると思えないレベル)、
ストーリーも展開も次が気になってしまって集中して見ちゃうし、
ハラハラドキドキさせられるし、
映画としての完成度はかなり高いんだろうなぁ・・・とおもいます。
でも「おもしろかった!」とか「すごいよかった!」とかそういう一言で片づけられないような気持ちになりました。
彼と見たので彼とも見終わったあとにどうだったか話したのですが、彼は「すごくよかった」と・・・。
「えぇ!?なんで?どういうことだったのか意味わかった!?」
と聞くと
「意味はわからないところもあったけど、意味とかじゃなくて、気持ち的によかったと思ったんだよ」と。
それを聞いてもっと意味がわからなくなりました。
そこでネットでも検索してみたわけです。
そうすると出てくる出てくる、「意味が分からない部分をこういう解釈で捉えてみた」とか「こういうことだと理解した」というたくさんの人たちの意見や考えが見つかりました。
しかし、どれをとっても「うーん・・・じゃあなんのためにこれを監督はつくったんだろう?」とおもってしまったり、「そこの解釈はできたけど、そんなトリックがわかってもどうして彼がああなってしまったのかわからないし・・・」とまた迷ってしまいました。
そんなわたしに、彼が町山智浩さんという方の解釈を載せているサイトを教えてくれました。
>「町山智浩『ジョーカー』を語る」
これを読んで、「あぁ、たしかにそうかもな」とおもったんですね。
>(町山智浩)(ジョーカーが)いちばん怖い。ジョーカーっていうのは究極のテロリストなんですね。で、ジョーカーはジョークを言う人で、「それは全部ジョークなんだよ」って言うんですよ。「そんなこと、なんのためにやっているんだ!」って言うと、「ジョークさ」って言うんですよ。
なるほどー、とおもいました。
ジョーカーというのは道化師の恰好をしている、いわゆるピエロですが、ピエロというのはみんなを笑わせたり、楽しませたりする人ですよね。
ジョーカーも、もともとは「人を笑わせたい」「コメディアンになりたい」とおもっていたわけです。
そして純粋にそれを追いかけているやさしい青年だった。
しかし、現実世界では皮肉やブラックジョークなどのほうが笑いになる傾向にあり、「やさしい」だけでは人々は笑ってくれない。
そしてやさしさや善意こそ、標的にされることがあるんですね。
>(町山智浩)そう。彼には毒がないんですよ。優しい男だから。で、彼自身はピエロをやって子供たちを楽しませているんですよ。で、それはうまくいっている。優しい男だから。で、家に帰ると貧乏なんだけども、病気のお母さんを1人で面倒を見ている。そういう、いいやつなんですよ。ところが、いいやつだから周りにどんどんどんどんいじめられて、どんどん追い込まれていくんですよ。
ほんとうにやさしいからこそ、まん丸すぎてトゲ一つないから、簡単にねらわれて標的にされてしまう。
そして持病をかかえていたり、母の介護や、仕事を精一杯やっていても政治は金持ち優遇の政治に傾いていって貧困層はどんどん制限されるようになります。
孤独だわ、金はないわ、自由はないわ、で同情せざるを得ない状況であるわけです。
まるで今の現代社会そのもののように。
そうしていくとどんどん心のすきまがなくなり、いつ人格変化を起こしてもおかしくないくらい、ストレスや吐き出せない(当たりどころのない)気持ちが膨らんでいくわけですね。
>(町山智浩)で、とにかく悲惨なんですね。このホアキン扮するジョーカーの半生というのは。で、その中でもみんなを笑わせようと思っていたんですけども、突然もう限界に達して彼はキレルンですよ。「これは限界だ!」っていうところで。それで、ジョーカーとして生まれ変わるんですよ。もう全てをお笑いのめす。その時に彼が言うセリフというのが「俺は俺の人生をずっと悲劇だと思っていたよ。でもいま、気がついたんだ。これは傍から見れば喜劇なんだよな」って言うんですね。
名言すぎるくらい、その意味がよくわかります。
>(町山智浩)切ない言葉なんだけども、このセリフはあの喜劇王チャップリンの言葉が元になっているんですよ。チャップリンは昔、言ったんですよ。同じことでも、クローズアップでその人の顔を撮ると、それは悲劇になるんだって。たとえば、バナナの皮で滑って転ぶというのは、その本人の顔を撮影すると痛そうで泣いてて惨めで……それは、悲劇でしょう? 自分でも失敗すると本当に悲しいじゃないですか。本当に泣きたくなる時があるじゃないですか。でも、それを遠くから撮影するとお笑いなんですよ。その人の心はわからないから。「ああ、滑って転んでやがる。バカでー!」ってなる。チャップリンは「同じ人生をクローズアップで撮れば……近くでその人の心がわかるように撮れば悲劇だし、遠くから笑いものすれば喜劇なんだ」って言ったんですよ。
これはすごい名言ですね。
たしかにその通りで、もしもわたしたちが金持ち優遇政治や、戦争などの国際政治に意を唱えるとしたら、それは自分自身や、周りの大切な人たちの「悲劇」を知っているから、もしくはいっしょに感じているからではないでしょうか。
クローズアップしてその人の顔、心を見れているからこそ、「悲劇」を減らそうと考えられるのではないかとおもいます。
でも、もしも政治家や国のトップなど、高級官僚になったとして、その「悲劇」を遠くからながめる側に回ってしまったとき、わたしたちはその人たちの「悲劇」をほんとうの意味で理解できていると言えるでしょうか。
その悲劇を感じている人たちのお金で、時間で、立場でなにもかも自分の都合のいいように使えるとしたら、その人たちの「悲劇」を「喜劇」のように扱うことなどたやすいことなのかもしれません。
そこにはどこぞの貴族のように、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と言ってしまえる怖さがあるのです。
映画の中で、ロバートデニーロ演じるテレビ番組の司会者が出てくるのですが、その司会者やテレビ番組(トークショー)にジョーカーは憧れていて、いつか自分も出演したい、コメディアンとして認めてもらい、たくさんの人を笑わせたいとおもっていました。
前半で出てくる彼の妄想上(と思われる)シーンでは、ジョーカーはそのテレビ番組の観覧にいて、席から発したちょっとした一言をその司会者に気づかれて、かんたんな自分の身の上話(母の介護)や自己紹介をして舞台の上に呼ばれ、司会者に認めてもらい、ハグをするという場面があります。
つまり、きっとジョーカーの中ではその司会者やテレビ番組が憧れであり、司会者なら自分の「悲劇」を理解してくれる、心をクローズアップで見てくれる人だと思っていたと捉えることができます。
もしくは、誰にも知られていない、誰にも見られていない、誰にも理解されていない孤独なジョーカーの、唯一の光であったのが、ロバートデニーロ演じる司会者だったのかもしれません。
しかし後半でそのテレビ番組に呼ばれたジョーカーは、「地下鉄で3人殺したのは自分だ」という告白の意図をその司会者に聞かれ、
「僕にはもう失うものはない。傷つける者もいない。僕の人生はまさに喜劇だ。僕が歩道で死んでも踏みつけるだろ。誰もぼくに気づかない。マレー、外の世界を見たことがあるか?誰もが大声で罵り合ってる。礼儀もなにもない!誰も他人のことを気にかけない。ウェインみたいなやつらがぼくの気持ちを考えるか?他人の気持ちなど考えない。こう思うだけさ、“黙っていい子にしてろ”“狼にはなれない”。」
と言うジョーカーに司会者は「終わったか?自分を憐れんで殺人の言い訳を並べてるだけだ。みんなが最低ってわけじゃない。」と言い返します。ジョーカーは
「あんたは最低だ。僕の映像を流してこの番組に呼んだ。笑いものにするために。やつらと同じだ。心を病んだ孤独な男を欺くとどうなるか・・・。社会に見捨てられ、ゴミみたいに扱われた男だ!報いを受けろクソ野郎!」
と言ってその司会者を銃で撃ち殺します。
ジョーカーは映画の中で何人かを殺害しますが、一番憎いように、感情が高ぶっていたように見えたのはこの司会者を銃殺するときです。
唯一の自分の楽しみでもあり、光でもあった存在が自分を笑いものにした。利用するだけ利用して心や存在を見てはくれなかった。だから殺すということが、ジョーカーの中では喜劇に思えたのかもしれません。
そして撃ってもなおジョーカーはひょうひょうとテレビカメラに近づいて何かを言おうとするシーンで放送休止画面に切り替わるのですが、彼の立ち振る舞いから、その司会者を殺すことさえも「劇」や「ショー」のようなものであったのかもしれないなとおもいました。
司会者を撃つ前、ジョーカーはこんなことも言っています。
「喜劇なんて主観さ。この社会だってそうだ。善悪を主観で決めてる。同じさ。自分で決めればいい。笑えるか、笑えないか。」
たしかに、笑いというものは主観であり、なにかを見たときに笑えるか笑えないかは人それぞれの見方や感じ方によって変わります。
だからこそジョーカーは「悲劇」さえも誰かの心では笑いが起きることがわかり、表立って「喜劇」と表現することがすべてじゃないとおもったのかもしれません。
そして、「悲劇」も見方によっては「笑い」になるのであれば、「この世はすべてジョーク」とずっと笑っていられるとおもったのかもしれません。
こうしてジョーカーに感情移入してしまうと、「なにが良くて」「なにが悪いのか」というのはその人の主観によって、状況によって変わるでしょうし、一概に「これが悪だ!」というものは存在しないのだろうなという気持ちになっていきます。
人を殺すということもさまざまな国が法律で定めている禁止事項ではありますが、その法律をつくり、国民に遵守させる立場の国のトップが戦争や拘束を他人に指示し、見知らぬ人たちを殺したりしている現状を見ていると、はたして今回のジョーカーのような行為を否定できるのだろうか?と疑問におもいます。
また、皮肉なことにも、そのトップの人を決めたのが国民であるということも(多数決ではあれど)笑うしかないというか、どこにやればいいのかわからない気持ちになっていきます。
そうおもうと、今わたしたちのすぐ足元まで、そんなジョーカーのようにパーンと生まれ変わってしまうような、苦しみややり場のない気持ちが押しよせているのかもしれません。
でもそれをも、「この世はすべてジョークみたいなものだ」と笑ってしまえれば、もうそれ以上怖いものはないのかもしれないとおもいます。
みんな失いたくないものがあるから(命や大切な人や好きなことや財産など)、それを死守するための防衛としてなにかを攻撃するということはありますが、
ジョーカーのように失うものはすべてない=自分の命を失うことも恐れていない状況になったとき、わたしたちは無敵の存在になるのだろうとおもいます。
最後に、映画のラストシーンでかかる曲がジョーカーの心髄の部分ではないかと思うので、その言葉をお伝えして締めたいとおもいます。
「That's Life」 (フランク・シナトラ)
これを読んで、「あぁ、たしかにそうかもな」とおもったんですね。
>(町山智浩)(ジョーカーが)いちばん怖い。ジョーカーっていうのは究極のテロリストなんですね。で、ジョーカーはジョークを言う人で、「それは全部ジョークなんだよ」って言うんですよ。「そんなこと、なんのためにやっているんだ!」って言うと、「ジョークさ」って言うんですよ。
なるほどー、とおもいました。
ジョーカーというのは道化師の恰好をしている、いわゆるピエロですが、ピエロというのはみんなを笑わせたり、楽しませたりする人ですよね。
ジョーカーも、もともとは「人を笑わせたい」「コメディアンになりたい」とおもっていたわけです。
そして純粋にそれを追いかけているやさしい青年だった。
しかし、現実世界では皮肉やブラックジョークなどのほうが笑いになる傾向にあり、「やさしい」だけでは人々は笑ってくれない。
そしてやさしさや善意こそ、標的にされることがあるんですね。
>(町山智浩)そう。彼には毒がないんですよ。優しい男だから。で、彼自身はピエロをやって子供たちを楽しませているんですよ。で、それはうまくいっている。優しい男だから。で、家に帰ると貧乏なんだけども、病気のお母さんを1人で面倒を見ている。そういう、いいやつなんですよ。ところが、いいやつだから周りにどんどんどんどんいじめられて、どんどん追い込まれていくんですよ。
ほんとうにやさしいからこそ、まん丸すぎてトゲ一つないから、簡単にねらわれて標的にされてしまう。
そして持病をかかえていたり、母の介護や、仕事を精一杯やっていても政治は金持ち優遇の政治に傾いていって貧困層はどんどん制限されるようになります。
孤独だわ、金はないわ、自由はないわ、で同情せざるを得ない状況であるわけです。
まるで今の現代社会そのもののように。
そうしていくとどんどん心のすきまがなくなり、いつ人格変化を起こしてもおかしくないくらい、ストレスや吐き出せない(当たりどころのない)気持ちが膨らんでいくわけですね。
>(町山智浩)で、とにかく悲惨なんですね。このホアキン扮するジョーカーの半生というのは。で、その中でもみんなを笑わせようと思っていたんですけども、突然もう限界に達して彼はキレルンですよ。「これは限界だ!」っていうところで。それで、ジョーカーとして生まれ変わるんですよ。もう全てをお笑いのめす。その時に彼が言うセリフというのが「俺は俺の人生をずっと悲劇だと思っていたよ。でもいま、気がついたんだ。これは傍から見れば喜劇なんだよな」って言うんですね。
名言すぎるくらい、その意味がよくわかります。
>(町山智浩)切ない言葉なんだけども、このセリフはあの喜劇王チャップリンの言葉が元になっているんですよ。チャップリンは昔、言ったんですよ。同じことでも、クローズアップでその人の顔を撮ると、それは悲劇になるんだって。たとえば、バナナの皮で滑って転ぶというのは、その本人の顔を撮影すると痛そうで泣いてて惨めで……それは、悲劇でしょう? 自分でも失敗すると本当に悲しいじゃないですか。本当に泣きたくなる時があるじゃないですか。でも、それを遠くから撮影するとお笑いなんですよ。その人の心はわからないから。「ああ、滑って転んでやがる。バカでー!」ってなる。チャップリンは「同じ人生をクローズアップで撮れば……近くでその人の心がわかるように撮れば悲劇だし、遠くから笑いものすれば喜劇なんだ」って言ったんですよ。
これはすごい名言ですね。
たしかにその通りで、もしもわたしたちが金持ち優遇政治や、戦争などの国際政治に意を唱えるとしたら、それは自分自身や、周りの大切な人たちの「悲劇」を知っているから、もしくはいっしょに感じているからではないでしょうか。
クローズアップしてその人の顔、心を見れているからこそ、「悲劇」を減らそうと考えられるのではないかとおもいます。
でも、もしも政治家や国のトップなど、高級官僚になったとして、その「悲劇」を遠くからながめる側に回ってしまったとき、わたしたちはその人たちの「悲劇」をほんとうの意味で理解できていると言えるでしょうか。
その悲劇を感じている人たちのお金で、時間で、立場でなにもかも自分の都合のいいように使えるとしたら、その人たちの「悲劇」を「喜劇」のように扱うことなどたやすいことなのかもしれません。
そこにはどこぞの貴族のように、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と言ってしまえる怖さがあるのです。
映画の中で、ロバートデニーロ演じるテレビ番組の司会者が出てくるのですが、その司会者やテレビ番組(トークショー)にジョーカーは憧れていて、いつか自分も出演したい、コメディアンとして認めてもらい、たくさんの人を笑わせたいとおもっていました。
前半で出てくる彼の妄想上(と思われる)シーンでは、ジョーカーはそのテレビ番組の観覧にいて、席から発したちょっとした一言をその司会者に気づかれて、かんたんな自分の身の上話(母の介護)や自己紹介をして舞台の上に呼ばれ、司会者に認めてもらい、ハグをするという場面があります。
つまり、きっとジョーカーの中ではその司会者やテレビ番組が憧れであり、司会者なら自分の「悲劇」を理解してくれる、心をクローズアップで見てくれる人だと思っていたと捉えることができます。
もしくは、誰にも知られていない、誰にも見られていない、誰にも理解されていない孤独なジョーカーの、唯一の光であったのが、ロバートデニーロ演じる司会者だったのかもしれません。
しかし後半でそのテレビ番組に呼ばれたジョーカーは、「地下鉄で3人殺したのは自分だ」という告白の意図をその司会者に聞かれ、
「僕にはもう失うものはない。傷つける者もいない。僕の人生はまさに喜劇だ。僕が歩道で死んでも踏みつけるだろ。誰もぼくに気づかない。マレー、外の世界を見たことがあるか?誰もが大声で罵り合ってる。礼儀もなにもない!誰も他人のことを気にかけない。ウェインみたいなやつらがぼくの気持ちを考えるか?他人の気持ちなど考えない。こう思うだけさ、“黙っていい子にしてろ”“狼にはなれない”。」
と言うジョーカーに司会者は「終わったか?自分を憐れんで殺人の言い訳を並べてるだけだ。みんなが最低ってわけじゃない。」と言い返します。ジョーカーは
「あんたは最低だ。僕の映像を流してこの番組に呼んだ。笑いものにするために。やつらと同じだ。心を病んだ孤独な男を欺くとどうなるか・・・。社会に見捨てられ、ゴミみたいに扱われた男だ!報いを受けろクソ野郎!」
と言ってその司会者を銃で撃ち殺します。
ジョーカーは映画の中で何人かを殺害しますが、一番憎いように、感情が高ぶっていたように見えたのはこの司会者を銃殺するときです。
唯一の自分の楽しみでもあり、光でもあった存在が自分を笑いものにした。利用するだけ利用して心や存在を見てはくれなかった。だから殺すということが、ジョーカーの中では喜劇に思えたのかもしれません。
そして撃ってもなおジョーカーはひょうひょうとテレビカメラに近づいて何かを言おうとするシーンで放送休止画面に切り替わるのですが、彼の立ち振る舞いから、その司会者を殺すことさえも「劇」や「ショー」のようなものであったのかもしれないなとおもいました。
司会者を撃つ前、ジョーカーはこんなことも言っています。
「喜劇なんて主観さ。この社会だってそうだ。善悪を主観で決めてる。同じさ。自分で決めればいい。笑えるか、笑えないか。」
たしかに、笑いというものは主観であり、なにかを見たときに笑えるか笑えないかは人それぞれの見方や感じ方によって変わります。
だからこそジョーカーは「悲劇」さえも誰かの心では笑いが起きることがわかり、表立って「喜劇」と表現することがすべてじゃないとおもったのかもしれません。
そして、「悲劇」も見方によっては「笑い」になるのであれば、「この世はすべてジョーク」とずっと笑っていられるとおもったのかもしれません。
こうしてジョーカーに感情移入してしまうと、「なにが良くて」「なにが悪いのか」というのはその人の主観によって、状況によって変わるでしょうし、一概に「これが悪だ!」というものは存在しないのだろうなという気持ちになっていきます。
人を殺すということもさまざまな国が法律で定めている禁止事項ではありますが、その法律をつくり、国民に遵守させる立場の国のトップが戦争や拘束を他人に指示し、見知らぬ人たちを殺したりしている現状を見ていると、はたして今回のジョーカーのような行為を否定できるのだろうか?と疑問におもいます。
また、皮肉なことにも、そのトップの人を決めたのが国民であるということも(多数決ではあれど)笑うしかないというか、どこにやればいいのかわからない気持ちになっていきます。
そうおもうと、今わたしたちのすぐ足元まで、そんなジョーカーのようにパーンと生まれ変わってしまうような、苦しみややり場のない気持ちが押しよせているのかもしれません。
でもそれをも、「この世はすべてジョークみたいなものだ」と笑ってしまえれば、もうそれ以上怖いものはないのかもしれないとおもいます。
みんな失いたくないものがあるから(命や大切な人や好きなことや財産など)、それを死守するための防衛としてなにかを攻撃するということはありますが、
ジョーカーのように失うものはすべてない=自分の命を失うことも恐れていない状況になったとき、わたしたちは無敵の存在になるのだろうとおもいます。
最後に、映画のラストシーンでかかる曲がジョーカーの心髄の部分ではないかと思うので、その言葉をお伝えして締めたいとおもいます。
「That's Life」 (フランク・シナトラ)
That's Life
これが人生
これが人生
and as funny as it may seem
冗談みたいだけど
Some people get their kicks, stompin' on a dream
Some people get their kicks, stompin' on a dream
夢を踏みつけて小躍りする人もいる
But I don't let it, let it get me down
But I don't let it, let it get me down
だけど くじけたりしない
Cause this fine old world…
この古き良き世界は…Cause this fine old world…
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それではきょうも、ジメジメ雨とシトシト雨が虹を見に行ったようないい夢をみましょう~!
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