こんばんは!
WhyWhyコーチのふぁーこです。

〇〇〇〇〇〇〇〇〇
個人的な話ですが、
「ふぁーことふぁーこのおかあさんのはなし①」
「共依存だったお母さんと離れて自分として生きる」
などでも書いた通り数年前にわたしの母はアルコール依存症やらうつ病やらで休職することになり、それをサポートしていたわたしが母と共依存の関係になっていたのでわたしから連絡などを絶つことを伝えてしばらく連絡をとらずにいます。
グルジアに来ることも直接伝えようかとおもいましたが、そのころはまだ母とどっぷり癒着していて、どうしてもわたしが母の言葉に敏感に反応してしまうので言わずに来ました。
それからは姉を通して母のことを聞いたり、わたしがグルジアに移住しに来たことも姉が母に伝えたりしてくれたそうです。
姉は海外や各地で仕事をしたり転々と移動していて母のサポートをあまりできなかったのですが、なんとなくわたしが母と距離をとってから姉が実家に帰って母を気にかけてくれる機会が増えました。
今から数か月前に姉から「おかんがこけて足骨折したかも。めっちゃ腫れてて痛がってるから病院行こうって言ってるのに病院には行かないって言って聞かない。もう放っておこうとおもう」という内容で連絡がきました。
わたしは直接すぐに行けるわけでもないので、姉に状況を聞きながら、姉の判断に任せることを伝えました。
結局その後救急車を呼んだみたいで、病院で見てもらうと母の足は手術が必要な状況で、入院することになりました。
そして無事手術は成功し、通院生活を送っていたようですが、骨をくっつけようとしている時期にあんまり歩くと負担がかかってよくないと言われていたけど母は歩いてしまったようで、それによりまた難しい手術をしたとのことで現在も入院中です。
わたしは姉から一番最初に母が入院と手術をしないといけないと聞いたときにすごく苦しい気持ちと罪悪感が出てきたのですが、結局日本には帰らないという選択をしました。
母は「超自立」で誰にも頼らない・甘えない・委ねないのを通りこして私たちに手助けさせてくれない・力にならせてくれないような状況なので、姉からは「母をなんとかしてあげたいけど(一向によくなるようには感じられなくて)一緒にいるのがつらい」というようなメッセージが届いてもいました。
その気持ちがすごくわかるので、わたしも「そうだよね」と聞きつつ、わたしはなにかしてあげられることないかなと考えていました。
ほんとうは、動ける体があるんだからわたしが日本に帰って母の介護をしたりサポートしてあげるのが、一番他人には頼らない母としても心強いだろうし姉も助かるんだろうな、とおもっています。
でも、母が胃がん・胆のうがん手術をしたときや、交通事故で手術・入院したとき、職場再復帰したとき、いじめをうけたとき、うつ病になったとき、休職したとき、急性膵炎で入院したとき、アルコール依存がわかったとき、ぜんぶその時その時でわたしができることをして、それでも母の罪悪感や健康を良くすることができなかった。
・・・とわたしは無力感や罪悪感があり、もう自分だけがサポートしようとしても、本人の前向きに生きる気持ちがなければ意味がないんだ、ということもわかりました。
もしかしたら「わたしがこれだけやったんだからお母さん元気になってよね」と母を元気にしようとコントロールすることで自分の罪悪感や無力感を感じないようにしたかったのかもしれません。
そして姉からは「おかんのいまの現状。再手術のとき骨折したところの使えなくなった部分を捨てて使えるところだけで接合するようにしてるから、もし万が一またポキッといったら終わり。手術で骨折したほうの足だけ数センチ短くなってるし、装具なしでは一生歩けない。彼女が普通に歩ける日はもう来ません。今度無理したら足切断です。とりあえず現状報告。」ということと、
「もうおかんはボロボロだよ。わたしがいまここにいれなくなったらおかんすぐ死ぬかも。わたしたち姉妹がお金を出し合って母にヘルパーさんを雇う?それなら遠隔でいいじゃん」と言われたのですが、そうしてあげたい気持ちもあるけどその内容には同意できませんでした。
WhyWhyコーチのふぁーこです。

〇〇〇〇〇〇〇〇〇
個人的な話ですが、
「ふぁーことふぁーこのおかあさんのはなし①」
「共依存だったお母さんと離れて自分として生きる」
などでも書いた通り数年前にわたしの母はアルコール依存症やらうつ病やらで休職することになり、それをサポートしていたわたしが母と共依存の関係になっていたのでわたしから連絡などを絶つことを伝えてしばらく連絡をとらずにいます。
グルジアに来ることも直接伝えようかとおもいましたが、そのころはまだ母とどっぷり癒着していて、どうしてもわたしが母の言葉に敏感に反応してしまうので言わずに来ました。
それからは姉を通して母のことを聞いたり、わたしがグルジアに移住しに来たことも姉が母に伝えたりしてくれたそうです。
姉は海外や各地で仕事をしたり転々と移動していて母のサポートをあまりできなかったのですが、なんとなくわたしが母と距離をとってから姉が実家に帰って母を気にかけてくれる機会が増えました。
今から数か月前に姉から「おかんがこけて足骨折したかも。めっちゃ腫れてて痛がってるから病院行こうって言ってるのに病院には行かないって言って聞かない。もう放っておこうとおもう」という内容で連絡がきました。
わたしは直接すぐに行けるわけでもないので、姉に状況を聞きながら、姉の判断に任せることを伝えました。
結局その後救急車を呼んだみたいで、病院で見てもらうと母の足は手術が必要な状況で、入院することになりました。
そして無事手術は成功し、通院生活を送っていたようですが、骨をくっつけようとしている時期にあんまり歩くと負担がかかってよくないと言われていたけど母は歩いてしまったようで、それによりまた難しい手術をしたとのことで現在も入院中です。
わたしは姉から一番最初に母が入院と手術をしないといけないと聞いたときにすごく苦しい気持ちと罪悪感が出てきたのですが、結局日本には帰らないという選択をしました。
母は「超自立」で誰にも頼らない・甘えない・委ねないのを通りこして私たちに手助けさせてくれない・力にならせてくれないような状況なので、姉からは「母をなんとかしてあげたいけど(一向によくなるようには感じられなくて)一緒にいるのがつらい」というようなメッセージが届いてもいました。
その気持ちがすごくわかるので、わたしも「そうだよね」と聞きつつ、わたしはなにかしてあげられることないかなと考えていました。
ほんとうは、動ける体があるんだからわたしが日本に帰って母の介護をしたりサポートしてあげるのが、一番他人には頼らない母としても心強いだろうし姉も助かるんだろうな、とおもっています。
でも、母が胃がん・胆のうがん手術をしたときや、交通事故で手術・入院したとき、職場再復帰したとき、いじめをうけたとき、うつ病になったとき、休職したとき、急性膵炎で入院したとき、アルコール依存がわかったとき、ぜんぶその時その時でわたしができることをして、それでも母の罪悪感や健康を良くすることができなかった。
・・・とわたしは無力感や罪悪感があり、もう自分だけがサポートしようとしても、本人の前向きに生きる気持ちがなければ意味がないんだ、ということもわかりました。
もしかしたら「わたしがこれだけやったんだからお母さん元気になってよね」と母を元気にしようとコントロールすることで自分の罪悪感や無力感を感じないようにしたかったのかもしれません。
そして姉からは「おかんのいまの現状。再手術のとき骨折したところの使えなくなった部分を捨てて使えるところだけで接合するようにしてるから、もし万が一またポキッといったら終わり。手術で骨折したほうの足だけ数センチ短くなってるし、装具なしでは一生歩けない。彼女が普通に歩ける日はもう来ません。今度無理したら足切断です。とりあえず現状報告。」ということと、
「もうおかんはボロボロだよ。わたしがいまここにいれなくなったらおかんすぐ死ぬかも。わたしたち姉妹がお金を出し合って母にヘルパーさんを雇う?それなら遠隔でいいじゃん」と言われたのですが、そうしてあげたい気持ちもあるけどその内容には同意できませんでした。
姉がしんどいのはすごくわかるし、無理に母のそばでサポートしてくれとも思いません。
だからヘルパーを雇おうと思うならそれは姉の気持ちを尊重したいのですが、実質わたしの生活もさほど余裕がなく、母にヘルパーさんをつけると決めたらそれなりの覚悟を決めてある程度の期間継続できるように資金援助できるような安定した収入が必要だとおもいます。
今わたしは安定ではないけど好きな仕事をさせてもらっていて、それがわたしの生きる希望でもあります。
もう体にムチを打って帰国して就職し、決められたルールの中で安定収入が見込める仕事に就くというようなことはしたくありません。
だからもう昔のように「こう生きていきたい」と思う自分を差し置いて「母のために」「母のためなら」と100%の自分を懸けて母に向かうのは、できないとおもいます。
でも、もしも母が「わたしはこうやって生きていく。これからこんな人生を送っていきたい」というような前向きだったり自分の人生にもう一度希望を見出したのなら、そのための援助やその時できる限りのことはしたいと考えています。
ほんとうは「生きていたくない」「生きていることが絶望」「なにも意味がない」と思うような、そんな弱さを持つ母をも受け入れて理解して、「今はそれでいいじゃん。うちらがいるから大丈夫だよ」と生活やお金の心配もさせないで安心させてあげられるような大きな愛の人でいたい、ともおもいます。
周りのわたしたちができることはお金の支援やリハビリや通院や生活のサポート、コミュニケーションをとるくらいなのかもしれませんが、その援助を受ける母が「もうこんな人生おわりだ」「生きていてもなにも楽しいことがない」という気持ちでいるとしても、そのような弱さをも受けいれて支えられるような大きな人でありたい。
でも、今のわたしには母に対してそんな大きな愛でいることができません。
だから、やはりここでも援助するかどうかは私次第だし、元気になるかどうかは母次第、「私は私で、母は母」ということなのだろうとおもいました。
わたしには「笑顔でいてほしい」「元気でいてほしい」という気持ちがあるからこそ、元気でない(元気になれない)母のそばにいるとすごく罪悪感を感じます。
「今起きていることはすべてわたしのせいではないし、母のせいでもない。誰のせいでもない」と繰り返し唱えていても、やはり生きる希望を失い、罪悪感満載で次々と体を壊す母を間近で見ると心が苦しくなっていきます。
母に「そんなことないよ!母のおかげでわたしはこの世に生まれてこれて、この世にはたくさん楽しいことがあってたくさん幸せを感じることがあるんだよ!」とどうにか伝えようとしたけど、伝えきれなかった結果が今の状況なのかもしれません。
姉は今、当時母をサポートをしていたわたしと入れ替わるようにして母のそばにいますが、
だからこそ間近で母の弱っていく姿を見ると「死」への恐怖や「老い」への不安、「未知」という将来への怖れ、自分の無力感や罪悪感が出てくるのだろうとおもいます。
今目の前に倒れている人がいたら自分がなにかしてあげようと思うように、人間だれしも物理的に距離が離れていると「助けられなくても仕方ない」と思えますが、今自分がなにかすれば助かるかもしれないのになにもしない、というのはかなり重い罪悪感を負うものです。
それ以上に「世話になった」「愛情をかけてもらった」と思う人が倒れているのであればなおさら助けたいとおもうはずです。
だから姉の苦しみや辛さも理解できるのに、その力になれない、なろうとしていない自分に対しても不甲斐なさや罪悪感が出てきてしまいます。
どの選択肢を選んだところで正解はなく、そして助かる保証も良くなる保証もないとわかっているのに、今まで全力で母のためにやれることならとやってきた自分が、自分の人生を優先することへの罪悪感もあります。
そんなようなことを考えているうちに、わたしの思考はどんどん闇の中にのみこまれ、身体が重く、無気力になっていきます。
でも、もうこんな罪悪感の連鎖は止めたいと、本気でおもいます。
罪悪感で誰かとの「ごめんね」とつながっても、やはり悲しさやさみしさが残るでしょうから。
せっかくなら、「ありがとう」をたくさん与えてあげたい。
そのためにまずは自分が「ごめんね」を言うのではなく「ありがとう」と胸を張って人生を楽しんで生きている姿を見せたい。
もうわたしには、わたしの幸せを本気で願ってくれている人がいることも知っているし、わたしも自分自身が幸せでないなら誰かを幸せにすることも難しいだろうと知っているからです。
誰かを幸せにするなら、まずは自分が幸せになること。幸せでいること。
自分の今の弱さを受けいれて、今自分が生きていられること、この瞬間をありがたく生きることも、きっと今のわたしができる親孝行なのかもしれません。
拝啓
母 ハルミさんへ
今年の日本の夏も例年に劣らず暑いと聞きましたが、体調はどうですか。
病院嫌いなハルミさんだから、きっと早く病院から脱出(退院)しようとがんばっているのだろうとおもいます。
この前、お姉ねえが録音してくれたあなたの現状を伝えるための先生とお姉ねえの会話を聞きました。
それによると、先生もお姉ねえもリハビリの先生や看護婦さんも、ハルミさんの1人でなんとかしようとする性格を理解しているそうで、まだ大丈夫じゃないのに「大丈夫大丈夫」と言って無理して歩こうとするあなたをみんな心配しつつもサポートしてくれているのだそうです。
わたしはハルミさんらしいなぁと思いながら、笑ってしまいました。
だから、あまり1人でがんばりすぎないようにしてくださいね。
1人で突っ走ろうとせず、どうか、わたしたちにも力にならせてくださいね。
あなたは良くても、わたしたちはあなたがこれ以上1人で背負ったり苦しんだりするのを望んでいないのです。
あなたがわたしたちに「しあわせでいられますように」と願ってくれたように、わたしたちもみんなあなたのしあわせを心から願っているんですよ。
わたしはこの世に生まれてこれて、ほんとうにしあわせだとおもっています。
わたしをこの世に生んでくれて、ほんとうにありがとう。
わたしを生んでくれたのがハルミさんで、お父さんで、そしてお姉ねえがいてくれてほんとうによかったとおもっています。
ありがとうを言っても言い切れないくらい、感謝しています。
本当に本当に、ありがとう。
これからは1人の大人として、コントロールすることなくあなたの「今」を受けいれられる大きな人になろうとおもいます。
もっともっと支えらえるように強くなります。
どうか、まだまだ長い人生、お付き合いくださいね。
敬具
ふぁーこ
(追伸)
最近すね毛もわき毛も剃らない女子力のなさに自己嫌悪していたわたしですが、彼はそんな毛すらも可愛いと言ってくれます。おかげでわたしもそこらじゅうの毛も元気なので安心してください。かしこ

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それではきょうも、紙袋の中にライトを入れたら焚火っぽい雰囲気になったようないい夢をみましょう~!
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