こんばんは!
WhyWhyコーチのふぁーこです!
(お知らせ)
このたび、2020年3月15日(日)開催のココロノマルシェカウンセリング体験会に参加するとお伝えしていたのですが、私情により参加を取りやめることにさせていただきました。
参加をご検討してくださっていたみなさま、お問い合わせをくださった方や応援してくださった方、ご協力してくださった方には大変申し訳なく、心苦しい気持ちではございますが、
今回はこの決断が前向きな決断でありますため、ここで学んだことをいずれみなさまへより良いかたちで反映させていただこうとおもっております。
またメニューを含めて新しい提供できることを考えておりますので、その内容が決まりましたら改めてご報告させていただきます。
いつも心あたたまるメッセージや応援の言葉、そしてここに来てくださることに心から感謝しております。
いつもほんとうにありがとうございます。
これからもどんなお悩みも最後には笑ってしまうくらい、心を軽くできるようにふぁーこらしく全力でサポートさせていただこうとおもっておりますので、お付き合いいただければうれしいです。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
インスタグラムでもふぁー彼のことは書いたりしているのですが、(連載中)
わたしは最近ほんとうに彼に助けてもらっているというか、支えてもらっているというか、ありがたいなぁとか尊敬するなぁと感じることが多く、
前にはわからなかったのにどうして最近そう思うんだろう?といろいろ考えてみたらわかったことがあるので書いてみたいとおもいます。
最初にありがたいなぁとおもったのは、彼の「聴く」能力のことです。
じつは最近いろいろあってわたしに不安定な期間があったのですが、彼にはすべてそういったわたしの気持ちや話を聞いてもらっていました。
そんな中、彼はいつでもわたしの気持ちに寄り添い、状況を把握し、肯定して応援してくれました。
すでにそれだけでもほんとうにありがたいなぁと思ったのですが、「なんかわたしは今すごく支離滅裂で話したり、わたしばかり話しているのに彼はちゃんと最後まで聞いてくれるなぁ」と気付いたときに、
‟彼は「聴く」才能がある人なんだ。聴いてもらうだけでこんなに気持ちがラクになるなんて、彼こそ自然にカウンセリングができる人なんだ。”とおもったんですね。
彼にその自覚があるかないかはおいておいて、自分の思ったことや考えをのべるのではなく相手の話を最後まで聞いてあげられるというのがまずもって彼の「与える」という愛情なのではないかとおもったんです。
もちろんすべての状況や場面で言えたことではないと思いますが、彼みたいに自分の意見や考えを口に出す前に相手のことをよく知ろうとできる人というのは観察力もあるし
その状況や相手の心情を想像できて、客観的に聴く才能がある人なんじゃないかなぁとおもったんですね。
その状況や相手の心情を想像できて、客観的に聴く才能がある人なんじゃないかなぁとおもったんですね。
コミュニケーションというものには、自分から話しかけたか相手から話しかけたられたかに問わず、キャッチボールをするために相手の話を聞いたり相手の言ってる内容を理解することが必要になってきますよね。
そんなときに相手の言っていることを邪魔したり止めることなく「ただ相手の立場や気持ちを想像して聴く」というのは意外に難しいものです。
主観的に話を聞く人は相手の話を聞いたときにどうしても自分の経験などに基づく自分の考えや気持ちをそこに加えて聞いてしまうし、相手の立場や気持ちを理解できない時に思い込みから決めつけなどを始めたりします。(わたしもたまにそうなってしまっていることがあります)
例えが難しいのですが、わたし的に数独(SUDOKU)が好きなので数独に近いなぁと思っています。
数独って縦の列、横の列、ボックスの中に1から9までの数字が1つずつ納まっていたら完成で、縦の列に同じ数字が2個あっても横の列に同じ数字が2個あってもダメってゲームですね。
たとえばその途中で間違いに気づかず「ここは5だろう」と思いこんで1つかけ間違えるとそのあとすべてのマスに間違った数字が入ったり、どこかで決めつけてしまったがゆえにあとあと大間違いに気づくってことがよくあるんですね。
だけど彼のような「聴ける人」というのはまず一度相手の「話したい」「言葉にして伝えたい」という意思を尊重してくれたうえで、相手のはなした内容や事実を本当に相手になったつもりで聴いてくれている気がするんですね。
数独で言うと、
「僕の考えはひとまず置いておいて、この人の場合はここは5かもしれないし、4かもしれない。はたまた今までにはなかった顔文字が入る可能性もあるだろう。この人はいまどんな立場でどんな気持ちをマスに入れてるんだろう」
とその人目線で理解しようとしてくれている感じです。
彼は自分がなにかをしていてもとりあえず相手の話したい気持ちを否定せず「聴く」ということができたり、
自分がなにかしたいときは相手の話したい気持ちを否定するのではなく「ぼくは今これをするので、その後で話聞くからちょっと待ってね」と伝えたりできるので、
予測不可能な言動をする子供や、自分の気持ちを聞いてもらえるか不安な人、うまく伝えられるか(話せるか)わからない不安を無意識的に持っていたわたしのような存在にとって本当にありがたい人だなぁとおもいました。
自分がなにかしたいときは相手の話したい気持ちを否定するのではなく「ぼくは今これをするので、その後で話聞くからちょっと待ってね」と伝えたりできるので、
予測不可能な言動をする子供や、自分の気持ちを聞いてもらえるか不安な人、うまく伝えられるか(話せるか)わからない不安を無意識的に持っていたわたしのような存在にとって本当にありがたい人だなぁとおもいました。
そして二つ目に尊敬するのはわたしの話を聞くにしても意見を求められて回答するにしてもかならず肯定的であることです。
否定的なことは言わないと言ったほうがいいでしょうか。
否定するとしたら、「ぼくはこうおもうけど、ふぁーこさんが言ったこともいいかもね」とか「こういう考え方もあると思うけど、そっちでもいいんじゃない?」という言い方をしてくれます。
でもそのほぼすべてが私のためを思って言ってくれることであり、否定するためにとか、自分のプライドや誇示のために言うことではないところがわかるので、それがすごいなぁとおもいます。
いままでも彼以外でわたしのために言ってくれてるんだなぁとわかる上司や友人はいましたが、どちらかというとそこに相手の「見返りへの期待」「承認欲求」「誇示」、
または「気持ちに寄り添ってくれていない(寄り添うことができない)」のが見えてしまうと、わたしはあまり気持ちよく感じませんでした。(わたしが甘えたいプライベートな存在への意味)
だからといって彼ら彼女らのその生き方や考え方を否定したいわけでもなく、それはそれで個性だったりわたしの受けとり方の問題なのでいいのですが、
彼のわたしへの与え方は本気で純度100%なんじゃないかと気づいたら、なんてわたしは幸せ者なんだろうと(惚気でございます)、あらためてありがたい気持ちになりました。
3つ目に尊敬するところは変化することを恐れないところです。
付き合って1年か2年くらい経ったときに、わたしは彼に「変化しないでいることはすごいことだ」と言ったことがあります。
そのころは本気で「変化しないでいることがすごいことだし、自分にとって大切なことだ」と考えていました。
でも彼は「変化することこそすごいし楽しいことなんだよ」と言って、たしかそれで言い合い(ケンカ)になったことがあります。
今のわたしなら「変化すること」のすばらしさやたのしさを身をもって理解しているし、彼の言っていたことに大きく同意できます。
当時わたしは「安心」「安定」などを主に重視していて、そこが変わってしまうことや自分のコントロールが失われてしまうことを無意識に恐れていたんですね。
だから「変化しないでいれば安心していられる」と思っていたのではないかとおもいます。
でも変化しないままでいるとたしかに安心できたり、傷つかずにすむかもしれないけど、自己成長は変化なしには得られないのだとおもいます。
たとえば変化することには成長痛のような痛みやリスクが伴うことがあるそうなんですが、変化しないとするとそこで成長をストップさせることになり、他の問題を併発させることになるのかもしれません。
また、わたしが思ったのは同じような問題が起こる(パターン化している)ことに気付いたときこそ、変化するチャンスなのかもしれないということです。
わたしは今まで死にたくなるくらい悩んだり、もうその人と関わりたくないと思ったらそこから全力で逃げてきたのですが、最近逃げても逃げてもまた同じような問題にぶつかるなぁと思って、自分の中のどんな気持ちからいつも同じ問題となっているのか考えてみたんです。
そうしたら、私の場合は「助けたいのに助けられない無力感・罪悪感」と「わかってほしい(依存心)」という気持ちがその問題を「問題」と思わせていたんだなぁとわかりました。
そして、ほんとうは今までだったら逃げていたし関わらないようにして終わりにしていたけれども、「愛からものごとを見る」「コミュニケーションとは感情を伝え合うこと」という教えに従って、
新しい選択肢の「気持ちを伝える」「どうしてほしいか伝える」ということにチャレンジしてみることにしました。
これは相手に期待したり、相手を自分の思い通りにコントロールしたいわけではなく、純粋に関わりを断たずにできることはなにかないのか?と考えたらシンプルに気持ちを伝えるだけ伝えてみようと思ったからです。
その感情を持つ自分を肯定し、パターンとなっていた部分を理解できただけでもすごくラクになったのですが、あまりやりたくないことだけど正直に相手に伝えてみるというリスクを冒すことでさらに新しい可能性を持つことができた気がします。
彼はそんな変化することの大切さをすでに知っていたのかもしれません。
それから具体的に彼の変化を恐れないすごいところは、
・今までのいろんな友人・知人・仕事関係者などのつながりがあったであろうFACEBOOKアカウントを躊躇せず消したこと
・深く長い仲でも嫉妬してきたり自分のクリエイティブなものを盗んできたり雑に扱う人とはバッサリ縁を切れること
・自分がおもしろそうと思った仕事へ転職したり住む家を転々と変えられるところ
・たのしそう・おもしろそう・わくわくすることには糸目をつけないでお金を使うところ
・20代の彼女を追ってグルジアに移住しにこれるところ
こんな感じで本当に飄々とリスクを恐れず変化していくところをみると、やっぱり彼はすごいなぁ、その生き方ってステキだなぁとおもいます。
4つ目に尊敬するところは、「感情に共感して受け止める器があるところ」です。
人に共感できるというのは、その人の痛みや感情をイメージしたり感じ取ったり、実感として自分がその感情を感じたことがあったりするから、相手の気持ちに寄り添うことができるんだとおもうんですね。
今回、わたしが経験した出来事の中で「この人はわかってくれるだろう(職業的に)」と思っていたら、「(感情を扱う職業だとしても)人の気持ちを本当の意味で実感として理解したり、共感することが苦手な人もいる」と知ったんですね。
よく考えてみれば職業がなんであれそこに「この職業の人は必ずこうである」という決まりなどなく、それこそが個性なのですが、勝手にわたしが期待したり思い込んでしまっていたので、ちょっと今まで体験したことのない出来事にびっくりしてしまったんですね。
そのことで彼とのことを思い出したのですが、
ずっと前に彼と喧嘩をしたときに彼から「こういう気持ちになった」「こう感じた」と言われたとき、「あなたはそういう気持ちになったんだね。こう感じたんだね」と受け止めてあげられず、
「あなたのその気持ちはわかったし、申し訳ないとおもうけど、じゃあわたしはどうすればいいの?」と言ってしまい、ただ感情を受け止めて共感してあげることができなかったんです。
彼はそのとき、「謝ったりしてほしいわけじゃなくて、ただ聴いてほしかっただけ」と言っていて、わたしは「そうか・・・」とも思ったのですが、たぶん本当の意味で彼の気持ちを理解してあげられていなかったんだとおもいます。
今思えばわたしは助けたいのに助けられていない自分への無力感や罪悪感があり、それを自分だけで処理できなくてこれ以上自分を責めたくないが故に相手へぶつけてしまったんだとおもいます。
でもたぶん、その当時彼が「こう感じた」と言ったことも、彼はわたしを責めたくて言ったわけじゃなかったとおもうんです。
結果的に彼の中に「こうしてほしい」という気持ちがあったとしても、それは彼の中でわたしを責めたいから言うんじゃなくて、わたしと心地よく過ごしていきたいから言うんだとおもうんですね。
それをわたしは、自分で自分のことを責めている部分があったから、彼から「こういう気持ちになった」と言われたら「責められた」と感じてしまったんです。
今回、わたしが彼のように「ただ気持ちをわかってほしい」とおもう立場で「共感したり感情を理解するのが苦手な人」と出会ったことで、わたしは当時彼にこういう気持ちをさせていたんだなぁと実感し、ほんとうに反省しました。
それであらためて彼はいつもわたしが話をすることや気持ちをぶつけたときも受け止めてくれているなぁと感じて、ほんとうにすごいなぁとおもったし、心からありがたい気持ちになりました。
5つ目に尊敬できるところは「女性らしい感性」を持っているところです。
もともと、共感性とか包容力(女性的な)とか感受性の高い彼ですが、ここ最近いつもよりその感性に磨きがかかっている気がしています。
たとえばグルジアではカレールーがないのでいろんなスパイスからカレーを作るのですが、そのカレーにココナッツミルクを入れたら美味しそうだねと話していて、
スーパーに行く前の買う物リストをつくっていたら彼が「ココナッツオイル買っとく?」と聞いてきて
ココナッツオイルって・・・
いや女子か!
とツッコんでしまいました。笑(彼の言い間違いでした)
また、わたしはかなり大ざっぱなのでトイレットペーパーを使い終わったあとに補充せずにそのままにしてしまうことがあります。
それが何回か続いたとき(彼が数えていたみたいで・・・笑)、
彼から「トイレットペーパーの交換ってわざとぼくにやらせてるの!?」と思い詰めたように言われたことがあります。
わたしはほんとうに大ざっぱで気にしていなかった(申し訳ないけど)ので、「え?」と言ったら、
「トイレットペーパーを使い終わったのにそのままにしておくのってぼくにやらせるようにわざとそうしてるんじゃないの?」
と言われてポカーンとしました。
彼の中では”トイレットペーパーを使ったら交換する”というまぁ女性的なマナーをわきまえていたので、
わたしのように使ったら使いっぱなしの様子に「わざと交換させてるんでしょ!」と思ったようなんですね。
これも誤解を解いて謝ったんですが、やっぱり彼の視点におもしろいなぁと思いつつ
女子か!とツッコみました。笑
また、今日朝ごはんを食べたあとに「ティー(紅茶)でも飲もうかな」と言ったら、
彼が「最近コーヒーよりティーのほうが好きになってきたんだ~」と言っていて、
いやOLか!とツッコみました。笑
ほんとおもしろいというか、感性がやわらかくてあったかくて飽きないなぁとおもって、そんなところが彼ってステキだなぁと感じております。
というわけで、そのうち彼と2人でお客さんをカウンセリングする「ふぁーことふぁー彼のカウンセリング」をやってみたいなぁと思っているのですが、いかがでしょうか。
彼に言ったら「やだ」って言われましたけど、彼こそ人の心を救う才能ありまくりだとおもうんですよね。
もちろん無理にやってほしいとは思わないけど、わたしはそれを考えているとワクワクしてきます。
男性的な視点とか、男性としての意見を伝えられるのもあるし、具体的な提案やイメージもたくさんできそう。
ま、でもきっと必要なことは必要なときに神様からちゃんと与えていただいているとおもうので、その流れに任せてみようとおもいます。
彼にもみなさんにも、出会えたことに、ほんとうに感謝。
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それではきょうも、じゃんけんマンと腕相撲したらチョキだったようないい夢をみましょう~!
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