こんばんは!
WhyWhyカウンセラーのふぁーこです!
きょうはご相談をいただきましたのでお答えしたいとおもいます!
〇〇〇〇〇〇〇〇〇
「過干渉で心配性の母との和解はできるのでしょうか」
女性 こはるさんからのお悩み
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初めましてご相談させてもらいたいなと思いご連絡しました
こはるといいます
私は自身が性的イタズラを受けてから加速したのですが性に奔放であり、奔放であるのにそれを認められずに罪悪感をくっつけまくり度重なる浮気や不倫、セックス依存恋愛依存などを繰り返して、私は愛されない。私は生きてる価値なんてない。を体現してきたと思ってます。
自分の世界は自分が望んだとおりになってると知り、叶ってるよな、と思って望む未来を描く!私は私の人生をあゆみたい!と思いやりたいことをやろう!と決意したものの毎日母からのバイトやれという指示、家事をやらないならいる価値ないみたいな態度、発狂したり、ハラハラする。
感情の波が荒くて振り回されます……。
私は自身の壮絶な体験を活かして活動していきたくて素直に小説に書こうと思って動いてますがそれもキレられそうで怖いながら動いてます
本当にこれでいいのか?よく分からなく、今はやめた方がいいのか?としどろもどろしてます。
私は私、母は母。
分かってますがどっしり構えるにはどう伝えていけばいいのでしょうか?理解や和解は無理なんでしょうか
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はじめまして!
ふぁーこと申します。どうぞよろしくお願いいたします。
ぜんぜん関係ないですけど、本名かもわからないですけど、こはるさんってお名前がとってもかわいらしいですね!
名前とかニックネームってお会いしたことない場合はどんな人なのかイメージが湧きますよね。
「こはるさん」って響きもいいし、なんかかわいらしいイメージで、すごく素敵だなぁと思ってお伝えしたくなりました。笑
それで、ご質問くださった「お母さんとの和解」なんですが、ちょうどふぁーこも今タイムリーで奮闘中なところでございまして、
私も不完全な人間なものですから試行錯誤しながらの日々だったりしたんですが、
その中でも経験や見聞きしてよかったなぁと思うことをきょうはこはるさんにお伝えしていけたらなあとおもいます。
まずはこはるさん、
>私は自身が性的イタズラを受けてから加速したのですが性に奔放であり、奔放であるのにそれを認められずに罪悪感をくっつけまくり度重なる浮気や不倫、セックス依存恋愛依存などを繰り返して、私は愛されない。私は生きてる価値なんてない。を体現してきたと思ってます。
きっとこれはご自身と向き合ってきたからちゃんと自己分析したり、状況を受け止めてこられたんですね。
これってほんとうにすごいことだと思うんですよね。
「私がいつも同じパターンだったり、苦しんできたのはこういう背景があったからだな」とか「私はこういう傾向があるんだな」とか自分で自分のことを客観的に把握できるってすごいことです。
もしカウンセラーや誰か他の専門的な人の力を借りたとしても、自分を俯瞰で見るってすごく難しいんです。
最初は「そうかあ」って相手に言われたことを納得できたりしたとしても、結局自分の「固定観念」が強かったり依存的な思考だと”変化すること”を恐れているので、
どうしてもまた同じ見方をしたり弱い自分を見たりできないのですが、それができているということはこはるさんが強さを持っているということだとおもうんですよね。
>自分の世界は自分が望んだとおりになってると知り、叶ってるよな、と思って望む未来を描く!私は私の人生をあゆみたい!と思いやりたいことをやろう!と決意したものの
現にこれ、「自分の世界は自分が望んだとおりになってると知り、叶ってるよな、と思って」という物の見方を受け入れるところが柔軟であり受け入れる強さがないとできないことなんですよね。
だって受け入れてしまったら、ほんとうは見なくてもいい自分の「弱いところ」「嫌なところ」「怖いところ」「見たくないところ」「受け入れたくないところ」まで見なきゃいけないかもしれないからです。
それをちゃんと自分が望んだとおりになっているからだなと思えたのはほんとうにすごいことだし、自分で自分に乾杯してあげてほしいくらいすばらしいことだとおもうんですね。
それで、「私は私の人生をあゆみたい!と思いやりたいことをやろう!と決意した」というところがまたすばらしいなぁとおもうんですが、
まずなにかを「始める」ときってそういう決意や決断が必要なんですよね。
自分でなにかを始めるということは自分で責任をとっていくということですから、けっこうしんどいことなんです。
たとえば企業して会社を立ち上るぞと決意して、立ち上げるプロセスを勉強したり、最終的なゴールを設定したり、今の会社を退職したり、会社のための店舗を借りたり、人材を雇ったり、人材を育てたり、資金を運用したり・・・
この場合、もし最終的に「自分の思った通りに行かず(例えば社員に横領されたり業績不振で)倒産した」としても、
究極自己責任ということになるので、誰かのせいにできないし、自分で自分のケツを持つ意識でいないとその問題を解決していくのは難しいんですね。
「お前のせいで会社が倒産した!なんとかしろ!」という人のせいにしたい気持ちもあるかもしれないですが、それを言い続けたからと言って問題が解決するわけではないし、もしまた会社を立ち上げたとしても同じパターンが起こるかもしれないんですね。
だからなにかを始めるときの決意(コミットメント)はこはるさんのように「私の人生だからやりたいことをやろう!」というやりたいとかこれをしたいという能動的な気持ちがとても大切になってくるんです。
この「やりたい」「好きだから」という気持ちがあると、まず人のせいにしなくなっていきます。
自分軸というやつですね。
(周りは周りの生き方があるし)自分は自分の生き方で生きていくので、自分がやりたいことをやったら自分で自分の責任をとる。
これ、簡単に見えますけどほんとうにしんどいんですよね。
人のせいにしたくなるときもたくさんあります。でも、最終的に「これが私だから。私は私だから」と思えれば一番ラクになれるとおもうんですね。
そのためにこはるさんの場合は、おすすめなのはお母さんと距離をとってみることかなぁとおもいます。
ふぁーこは今グルジアという国に住んでいるのですが、ここにいるとグルジアの良いところを知るとともに、
日本の良いところをとても実感することができます。
・トイレや街や建物が近代的で清潔である
・外食できるお店がたくさんある
・24時間営業しているお店がたくさんある
・お客様に対してとても親切で笑顔で接してくれることが多い
・畳で布団を敷いて寝ることは楽園である(ふぁーこの個人的感想)
・忘れ物や落し物がかなりの確率で戻ってくる
・食品の安全性が高い
・ほぼなんでも通販や配達で家まで届けてくれる
・魚が美味しい(しかも生で食べれる!!!)
・24時間蚊のいなくなるスプレーとかいう魔法みたいなやつがある
・レトルトや即席で食べれるものの種類が豊富
・ゲームやアニメや漫画など繊細で細かいクリエイティブな楽しみに長けている
・公共トイレや住居のエレベーターが無料で使用できる(グルジアではだいたいのところが数十円払って利用)
・オシャレグッズが多い
・マナーを守る人が多い
・頑張り屋さんが多い(働き者や勤勉など)
少ないですけどパッと思いつくものだけでもこんなに日本でやっぱりすばらしいなぁと思うことがあるんですよね。
ふぁーこが約10年前に初めて海外(トルコ)に行ったときはまだスマートフォンもあまり普及していなかったので、
PCを持って行ったけどWIFIを契約したりすることも外国人にとっては難しかったり、ましてやこんなにすぐにインターネットでいろんな情報や物やチケットまで手に入る時代がくるなんて知る由もありませんでした。
今ではインターネットというものがあるおかげでとても簡単に情報や物が手に入れることができますが、グルジアにいるとほんとうにそれをありがたく感じるんですね。
でももし今までずっと日本に住んでいたらそんなことはあんまり感じなかったかもしれないし、感謝できることすら知らなかったかもしれないなぁと思って、
今いる環境から自分を別のところに移してみるっていうのは、自分の固定観念や視野を広げるのにとてもいい方法だし、
離れたからこそ「当たり前だったもの」「ふつう」と思っていたことに感謝できるようになったり、見方を変えることができるようになっていくような気がします。
こはるさんの場合は実家暮らしであれば「なにかバイトでも習い事でも図書館へ行く時間でもいいので母と接する時間を減らす」、「一人暮らしをする」、「自分の好きなことをできる時間と場所を確保する」、
一人暮らしであれば「母との連絡を一時的にやめる」、「母のことを思い出さないくらい好きなことを見つける」、「相手の反応は関係なくやりたいことをやりたいようにやってみる」
このような選択肢を持ってやってみることでさらに母との癒着を切って精神的には自立できていくのではないかなあとおもいます。
また、こはるさんの場合いまは「お母さんを理解したい」というよりも「理解してほしい」という思いがあるとおもうんですが、
「期待は裏切られる」という格言のように、期待というのは他人軸なので、相手の反応や相手次第で自分の感情が振り回されやすくしんどくなっていくんですね。
もちろんお母さんと癒着してきたり、お母さんから干渉されたり期待されてきたりするとそれに応えてあげるのが「ふつう」の状態だったかもしれないし、
期待するなというほうが難しいかもしれないので、期待しちゃうときはそれはそれでオッケーなんですが、
最終的にはその相手への期待を手放しつつ、「まぁあの人も完璧じゃないからそういう生き方もあるのかもな。だけど私は私。わたしはわたしでやりたいことやってればいつかまた理解し合えるときがくるだろう」と信頼することができると、自分軸なので相手に振り回されることが少なくなっていくとおもいます。
ちなみに私がトルコ留学を決めたときも、一人暮らしを決めたときも、お母さんには事後報告でした。
トルコにツテを作ったり知り合いを紹介してもらったりしてお金を自分で貯めたり実際にトルコへ行く日程や情報を仕入れてもう後戻りできないようにしてから「ちょっと話があるんだけど」って報告しました。
1人暮らしも賃貸サイトを見まくっていいなと思った物件は不動産屋に電話したり直接内見行ったりして、ここで決めたいと思ったときにその賃貸は連帯保証人が必要だったので母に報告しました。
(今は保証会社といって賃料等を住居者が支払えなくなったりした場合のためにオーナーさんへ賃料を保証し、住居者へ督促するような会社があって、それに加入すれば連帯保証人はいらない場合もあれば、いる場合もありますが、誰か身内を立てたくない場合は連帯保証人不要と記載のある物件に問い合わせするといいかもしれません。その場合基本的に万が一部屋の中で何かあったとき(災害被害や犯罪行為や法的に開錠が必要なときなど)のために緊急連絡先という欄は誰か親しい人や身内を書いてもらうようになることが多いです。一応不動産で働いていたのでお伝えします)
私が事後報告にしたのは、私の中にもきっと「全面的に応援してもらえないんじゃないか」という不安や怖れがあったからかもしれません。
それから、母を置いていく罪悪感というか、期待に応えてあげられていない罪悪感もあったような気がします。
でもそれよりも「これをするぞ!」「これをやりたい!」という気持ちのほうが強かったんですね。
だってこの世には外に出たらお母さん以外の人間が70億人もいるし、その中にはお母さん以外で自分が愛し愛される関係を築けるパートナーや仲間がいるだろうと思ったんです。
そう思ったらすごくワクワクしたんですよね。
ふぁーこの場合はそういう誰も同じ生き方をしていない人間を知っていくことが楽しいしやりたいことだったんですね。
それに一生ここで「お母さんの娘」という枠の中で生きていくのはイヤだったのかもしれません。
それは怒りにも似た感情で、こはるさんの言う通り
ふぁーこと申します。どうぞよろしくお願いいたします。
ぜんぜん関係ないですけど、本名かもわからないですけど、こはるさんってお名前がとってもかわいらしいですね!
名前とかニックネームってお会いしたことない場合はどんな人なのかイメージが湧きますよね。
「こはるさん」って響きもいいし、なんかかわいらしいイメージで、すごく素敵だなぁと思ってお伝えしたくなりました。笑
それで、ご質問くださった「お母さんとの和解」なんですが、ちょうどふぁーこも今タイムリーで奮闘中なところでございまして、
私も不完全な人間なものですから試行錯誤しながらの日々だったりしたんですが、
その中でも経験や見聞きしてよかったなぁと思うことをきょうはこはるさんにお伝えしていけたらなあとおもいます。
まずはこはるさん、
>私は自身が性的イタズラを受けてから加速したのですが性に奔放であり、奔放であるのにそれを認められずに罪悪感をくっつけまくり度重なる浮気や不倫、セックス依存恋愛依存などを繰り返して、私は愛されない。私は生きてる価値なんてない。を体現してきたと思ってます。
きっとこれはご自身と向き合ってきたからちゃんと自己分析したり、状況を受け止めてこられたんですね。
これってほんとうにすごいことだと思うんですよね。
「私がいつも同じパターンだったり、苦しんできたのはこういう背景があったからだな」とか「私はこういう傾向があるんだな」とか自分で自分のことを客観的に把握できるってすごいことです。
もしカウンセラーや誰か他の専門的な人の力を借りたとしても、自分を俯瞰で見るってすごく難しいんです。
最初は「そうかあ」って相手に言われたことを納得できたりしたとしても、結局自分の「固定観念」が強かったり依存的な思考だと”変化すること”を恐れているので、
どうしてもまた同じ見方をしたり弱い自分を見たりできないのですが、それができているということはこはるさんが強さを持っているということだとおもうんですよね。
>自分の世界は自分が望んだとおりになってると知り、叶ってるよな、と思って望む未来を描く!私は私の人生をあゆみたい!と思いやりたいことをやろう!と決意したものの
現にこれ、「自分の世界は自分が望んだとおりになってると知り、叶ってるよな、と思って」という物の見方を受け入れるところが柔軟であり受け入れる強さがないとできないことなんですよね。
だって受け入れてしまったら、ほんとうは見なくてもいい自分の「弱いところ」「嫌なところ」「怖いところ」「見たくないところ」「受け入れたくないところ」まで見なきゃいけないかもしれないからです。
それをちゃんと自分が望んだとおりになっているからだなと思えたのはほんとうにすごいことだし、自分で自分に乾杯してあげてほしいくらいすばらしいことだとおもうんですね。
それで、「私は私の人生をあゆみたい!と思いやりたいことをやろう!と決意した」というところがまたすばらしいなぁとおもうんですが、
まずなにかを「始める」ときってそういう決意や決断が必要なんですよね。
自分でなにかを始めるということは自分で責任をとっていくということですから、けっこうしんどいことなんです。
たとえば企業して会社を立ち上るぞと決意して、立ち上げるプロセスを勉強したり、最終的なゴールを設定したり、今の会社を退職したり、会社のための店舗を借りたり、人材を雇ったり、人材を育てたり、資金を運用したり・・・
この場合、もし最終的に「自分の思った通りに行かず(例えば社員に横領されたり業績不振で)倒産した」としても、
究極自己責任ということになるので、誰かのせいにできないし、自分で自分のケツを持つ意識でいないとその問題を解決していくのは難しいんですね。
「お前のせいで会社が倒産した!なんとかしろ!」という人のせいにしたい気持ちもあるかもしれないですが、それを言い続けたからと言って問題が解決するわけではないし、もしまた会社を立ち上げたとしても同じパターンが起こるかもしれないんですね。
だからなにかを始めるときの決意(コミットメント)はこはるさんのように「私の人生だからやりたいことをやろう!」というやりたいとかこれをしたいという能動的な気持ちがとても大切になってくるんです。
この「やりたい」「好きだから」という気持ちがあると、まず人のせいにしなくなっていきます。
自分軸というやつですね。
(周りは周りの生き方があるし)自分は自分の生き方で生きていくので、自分がやりたいことをやったら自分で自分の責任をとる。
これ、簡単に見えますけどほんとうにしんどいんですよね。
人のせいにしたくなるときもたくさんあります。でも、最終的に「これが私だから。私は私だから」と思えれば一番ラクになれるとおもうんですね。
そのためにこはるさんの場合は、おすすめなのはお母さんと距離をとってみることかなぁとおもいます。
ふぁーこは今グルジアという国に住んでいるのですが、ここにいるとグルジアの良いところを知るとともに、
日本の良いところをとても実感することができます。
・トイレや街や建物が近代的で清潔である
・外食できるお店がたくさんある
・24時間営業しているお店がたくさんある
・お客様に対してとても親切で笑顔で接してくれることが多い
・畳で布団を敷いて寝ることは楽園である(ふぁーこの個人的感想)
・忘れ物や落し物がかなりの確率で戻ってくる
・食品の安全性が高い
・ほぼなんでも通販や配達で家まで届けてくれる
・魚が美味しい(しかも生で食べれる!!!)
・24時間蚊のいなくなるスプレーとかいう魔法みたいなやつがある
・レトルトや即席で食べれるものの種類が豊富
・ゲームやアニメや漫画など繊細で細かいクリエイティブな楽しみに長けている
・公共トイレや住居のエレベーターが無料で使用できる(グルジアではだいたいのところが数十円払って利用)
・オシャレグッズが多い
・マナーを守る人が多い
・頑張り屋さんが多い(働き者や勤勉など)
少ないですけどパッと思いつくものだけでもこんなに日本でやっぱりすばらしいなぁと思うことがあるんですよね。
ふぁーこが約10年前に初めて海外(トルコ)に行ったときはまだスマートフォンもあまり普及していなかったので、
PCを持って行ったけどWIFIを契約したりすることも外国人にとっては難しかったり、ましてやこんなにすぐにインターネットでいろんな情報や物やチケットまで手に入る時代がくるなんて知る由もありませんでした。
今ではインターネットというものがあるおかげでとても簡単に情報や物が手に入れることができますが、グルジアにいるとほんとうにそれをありがたく感じるんですね。
でももし今までずっと日本に住んでいたらそんなことはあんまり感じなかったかもしれないし、感謝できることすら知らなかったかもしれないなぁと思って、
今いる環境から自分を別のところに移してみるっていうのは、自分の固定観念や視野を広げるのにとてもいい方法だし、
離れたからこそ「当たり前だったもの」「ふつう」と思っていたことに感謝できるようになったり、見方を変えることができるようになっていくような気がします。
こはるさんの場合は実家暮らしであれば「なにかバイトでも習い事でも図書館へ行く時間でもいいので母と接する時間を減らす」、「一人暮らしをする」、「自分の好きなことをできる時間と場所を確保する」、
一人暮らしであれば「母との連絡を一時的にやめる」、「母のことを思い出さないくらい好きなことを見つける」、「相手の反応は関係なくやりたいことをやりたいようにやってみる」
このような選択肢を持ってやってみることでさらに母との癒着を切って精神的には自立できていくのではないかなあとおもいます。
また、こはるさんの場合いまは「お母さんを理解したい」というよりも「理解してほしい」という思いがあるとおもうんですが、
「期待は裏切られる」という格言のように、期待というのは他人軸なので、相手の反応や相手次第で自分の感情が振り回されやすくしんどくなっていくんですね。
もちろんお母さんと癒着してきたり、お母さんから干渉されたり期待されてきたりするとそれに応えてあげるのが「ふつう」の状態だったかもしれないし、
期待するなというほうが難しいかもしれないので、期待しちゃうときはそれはそれでオッケーなんですが、
最終的にはその相手への期待を手放しつつ、「まぁあの人も完璧じゃないからそういう生き方もあるのかもな。だけど私は私。わたしはわたしでやりたいことやってればいつかまた理解し合えるときがくるだろう」と信頼することができると、自分軸なので相手に振り回されることが少なくなっていくとおもいます。
ちなみに私がトルコ留学を決めたときも、一人暮らしを決めたときも、お母さんには事後報告でした。
トルコにツテを作ったり知り合いを紹介してもらったりしてお金を自分で貯めたり実際にトルコへ行く日程や情報を仕入れてもう後戻りできないようにしてから「ちょっと話があるんだけど」って報告しました。
1人暮らしも賃貸サイトを見まくっていいなと思った物件は不動産屋に電話したり直接内見行ったりして、ここで決めたいと思ったときにその賃貸は連帯保証人が必要だったので母に報告しました。
(今は保証会社といって賃料等を住居者が支払えなくなったりした場合のためにオーナーさんへ賃料を保証し、住居者へ督促するような会社があって、それに加入すれば連帯保証人はいらない場合もあれば、いる場合もありますが、誰か身内を立てたくない場合は連帯保証人不要と記載のある物件に問い合わせするといいかもしれません。その場合基本的に万が一部屋の中で何かあったとき(災害被害や犯罪行為や法的に開錠が必要なときなど)のために緊急連絡先という欄は誰か親しい人や身内を書いてもらうようになることが多いです。一応不動産で働いていたのでお伝えします)
私が事後報告にしたのは、私の中にもきっと「全面的に応援してもらえないんじゃないか」という不安や怖れがあったからかもしれません。
それから、母を置いていく罪悪感というか、期待に応えてあげられていない罪悪感もあったような気がします。
でもそれよりも「これをするぞ!」「これをやりたい!」という気持ちのほうが強かったんですね。
だってこの世には外に出たらお母さん以外の人間が70億人もいるし、その中にはお母さん以外で自分が愛し愛される関係を築けるパートナーや仲間がいるだろうと思ったんです。
そう思ったらすごくワクワクしたんですよね。
ふぁーこの場合はそういう誰も同じ生き方をしていない人間を知っていくことが楽しいしやりたいことだったんですね。
それに一生ここで「お母さんの娘」という枠の中で生きていくのはイヤだったのかもしれません。
それは怒りにも似た感情で、こはるさんの言う通り
>毎日母からのバイトやれという指示、家事をやらないならいる価値ないみたいな態度、発狂したり、ハラハラする。
これってめっちゃイライラしたり悲しくなったりしますでしょう?
でもこれは「私がお母さんの娘だから」されるんですよね。
お母さんは他の家庭の子供にも「バイトやれ!」とか「家事やらないならいる価値ない!」とか言いまわってたり口出ししに行ったりしてます?
多分してないと思うんですけど、それって私がお母さんの娘ってポジションにいるからなんですよね。このポジションが固着しちゃってて、お母さんとの今のようなやりとりの関係も固着してるんですよね。
でもこのポジションを離れる決意をして外に出てみたら、新しい自分とも出会えたり、今まで自分が生きてこれたのはお母さんに感謝できるところがあるなあと自覚できたり、自分で自分の責任をとって自立していくことで、「お母さんと私」というポジションから「一人の大人と大人の私」というお互い対等な関係を築いていけたりするんだとおもうんですね。
そうすると、自分の中での和解というか、お母さんと直接話さないでもお母さんはお母さんで事情があったんだな(だろうな)、でも今私が生きてて”たのしい”とか”うれしい”っていう感情が感じられる人間でいるのはお母さんが産んでくれたおかげだからそれは感謝できるなぁとか、感謝の気持ちが出てくると「嫌だ」「怖い」「さみしい」という気持ちから解放されていくので徐々にいい意味で肩の力が抜けて接することができてラクになっていきます。
このために、お母さんの意思(思い通り)ではないことも含めて自分で決めてやってみるということはこはるさんにとってとても大切なプロセスだと思います。
やってみたことがうまくいこうがいかまいが、どうなろうと結果は関係ないんです。
>私は自身の壮絶な体験を活かして活動していきたくて素直に小説に書こうと思って動いてますが
このやってみよう、やりたいなという気持ちが出てきたことが素晴らしいし、それを行動に移せたことがすばらしいんです。
とくにこはるさんのような壮絶な体験なんて他の誰もが体験していることではないでしょうから、それを世間に出すことで誰かのことを救ったり勇気をつくってあげられたりするとおもうんです。
誰かの力になるって、ほんとうにすごいことですよね。
そのチャンスを「お母さんが怒るから」「お母さんに反対されるから」という理由で諦めるのはとてももったいないことだとおもうんですね。
だからもしお母さんに批判されて悲しいときは悲しい気持ちを素直に感じたり書き出してみたり、怒りが出た時は怒りの気持ちを抑えることなく素直に感じて書き出したりしてみてください。
あ、そうそう、こはるさんは小説を書きたいということでしたので本を読んだりすることも好きでしょうか?
ふぁーこの場合は好きだったのですが、本の良いところって世界中のどこにいるかもわからない人の人生や価値観や世界観を知ることができたりすることだとおもうんですね。
これも自分の世界や視野を広げてくれるものですよね。
だからふぁーこは中学のころ感情を抑えきれなくなったりして困ったときに、「”It”と呼ばれた子」という虐待のトラウマを持つ方が生き抜いた本を読んで、どっかの世界にはこういう苦しみを感じた人がいる中で「当然のように生きられていて」「お母さんに反抗できて」「学校に行ったり友達もいる」という自分の状況は当たり前ではないし、ありがたいことなんだなぁという見方をすることができました。
また、夜回り先生こと「水谷修」さんの著書を読んだり、「マザーテレサ」の本や過去の言葉を毎日読み返したりして、「雨風がしのげる家がある」「食べるものに困らない」「清潔で着る服がたくさんある」など、自分が今存在できることは当たり前じゃないんだ、貴重なことなんだと思うことができました。
こういう本や映画などでそのさまざまな世界に旅していろんな愛の物語を読むのも、さらに自分を成長させるきっかけになるかもしれません。
ちなみにこはるさんは思春期のころ(10代のころ)反抗期がありましたか?
一般的に反抗期がなかったりする場合、その子はお母さんやお父さんの期待に応えようとしたり干渉されすぎて「自分の意思」「自分の感情」で物事を進めたり決めたりできなかったために、「自己喪失」に近い感じになることが多いと言われているんですね。
自己喪失だったり自立できなかったりするとずっと癒着している相手(お母さんなど)の顔色を窺ったり、その顔色を気にして自分の意思や感情を出すことを我慢してたので、
「自分はどうしたいんだっけ?」「そもそも自分の感情ってなんだっけ?」と「自分」がわからなくなったり、自信がなかったり、一人でなにか決めることも難しかったりするんですよね。
だからわたしたち人間って反抗期がとても大切で、親に対して「あなたと私は違う」「私は大人として自分で生きていく」というように自立するためのステップだし、そういうときに自分で自分を立ち上がらせるために怒りという感情も必要になってくるんだとおもうんですね。
お手本にはなりませんけどどっかのモジャモジャ頭のカウンセラーは昔、家中の壁とドアに無数の穴をあけまくりましたし、母が作った料理を皿ごとぶん投げたりしてましたし、「じゃあなんで私を産んだんだよ!産まなきゃよかっただろ!あぁ私が死ねばいいのか、死ねばこんな感情もなくなるもんね」というイヤらしい言い方で反抗していましたが、まぁここまで怒りが出ることにビックリでした。(でも今はここまで怒りを出させてくれた母に本当に感謝しています)
そういう怒りを持つ自分も、自分なんです。人間なんだから、出てくるもんはしょーがないんです。
そしてそれがあることで「自我」が確立できたり自立するエネルギーになったりするので、怒りって現状を変えるためにほんと大切なんですよね。
だからもし書き出しても気持ちが晴れなかったらまたココロノマルシェやカウンセラーや話を聞いてくれる人に話すということでも、自分の感情を解放してラクにしていくことができますよ。
その気持ちのままこちらへどうぞ↓笑
ふぁーこと話してトコトンお悩み解決を試みる「カウンセリングメニュー(有料)」はこちら!
あとは「わたしはわたし。母は母。私は私として生きていく。私は私のしあわせを一番願っている。私は私のままでいい。私の人生に母は関係ない。わたしはわたしなのだから」とつぶやき続けるのも、効果ありますよ!
続ける自信がなくなったら、何度でも前向きにするのでこちらへどうぞ!笑
ふぁーこと話してトコトンお悩み解決を試みる「カウンセリングメニュー(有料)」はこちら!
というわけで、ステマみたいになりましたが、いつでもまた話にきてくださいね!
お待ちしています!
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それではきょうも、先祖と会える学校ができたようないい夢をみましょう~!
これってめっちゃイライラしたり悲しくなったりしますでしょう?
でもこれは「私がお母さんの娘だから」されるんですよね。
お母さんは他の家庭の子供にも「バイトやれ!」とか「家事やらないならいる価値ない!」とか言いまわってたり口出ししに行ったりしてます?
多分してないと思うんですけど、それって私がお母さんの娘ってポジションにいるからなんですよね。このポジションが固着しちゃってて、お母さんとの今のようなやりとりの関係も固着してるんですよね。
でもこのポジションを離れる決意をして外に出てみたら、新しい自分とも出会えたり、今まで自分が生きてこれたのはお母さんに感謝できるところがあるなあと自覚できたり、自分で自分の責任をとって自立していくことで、「お母さんと私」というポジションから「一人の大人と大人の私」というお互い対等な関係を築いていけたりするんだとおもうんですね。
そうすると、自分の中での和解というか、お母さんと直接話さないでもお母さんはお母さんで事情があったんだな(だろうな)、でも今私が生きてて”たのしい”とか”うれしい”っていう感情が感じられる人間でいるのはお母さんが産んでくれたおかげだからそれは感謝できるなぁとか、感謝の気持ちが出てくると「嫌だ」「怖い」「さみしい」という気持ちから解放されていくので徐々にいい意味で肩の力が抜けて接することができてラクになっていきます。
このために、お母さんの意思(思い通り)ではないことも含めて自分で決めてやってみるということはこはるさんにとってとても大切なプロセスだと思います。
やってみたことがうまくいこうがいかまいが、どうなろうと結果は関係ないんです。
>私は自身の壮絶な体験を活かして活動していきたくて素直に小説に書こうと思って動いてますが
このやってみよう、やりたいなという気持ちが出てきたことが素晴らしいし、それを行動に移せたことがすばらしいんです。
とくにこはるさんのような壮絶な体験なんて他の誰もが体験していることではないでしょうから、それを世間に出すことで誰かのことを救ったり勇気をつくってあげられたりするとおもうんです。
誰かの力になるって、ほんとうにすごいことですよね。
そのチャンスを「お母さんが怒るから」「お母さんに反対されるから」という理由で諦めるのはとてももったいないことだとおもうんですね。
だからもしお母さんに批判されて悲しいときは悲しい気持ちを素直に感じたり書き出してみたり、怒りが出た時は怒りの気持ちを抑えることなく素直に感じて書き出したりしてみてください。
あ、そうそう、こはるさんは小説を書きたいということでしたので本を読んだりすることも好きでしょうか?
ふぁーこの場合は好きだったのですが、本の良いところって世界中のどこにいるかもわからない人の人生や価値観や世界観を知ることができたりすることだとおもうんですね。
これも自分の世界や視野を広げてくれるものですよね。
だからふぁーこは中学のころ感情を抑えきれなくなったりして困ったときに、「”It”と呼ばれた子」という虐待のトラウマを持つ方が生き抜いた本を読んで、どっかの世界にはこういう苦しみを感じた人がいる中で「当然のように生きられていて」「お母さんに反抗できて」「学校に行ったり友達もいる」という自分の状況は当たり前ではないし、ありがたいことなんだなぁという見方をすることができました。
また、夜回り先生こと「水谷修」さんの著書を読んだり、「マザーテレサ」の本や過去の言葉を毎日読み返したりして、「雨風がしのげる家がある」「食べるものに困らない」「清潔で着る服がたくさんある」など、自分が今存在できることは当たり前じゃないんだ、貴重なことなんだと思うことができました。
こういう本や映画などでそのさまざまな世界に旅していろんな愛の物語を読むのも、さらに自分を成長させるきっかけになるかもしれません。
ちなみにこはるさんは思春期のころ(10代のころ)反抗期がありましたか?
一般的に反抗期がなかったりする場合、その子はお母さんやお父さんの期待に応えようとしたり干渉されすぎて「自分の意思」「自分の感情」で物事を進めたり決めたりできなかったために、「自己喪失」に近い感じになることが多いと言われているんですね。
自己喪失だったり自立できなかったりするとずっと癒着している相手(お母さんなど)の顔色を窺ったり、その顔色を気にして自分の意思や感情を出すことを我慢してたので、
「自分はどうしたいんだっけ?」「そもそも自分の感情ってなんだっけ?」と「自分」がわからなくなったり、自信がなかったり、一人でなにか決めることも難しかったりするんですよね。
だからわたしたち人間って反抗期がとても大切で、親に対して「あなたと私は違う」「私は大人として自分で生きていく」というように自立するためのステップだし、そういうときに自分で自分を立ち上がらせるために怒りという感情も必要になってくるんだとおもうんですね。
お手本にはなりませんけどどっかのモジャモジャ頭のカウンセラーは昔、家中の壁とドアに無数の穴をあけまくりましたし、母が作った料理を皿ごとぶん投げたりしてましたし、「じゃあなんで私を産んだんだよ!産まなきゃよかっただろ!あぁ私が死ねばいいのか、死ねばこんな感情もなくなるもんね」というイヤらしい言い方で反抗していましたが、まぁここまで怒りが出ることにビックリでした。(でも今はここまで怒りを出させてくれた母に本当に感謝しています)
そういう怒りを持つ自分も、自分なんです。人間なんだから、出てくるもんはしょーがないんです。
そしてそれがあることで「自我」が確立できたり自立するエネルギーになったりするので、怒りって現状を変えるためにほんと大切なんですよね。
だからもし書き出しても気持ちが晴れなかったらまたココロノマルシェやカウンセラーや話を聞いてくれる人に話すということでも、自分の感情を解放してラクにしていくことができますよ。
その気持ちのままこちらへどうぞ↓笑
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あとは「わたしはわたし。母は母。私は私として生きていく。私は私のしあわせを一番願っている。私は私のままでいい。私の人生に母は関係ない。わたしはわたしなのだから」とつぶやき続けるのも、効果ありますよ!
続ける自信がなくなったら、何度でも前向きにするのでこちらへどうぞ!笑
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というわけで、ステマみたいになりましたが、いつでもまた話にきてくださいね!
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それではきょうも、先祖と会える学校ができたようないい夢をみましょう~!
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またまた今のわたしにとってもドンピシャな記事をありがとうございます。罪悪感ありまくりなお母さんの記事も、すごくよかったです。まさにいま、母と精神的な距離感が必要だなと思っていたところの回答で、とても救われました。
寂しいけど、、、頑張ります。この質問された方も、前向きになれるといいですね。
ふぁーこ
がしました
私も、思春期の反抗期は特になかったのですが、
私の息子もなかったので、
本当に、そうさせてしまった事に今超罪悪感です。
母との癒着を切れば息子(もう22歳ですが)との癒着も切れるのかな?
とにかく、小説、がんばって下さい!書き上げたら、是非読みたいです!
(私も、実は書いてます。。。公募の賞金目当てで。そのお金で、引っ越し資金にして家を出るんだ!)
ふぁーこ
がしました
お名前はHNなんですが小春日和に産まれたのでつけられそうになった名前です(笑)本名は後者でひよりです(笑)
さくっとかいたら800文字超えてエラーになったので簡潔に(笑)
読んでて泣きそうになりました。私は、強かったんだ。そう思いました。鬱パワハラ離婚闇のオンパレードのような人生を生きてきながら自分の人生に疑問を持ってたくさんの本やブログで研究してきました。ふぁーこさんのきじをよんでかんじたのは、強かったんだと自覚したことで私が癒着してるんじゃなくて癒着されてるのでは?と思えたこと。年の瀬ということで、自分を責めない。と決めて1日過ごしてみた所びっくりするくらいほかの家族の感情を拾いやすく影響しやすいと感じて穏やかに入れました。これが境界線というやつか、と思いました(笑)
言葉では、分かってても実践は難しいですね。今までは好き!とか楽しい!て感情すら許可できず幸せを拒否してました。今は小さな幸せに気づけるようになり少しずつネガティブからポジティブに移行してます。ネガティブな思い込みもポジティブに変えたらポジティブな結果になるかもしれないし。
元々本が友達の学生時代で、他人とはあまりなじめず狭く深く付き合うタイプでした。社会に出たり人とまた付き合うのも怖くて。私の体験が本当に誰かのためになるのかな?と疑ってしまいます。自分は越えられてきてるのだろうか?糧にできてるのかなと。自分を認めるコツがあれば知りたいです
ありがとうございました!
ふぁーこ
がしました