こんばんは!
WhyWhyカウンセラーのふぁーこです!
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同性の牽制を受け入れてしまう
女性 さささんからのお悩み
こんにちは。
ご回答いただけたら幸いです。
よろしくおねがいいたします。
私は東京都在住の30代未婚女性です。
パートナーはもう何年もいません。
いいなと想う人と時々出会いますが、お付き合いには至りません。
魅力的な男性と距離が少くなるとします。
すると、共通の知人友人の女性が興味を示したりオブラートに包んだ牽制を見せてきます。
その途端私は冷めてしまいます。
相手の男性へ魅力は依然として感じていますが、その人との間に何となく発生してた親密感が冷めるというか。
もうこれ以上距離を縮めようとは頑固な程に思えなくなります。
だから、今まで付き合ったことのある人は共通の知り合いが全く居ない、仕事や趣味趣向も他ジャンルの人でした。
またそういう人と知り合える機会を作ればいいのかもしれませんが、問題はそこではなくて、質問タイトルにある通りに思いこちらに相談させていただきました。
普通に生活してて、心が心地良くさざめくような出会いは時々あるし、別に付き合わなくても友人として関係を続けられればと思うのですが、魅力的な男性と仲良くしていると邪推や干渉が入ってくるので、それが煩わして距離を置いてしまいます。
人間関係でしか味わえない特別な親密感は魅力的ですが、それを上記の不快感が上書きしてしまいます。
「魅力的な友人(または恋人候補)をまた失ってしまったが、良い本を精読したり、新しい体験(1人で出来ること)をやればリカバーできるだろう」
と思うのがいつものパターンで、現にその通り新しい本を買ったり新しい習慣に取組み、またその通りに充実感を味わい、人間関係の喪失感は薄れていきます。
こういうことを繰り返しているので、メンタルは安定してるのですが、人間関係におけるメンタルの成熟度や強度は非常に幼く脆いと思います。
このままではいけないとも思っているのですが、後回しにして時々頭をもたげる課題です。
何卒宜しくお願い申し上げます。
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さささん、はじめまして!
ふぁーこと申します。どうぞよろしくお願いいたします。
同性の牽制・・・なかなかやっかいですよねぇ。
相手からの威圧や態度を気にしないようにしようと思っても、
関係性を壊したりいざこざになりたくないとどうしても気になってしまうものですよね。
それにしても、
>「魅力的な友人(または恋人候補)をまた失ってしまったが、良い本を精読したり、新しい体験(1人で出来ること)をやればリカバーできるだろう」
>と思うのがいつものパターンで、現にその通り新しい本を買ったり新しい習慣に取組み、またその通りに充実感を味わい、人間関係の喪失感は薄れていきます。
これはとっても素敵なことですね!
良い本を読んだり新しい体験をするというのは、ほんとうにすばらしいことだとおもいます!
そしてその充実感を味わうというのも、素敵なことですよね。
こういう自分のパターンというのを理解しているということは自分を進化させやすいので、
気づきを得ている時点でもう半分くらい安心していただきたいのですが、
まずはそのパターンをつくっているのが、
「愛から」なのか「不安や怖れから」なのかで結果がちがってくることをお伝えしたいとおもいます。
私たちはなにかを決断するときや選択するときなどに、
「愛からの選択」と「不安や怖れからの選択」に分かれていることがあります。
愛からの選択は、癒し・平和・温か・ほっとする・まったり・のんびり・リラックス・ありのまま・願い・祈りなどのそこに攻撃性や怖れがない状況で、心地いいものです。
不安や怖れからの選択は、怖い・嫌だ・ダメ・こうならないように・こうなったほうがいい・自己否定・自己攻撃・他者攻撃・イライラ・罪悪感・無価値観・損得などから選択するので、緊張感と攻撃性などがあります。
そして愛からの選択を続けてもしんどくなることはないのですが、
不安や怖れからの選択はその「不安」や「怖れ」を回避しようとして選択するのですが、
根本にある「不安」や「怖れ」がある限りどうしても緊張感や攻撃性から逃げられず、
何度も同じことを繰り返したり、直そうと思っても怖れが勝って同じ選択をしたりしてしんどくなっていきます。
そのため、こういう場合はまず自分が何かに対して不安を持っていたり、怖れを持っていたり、怒りを持っていることに気付く必要があります。
その気づきさえできれば、「あぁ、だからわたしはこうなりたくなくて(こういうことになるのが怖くて)ずっとこういう選択(行動)をしてきたんだなぁ」とわかります。
たとえば、小さいころ過干渉なお母さんに監視されるような、コントロールされるように生きてきた方は、
大人になっても
「私が自分で決めたり自分で考えて行動してはいけないし、私にはできない。私が決めると、誰かが悲しむ(もしくは申し訳ない)ことになるだろう」
というマインドが心の奥底にあったりします。
普段はそんなこと意識しているわけではないのですが、
それは小さいころから自分に備え付けられた親のエゴであり、
素直で一生懸命だった子供ほどそれを受けとろうとしてきた証拠でもあります。
そうするともう子供時代のことなど忘れさっていると思っても、潜在意識(無意識)ではそのマインドを持っているので
大人になっても防衛本能としてその不安や怖れからの選択をすることがあるんですね。
今回のさささんの
>「魅力的な友人(または恋人候補)をまた失ってしまったが、良い本を精読したり、新しい体験(1人で出来ること)をやればリカバーできるだろう」
この行動動機が、怖れからの選択であるとしたら、しんどくなったり自己否定したり攻撃することがあるかもしれないので、
自分が持っている不安や怖れに気付けると少しずつ「愛から」の選択をできるようになるかもしれません。
「私が私を必要とするように、私は友人(魅力的な人)を必要とし、そして友人(魅力的な人)も私を必要とするだろう。失いたくないものを失わない選択を選んでもいいんだよ」
と自分で自分に言ってあげることも、有効かとおもいます。
さて、そこで本題の
「どうして同性の牽制を受け入れてしまうのか?」
ということなんですけれども、
どうして牽制してくる「同性」を気にしてしまうのか?
異性ではなく、同性ですよね。
そこから予想したのは、たとえば
小さいころお父さんとお母さんの仲があんまり良くなくて、
でも自分はお父さんとも仲良くしたいと思っていたとします。(無意識にでも)
そうすると、お父さんと私の2人でいるときはうれしいんだけど、
後からお母さんに「あんたったらお父さんと仲良くして」と言われたりお父さんと仲良くしていたことで機嫌が悪くなったりすると、
「私が好きなお父さん(男性)と仲良くするとお母さん(女性)は牽制したり機嫌が悪くなる」
というマインドができたりします。
また、たとえば小さいころからお父さんがいなくても、
お母さんが過干渉だったり支配的なお母さんだったりすると、
自分が好きな男の子や好きな先生やアイドルなど、なにか好きな人ができたときにお母さんが否定してきたり自分の意思を尊重してくれなかったりすると、自分が持っている不安や怖れに気付けると少しずつ「愛から」の選択をできるようになるかもしれません。
「私が私を必要とするように、私は友人(魅力的な人)を必要とし、そして友人(魅力的な人)も私を必要とするだろう。失いたくないものを失わない選択を選んでもいいんだよ」
と自分で自分に言ってあげることも、有効かとおもいます。
さて、そこで本題の
「どうして同性の牽制を受け入れてしまうのか?」
ということなんですけれども、
どうして牽制してくる「同性」を気にしてしまうのか?
異性ではなく、同性ですよね。
そこから予想したのは、たとえば
小さいころお父さんとお母さんの仲があんまり良くなくて、
でも自分はお父さんとも仲良くしたいと思っていたとします。(無意識にでも)
そうすると、お父さんと私の2人でいるときはうれしいんだけど、
後からお母さんに「あんたったらお父さんと仲良くして」と言われたりお父さんと仲良くしていたことで機嫌が悪くなったりすると、
「私が好きなお父さん(男性)と仲良くするとお母さん(女性)は牽制したり機嫌が悪くなる」
というマインドができたりします。
また、たとえば小さいころからお父さんがいなくても、
お母さんが過干渉だったり支配的なお母さんだったりすると、
「私が男性と距離を詰めたり楽しそうすることはお母さん(女性)から祝福されないんだ」
というマインドができたりします。
さらに、自分に妹や姉がいて、
お父さんからの愛情を自分は受けていると感じていても、
妹や姉が「なんで〇〇にはするのに私にはしてくれないの!」とお父さんに言っていたり、
「あんたはいいよね。お父さんから〇〇してもらえて」という態度をとってきたりすると、
「私がお父さん(男性)から愛情を受けたり距離をつめると妹(姉・女性)は悲しむ」
という罪悪感を持つこともあります。
家族だけでなく、学生時代に同性の友達に自分が好きになった男の子のことでからかわれたり、
「わたしのほうが〇〇くんのこと好きなんだけど!(知ってるのよ) 」
という内容をおおざっぱなオブラートにつつんだ大砲で撃ってきたり、
もしくは「あなたが私より男性に親密感を持ってもらうなんて、許せないわ!」
というもうオブラートに包む気もない丸出しのおっぱい・・・じゃなくて体当たりをしてきたりすると、
やっぱり素直で感受性豊かな子ほど自己否定したり罪悪感を抱えたりするとおもうんですね。
そういう同性での牽制を、「私が悪いのかな」「私がいけないのかな」「私のせいで悲しむ人がいる」「私なんて」と自分を責めたり自分の気持ちより誰かの顔色を優先していると、
だんだんまたそのような気持ちを味わいたくないのでその状況になることを避けるようになったりします。
今回は、さささんがおっしゃるように
>もうこれ以上距離を縮めようとは頑固な程に思えなくなります。
という行動をとったりするんですね。
だから、そういうときこそオススメなのは「自分軸」を育てていくことなんですね。
他人軸や友人たちの態度や目を気にしてしまうときって、
そのせいで自分の行動や選択肢が狭まったような感じがして、とてももったいないとおもうんです。
だってほんとうのわたしの声より、相手の声や態度に目が行ってしまっている状態ですよね。
「わたし」がいつも後回しでかわいそうじゃありませんか?
「わたし」の願いはいつまで殺していればいいのでしょうか?
「わたし」がしあわせになることはそんなに同性たちにとって嫌われることですか?
さささんのことを牽制したり邪推にしてくると思う人たちがいたとしても、それはその人たちの問題です。
さささんが、自分を責めたり思い悩んであげなくていいんです。
そして、自分軸になるとその相手の干渉すら「あなたの意見はわかった。気持ちも理解できる。でも私の人生は私が決めたいから」と相手と自分の間に線を引いて相手の意見も否定することなく決めていくことができます。
時には、自分軸に変化していくときに友人関係がガラっと変わったり、疎遠になる人もいるでしょう。
でも、それは必然であって、本当につながっていたいと思う人とは時間が空いてもいつかまた元に戻ったりするものです。
また、その同性の人たちの牽制や邪推にしてくる言葉や態度で傷ついたりイライラしたりすることがあるとしたら、
それはさささん自身が自分のことを彼女らがいうような価値だと思っているということでもあります。
もしデヴィ夫人が誰かから「やーいこの貧乏!」と言われたり「金持ちはいいよね~」と言われたり、
蔑むような態度をとられたとしてそれを意に介さないでいられたとしたら、
それは彼女自身が「たしかに資産はあるし、私は貧乏ではないし、なにより人に蔑むことをいうような心の貧乏ではない」と自分の価値を認めているからじゃないかなぁとおもうのです。
それくらい、自分のことを認めてあげたり、肯定してあげることはとても大切だと思うんですね。
自分を認めて肯定していくと、自分の好きなことは好きでいいし、嫌いなものは嫌いでもいいと思えるようになっていくと共に、
「自分が好きなことは好き」だから、誰がどう言ってこようと「好きでいいじゃん」と自分自身の味方のように思えるようになります。
それが、誰かを好きで申し訳ないとか、恥ずかしいとか、めんどくさいとか、自分なんてとか、そういう気持ちより、
「好きなもんは好きなんや!」という気持ちが突き抜けるんですね。
だってふぁーこの周りにいるジャニーズ好きの人たちなんてみんなファンの中で一番自分が推しメンのことを好きだ(知っている)と豪語(牽制)し合ってますからね笑
だからまずは「私は私。彼女たちは彼女たち。魅力的な彼は魅力的な彼。みんなそれぞれがしあわせになれるし、私は私だけでしあわせになれます。私は私の選択を支持します。もうしあわせになることを自分に許します」
こうやって周りの反応や態度より、自分の心に目を向けてあげる機会をつくると、
肯定感が上がり、不安が和らいで勇気や自信を持つことができるかもしれません。
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それではきょうも、黄色のクレヨンがチョークと交換留学ようないい夢をみましょう~!
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