こんばんは!
WhyWhyカウンセラーのふぁーこです!
きょうもココロノマルシェからお悩み相談に答えてみたいとおもいます!
ココロノマルシェは、根本裕幸先生のお弟子さんたちがお悩み相談に答える掲示板です。
今後も追ってどんどんみなさまからのご相談を募集しております!
ふぁーこ以外の最強武闘派カウンセラーたちも答えてくれるので、
ぜひ見てみてくださいね!
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「就活、休学、どうしたらいいのか分からない」
サトウさんからのお悩み
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はじめまして。就活中の大学生で、サトウと申します。
よろしければ、ご回答いただけましたら嬉しいです。
始まりは4月下旬でした。
就活解禁の3月から連日スーツとパンプス姿で練り歩き、
エントリーシート、履歴書、企業研究、そして自己分析(何を軸に置いているか)を行ってきましたが、
エントリーシートで通っても面接もしくは適性検査でお祈りメール。
エントリーシート、履歴書、企業研究、そして自己分析(何を軸に置いているか)を行ってきましたが、
エントリーシートで通っても面接もしくは適性検査でお祈りメール。
これではダメだと大学の就職課に相談、そこでは「あなたのやりたいことを実現するためにはどうすればいいの?」と聞かれ頭まっしろ。
何も思い浮かばないまま、4月下旬、敵前逃亡しました。
しかし、根本先生のコラムを読みあさった成果なのか(ありがとうございます)、
就活休暇中に初めての彼氏ができ、彼との明るい未来のためにと2ヶ月間の休みを経て就活を再開したのですが、
イマイチ自分が何をしたいのか分からず、もともとしたかったことも宙に浮いたまま、やる気も起きず体も動かずの曖昧ふわふわモードです。
就活休暇中に初めての彼氏ができ、彼との明るい未来のためにと2ヶ月間の休みを経て就活を再開したのですが、
イマイチ自分が何をしたいのか分からず、もともとしたかったことも宙に浮いたまま、やる気も起きず体も動かずの曖昧ふわふわモードです。
休学もありか?と思ったのですが、この4回生の時期に休学したら、
休学明けの就活で苦労するかも…と思うと腰が引けてなかなか思い切ることができません。
休学明けの就活で苦労するかも…と思うと腰が引けてなかなか思い切ることができません。
卒論、就活、将来…自分の手元にある駒たちをすべて放り投げて、
ぬくぬくとしたお布団の中にくるまっていたい気持ちです。
ぬくぬくとしたお布団の中にくるまっていたい気持ちです。
私はどうすればいいのか、どうしたいのか、このぐるぐるした思考回路に神風を吹かし、風穴を空けていただけないでしょうか。
拙い文章で申し訳ございません。
何卒よろしくお願い申し上げます。
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サトウさん、はじめまして!
ふぁーこと申します。どうぞよろしくお願いいたします。
わたしは大学に行っていないので検討違いなことを言っていたら申し訳ないのですが、
>就活休暇中に初めての彼氏ができ、彼との明るい未来のためにと2ヶ月間の休みを経て就活を再開したのですが、
まずはこの彼氏ができたことと休みをとれたことがどれだけすごいことかご理解いただきたいなぁとおもいます。
といいますのも、
「もうどうしようもないから休んだ」
という理由だったとしても、自分に休み(充電時間)をつくるということはとても大切な選択だとおもうんですね。
そして、それを選択できたのは自己肯定感があがったからではないかなぁと思うんです。
よく私たちは自分の価値を見失ったり、下に見てしまいがちです。
そして、その価値のなさや感じたくない気持ちをなにかで補うように(感じずに済むように)行動したり選択したりしています。
心理学でいうと「犠牲」「補償行為」というものなのですが、
その犠牲も補償行為も「やりたいから」というよりは「これをしないと自分の価値がないから」というマイナスのスタートになっていることもあり、
たとえばハードワーカーになったり整形を繰り返したり自分より誰かを優先したり、
そういう自分を犠牲的に行うことというのはそのうちしんどくなってしまいます。
でも、自分ではそこに気づかないことがほとんどです。
だって誰かのためになること自体は喜びでもあるし、必要とされていると思えることもあるからです。
そこからしんどくなったときに、だんだん自己肯定感を意識して否定していた自分に気づいたり自分を肯定できるようになっていくと、
今までは「頑張らない私」「怠ける私」「誰かの役に立たない私」「褒められない私」「立派じゃない私」をかたくなにダメだと否定してそれを原動力に動いていたものの、
それがダメじゃないかもしれない、そういう自分だって必要なのかもしれないということに気付いたときに、
原動力を一瞬失うように感じるものです。
今まではダメな自分にならないように動いていたけど、ダメな自分でもいいんだと思うと「あれ?じゃぁどうすればいいんだっけ?なにしたいんだっけ?」と思うような感覚です。
その状態になったということは自己肯定感が上がり、どんな自分のことも肯定できる準備ができてきたからだとおもうんですね。
今はそう実感できないかもしれませんが、逆を言えば
なにもかもしたくなくなるくらい、あったかい布団でくるまってたくなるくらい、
誰かのためにもがんばってきたし無理したこともあったけど、
もう無理するのはイヤだし、自分のやりたいことをやっていきたいという前向きな原動力が動き始める前段階だとおもうんです。
だから恐れることはないんですね。
「あれ?なんか私なんにもやりたいこともなくなって、やらなきゃいけないこと(と思っていたこと)もやれないで、こんなんでいいのかな?よくないよね?でもなんにもしたくないー」
と思うのは、神様が自己肯定感があがっているかどうかテストしにくるからです。
「なにもしたくないけど、やらないと将来が怖い」
と思ったときは自己肯定感を試されていると考えてみてください。
たとえばサトウさんの心の中に3歳のころのサトウさんがいて、
「なにもやらない私なんて必要ないの?」
「なにもやる気がしない私はダメなの?」
「今までやってきたことはすべて無駄なの?」
「なにかやっていないと私の価値はないの?」
「私はこのままじゃ愛されないの?」
こう聞いてきたとしたら、サトウさんはなんて答えますでしょうか?
いっしょに考えてみてください。
ふぁーこはまず、そんな3歳のサトウさんを抱きしめてあげたいなぁと思うんですね。
「よくがんばったね。すごかったよ。大変だったよね。やってくれてありがとう」
と声をかけてあげたい。
そして
「なにもしなくても、なにもできなくても、あなたのままでいいんだよ。生きてるだけで十分だよ」
とありのままのサトウさんを肯定してあげたいなぁとおもいます。
「生きてるだけで十分」
と自分に言ってあげられると、その先もう怖いものなんてなくなっていきます。
だって鼻くそほじっても1日中ゴロゴロしててもパンツ一丁で歩いていても
そんな自分も「生きている」ことが肯定できていれば
他のことなんて些細なことにすぎないからです。
もちろん、その中から「やりたいこと」「好きなこと」「自分がたのしいと思うこと」「興味があること」にフォーカスしていけると、もっと「しあわせ」と感じる瞬間も多くなるかとおもいます。
だからまずは自分の今の状況を肯定し、
今のこの状況も前向きな原動力をつくるために必要な期間なんだと思ってみてほしいなぁとおもいます。
それから自分の好きなことってなんだっけ?
自分の楽しいと思う瞬間ってなんだっけ?
自分がしあわせーって思う時間ってどんな時間だっけ?
といろいろ思い返してみると、その中で「あーこれやりたいかも」とか「やってみたいかも」とか、
「またこれやりたいなぁ」とか思うことが出てくると思います。
その気持ちが行動に移せるくらい「やりたい!」という心になったら行動してみたらいいと思うんです。
ちょうど彼氏ができたのも、もしかしたらその彼氏や誰かと自分の「しあわせ」を広げるために出会ったのかもしれませんよ。
誰かと自分のしあわせを共有できるということはとてもうれしいことですよね。
誰かとつながるということは、そんな「しあわせ」の幅を広げていけるのではないかなぁとおもっています。
何年休学しようが大学を中退しようがなんの職につけなかったとしても、
それは必要な時間であったことに変わりありません。
それがあったからって人生が終わることはありません。
生きていれば、思い通りにいかない時だってあるし、むしろそういう瞬間のほうが多かったりするかもしれません。
でもだからこそ、「こうしたい」「こうなりたい」「こういう自分がいい」というやる気だって自分の中で育めるのではないかなぁとおもうんですね。
そして自分がやりたいことをやってなおかつそれで誰かが喜んでくれて、
その対価としてお金をもらえるのであればそれはWin-Winの関係だと思うんです。
お互い「しあわせ」の幅が広がりますよね。
サトウさんもだから大学の制度や周りのみんながこうだからという決まりみたいなもので窮屈に感じるかもしれませんが、
それがすべてなかったものだと仮定して一度自分が大学生ではなく
生まれたままの「サトウ」だとしたらどう生きてみたいかな?
なにをしてた時がたのしかったかな?
今までどういうことに興味を持ったかな?
と思い返してみると答えが見つかったりするかもしれません。
そしてそんな「楽しいこと」「興味があること」を選択する自分も肯定してあげてほしいなぁとおもいます。
もし「失敗した」「もうだめだ」と思うようなことがあったとしても、
生きている限りしあわせや楽しむ心を失うことはありません。
ただその瞬間は表の面しか見れていないだけで、裏返せばそれが自分の楽しみやしあわせにつながっていることだってあるんです。
決して、無駄なことなどありませんから心配しないでくださいね。
もしまたわからなくなったりしんどくなったらいつでも話にきてください!
お待ちしています!
サトウさん、はじめまして!
ふぁーこと申します。どうぞよろしくお願いいたします。
わたしは大学に行っていないので検討違いなことを言っていたら申し訳ないのですが、
>就活休暇中に初めての彼氏ができ、彼との明るい未来のためにと2ヶ月間の休みを経て就活を再開したのですが、
まずはこの彼氏ができたことと休みをとれたことがどれだけすごいことかご理解いただきたいなぁとおもいます。
といいますのも、
「もうどうしようもないから休んだ」
という理由だったとしても、自分に休み(充電時間)をつくるということはとても大切な選択だとおもうんですね。
そして、それを選択できたのは自己肯定感があがったからではないかなぁと思うんです。
よく私たちは自分の価値を見失ったり、下に見てしまいがちです。
そして、その価値のなさや感じたくない気持ちをなにかで補うように(感じずに済むように)行動したり選択したりしています。
心理学でいうと「犠牲」「補償行為」というものなのですが、
その犠牲も補償行為も「やりたいから」というよりは「これをしないと自分の価値がないから」というマイナスのスタートになっていることもあり、
たとえばハードワーカーになったり整形を繰り返したり自分より誰かを優先したり、
そういう自分を犠牲的に行うことというのはそのうちしんどくなってしまいます。
でも、自分ではそこに気づかないことがほとんどです。
だって誰かのためになること自体は喜びでもあるし、必要とされていると思えることもあるからです。
そこからしんどくなったときに、だんだん自己肯定感を意識して否定していた自分に気づいたり自分を肯定できるようになっていくと、
今までは「頑張らない私」「怠ける私」「誰かの役に立たない私」「褒められない私」「立派じゃない私」をかたくなにダメだと否定してそれを原動力に動いていたものの、
それがダメじゃないかもしれない、そういう自分だって必要なのかもしれないということに気付いたときに、
原動力を一瞬失うように感じるものです。
今まではダメな自分にならないように動いていたけど、ダメな自分でもいいんだと思うと「あれ?じゃぁどうすればいいんだっけ?なにしたいんだっけ?」と思うような感覚です。
その状態になったということは自己肯定感が上がり、どんな自分のことも肯定できる準備ができてきたからだとおもうんですね。
今はそう実感できないかもしれませんが、逆を言えば
なにもかもしたくなくなるくらい、あったかい布団でくるまってたくなるくらい、
誰かのためにもがんばってきたし無理したこともあったけど、
もう無理するのはイヤだし、自分のやりたいことをやっていきたいという前向きな原動力が動き始める前段階だとおもうんです。
だから恐れることはないんですね。
「あれ?なんか私なんにもやりたいこともなくなって、やらなきゃいけないこと(と思っていたこと)もやれないで、こんなんでいいのかな?よくないよね?でもなんにもしたくないー」
と思うのは、神様が自己肯定感があがっているかどうかテストしにくるからです。
「なにもしたくないけど、やらないと将来が怖い」
と思ったときは自己肯定感を試されていると考えてみてください。
たとえばサトウさんの心の中に3歳のころのサトウさんがいて、
「なにもやらない私なんて必要ないの?」
「なにもやる気がしない私はダメなの?」
「今までやってきたことはすべて無駄なの?」
「なにかやっていないと私の価値はないの?」
「私はこのままじゃ愛されないの?」
こう聞いてきたとしたら、サトウさんはなんて答えますでしょうか?
いっしょに考えてみてください。
ふぁーこはまず、そんな3歳のサトウさんを抱きしめてあげたいなぁと思うんですね。
「よくがんばったね。すごかったよ。大変だったよね。やってくれてありがとう」
と声をかけてあげたい。
そして
「なにもしなくても、なにもできなくても、あなたのままでいいんだよ。生きてるだけで十分だよ」
とありのままのサトウさんを肯定してあげたいなぁとおもいます。
「生きてるだけで十分」
と自分に言ってあげられると、その先もう怖いものなんてなくなっていきます。
だって鼻くそほじっても1日中ゴロゴロしててもパンツ一丁で歩いていても
そんな自分も「生きている」ことが肯定できていれば
他のことなんて些細なことにすぎないからです。
もちろん、その中から「やりたいこと」「好きなこと」「自分がたのしいと思うこと」「興味があること」にフォーカスしていけると、もっと「しあわせ」と感じる瞬間も多くなるかとおもいます。
だからまずは自分の今の状況を肯定し、
今のこの状況も前向きな原動力をつくるために必要な期間なんだと思ってみてほしいなぁとおもいます。
それから自分の好きなことってなんだっけ?
自分の楽しいと思う瞬間ってなんだっけ?
自分がしあわせーって思う時間ってどんな時間だっけ?
といろいろ思い返してみると、その中で「あーこれやりたいかも」とか「やってみたいかも」とか、
「またこれやりたいなぁ」とか思うことが出てくると思います。
その気持ちが行動に移せるくらい「やりたい!」という心になったら行動してみたらいいと思うんです。
ちょうど彼氏ができたのも、もしかしたらその彼氏や誰かと自分の「しあわせ」を広げるために出会ったのかもしれませんよ。
誰かと自分のしあわせを共有できるということはとてもうれしいことですよね。
誰かとつながるということは、そんな「しあわせ」の幅を広げていけるのではないかなぁとおもっています。
何年休学しようが大学を中退しようがなんの職につけなかったとしても、
それは必要な時間であったことに変わりありません。
それがあったからって人生が終わることはありません。
生きていれば、思い通りにいかない時だってあるし、むしろそういう瞬間のほうが多かったりするかもしれません。
でもだからこそ、「こうしたい」「こうなりたい」「こういう自分がいい」というやる気だって自分の中で育めるのではないかなぁとおもうんですね。
そして自分がやりたいことをやってなおかつそれで誰かが喜んでくれて、
その対価としてお金をもらえるのであればそれはWin-Winの関係だと思うんです。
お互い「しあわせ」の幅が広がりますよね。
サトウさんもだから大学の制度や周りのみんながこうだからという決まりみたいなもので窮屈に感じるかもしれませんが、
それがすべてなかったものだと仮定して一度自分が大学生ではなく
生まれたままの「サトウ」だとしたらどう生きてみたいかな?
なにをしてた時がたのしかったかな?
今までどういうことに興味を持ったかな?
と思い返してみると答えが見つかったりするかもしれません。
そしてそんな「楽しいこと」「興味があること」を選択する自分も肯定してあげてほしいなぁとおもいます。
もし「失敗した」「もうだめだ」と思うようなことがあったとしても、
生きている限りしあわせや楽しむ心を失うことはありません。
ただその瞬間は表の面しか見れていないだけで、裏返せばそれが自分の楽しみやしあわせにつながっていることだってあるんです。
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それではきょうも、目玉焼きを食べたら目が良くなったようないい夢をみましょう~!
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